Day10 山鹿-南関-原町-瀬高 31km
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地図**
5時半に道の駅を出て、昨日の終点「さくらの湯」に戻った。5時50分に徒歩旅再開。温泉の営業は6時からで、常連さんがすでに何人も待っていた。

1925年(大正14年)に安田銀行山鹿支店として建てられた洋風の建物は、山鹿灯籠民芸館となっている。国指定伝統的工芸品「山鹿灯籠」は和紙工芸の極致とも評されている。当然開館前で、中には入れず。

金剛乗寺の石門は、1804年、江戸時代に建てられている。熊本県に入って何度も見た石橋の技術を活かして作られたのだそう。

この通り名にもなっている八千代座を過ぎ、しばらく進むと広い無料駐車場に出た。パンフレットでは夜間閉鎖とあったが、閉鎖しておらず、車中泊したらしき車も停まっている。
駐車場を過ぎると街が終わり、国道443号に合流する。岩野川を越えたところで、国道から再び離れる。すぐ右側に見えたのは鍋田横穴だ。この地域には古墳時代後期につくられた横穴墓が61基も残っている。

鍋田横穴群で装飾が残っているものは16基あり、鍋田第27号横穴墓は街道筋からさほど離れておらず、見学することが出来た。

横穴墓の並ぶ街道の坂を上っていくと、見事な石垣が続いていた。

さらに進むと歴史公園「肥後古代の森」が広がっている。彩色墳墓として知られるチブサン古墳とオブサン古墳が公園内にあるが、ここもまだ営業時間前。入口のモニュメントだけ見て先に進む。

七里木跡を通過。熊本城から28キロの地点。昔の街道がすべて残っているわけではないが、昨日の熊本城から山鹿が28キロだったはず。昔の街道の方が距離が短かったようだ。

西南戦争山鹿口の戦いの官軍台場跡辺りで、妻が待っていてくれて、朝食をとる。車に畳を積んでおり、ついついのんびり休んでしまう。

西南戦争山鹿口の戦いの舞台となった辺りは台地で、今は茶畑が広がっていた。

山鹿郡と玉名郡の郡境。玉名郡は肥後の国の北西端の郡で、有明海に面していた。

西南戦争古戦場の台地から下る道は昔ながらの道が残されており、腹切坂と呼ばれている。

坂を下りきった先にある光行寺は、肥後の殿様が参勤交代で休んだ場所。

案内看板にあるように、八里木跡を超えるとヒジ曲がりと呼ばれる坂道で再び登りとなる。

昨日までは休憩場所にも苦労していたが、今日は各地点で車が待っていてくれた。休憩時間はつい長くなってしまうが、その分疲れも取れて、歩くペースは落ちないので、非常に助かった。

今日は山の中が続き、車の走れない道が多い。その分日影が多く、助かっているが、34度まで気温が上がる予報だ。白坂と呼ばれるこの辺りも歩きやすい道で、楽しい。

白坂からまた次の坂を歩いて、台地に出る。江戸時代のこの辺りは広大な畑地で、遠くまで見渡せたそうだが、今は畑はなくなり、雑木林になってしまっている。

新しい道標なのに、建てられた方向がおかしい。これならない方が・・・。

肥猪町御茶屋跡辺りで、再び妻と合流し、10時半だが、早めの昼食休憩。弁当を食べ、車で少し昼寝。店に入らなくても結局昼休みを1時間取ってしまった。

十里木跡を通過したのが、12時半。

南関宿の手前で、再び休憩。

南関宿は、肥後国と筑後国の関の南という意味で、南関と呼ばれている。肥後の国の最後だ。
南関御茶屋(御客屋)は、嘉永五年(1852)に完成したもので、藩主が参勤交替する時や、領内巡視の際に休憩・宿泊していたもの。東海道などの宿場町でいえば本陣に当たる建物だろう。

南関宿から国境までの街道筋は、九州自動車道によって寸断されており、ほとんど歩けない。
久しぶりに交通量の多い国道に出て、「特産品センター なんかん いきいき村」へ。ここでも休憩。近くの道の駅を見てきた妻によれば、こちらの方がずっと活気があって、地元の産品が色々置いてあるそう。

再び街道筋に戻り、十一里木跡。

急坂の道を下って平地に出たところが、肥後の国と筑後の国の国境。今の熊本県と福岡県の県境でもある。ここには新旧二本の境界石が建てられている。下の写真=古い方は江戸時代初期に建てられたもので、上部は折れて残っていない。新しい方は江戸時代末期に古い方が折れたために建てられたもの。

筑後の国に入り最初の集落を過ぎると、九州自動車道沿いのあまり使われていなさそうな道となる。この辺りは松風の関と呼ばれる関所のあった場所だ。7世紀、街道が整備されたときに置かれた関所で、平家物語に大津山の関として出てくるのがここ松風の関だそう。鎌倉時代辺りまではここが肥後と筑後の国境だったのだ。戦国時代には合戦の度に国境が動いたが、1601年以降は今の境に固定され、ここが国境になることはなくなった。

肥後内では熊本城以北の街道はずっと豊前街道となっていたが、松風の関の案内板では筑後の国と肥後の国を結ぶ街道とだけあり、名前はなし。筑後では何と呼んでいるのかなぁと思っていたら、薩摩街道という看板が出てきた。

要川(かなめがわ)古戦場は、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門が源氏の追討軍と最後の決戦を行ったとされる地。壇ノ浦の戦いが最後と一般には言われているが、その後も続いていたようだ。この近くで今日最後の休憩。

原町宿があった場所も特に何もなく、立札もないので、気が付かずに通り過ぎてしまった。薪の値段の写真を撮った辺りが原町宿であったよう。

みやま市は2007年に3町が合併してできた新しい市だ。3町のうち一つが山川町。その山川町の特産品がみかんである。

野町天満神社は2つの鳥居が並行に並ぶ珍しい神社だ。

18時半、本日の徒歩旅終了。道の駅みやまで泊まるつもりで、その最寄りの交差点で終了にした。今日も31キロだ。
その後に温泉に入るため、「川の駅船小屋恋ぼたる」に移動する。1824年開湯の船小屋鉱泉の温泉館は、気持ち良い炭酸泉だった。外のベンチで夕食をとる。車中泊するにもこちらが道の駅より良かったので、そのままそこで車中泊。