Day11 瀬高-柳川-大川-諸富-境原 24km
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地図**
最終日、5時半に起きるも、ゆっくり朝食をとり、川の駅船小屋を出たのは6時半。昨日の瀬高から歩き始めたのは6時50分だ。30分ほど歩くと瀬高宿だった辺りに入ってくる。まずあったのが伊能忠敬の測量基点。1812年に伊能忠敬の測量チームがこの辺りを測量した時に、基準にした場所だそう。薩摩街道から南に分岐する三池街道との追分を基準点に選んだそうだが、分岐はなく、三池街道は分からなかった。

瀬高宿は矢部川を挟み、下庄と上庄に分かれていたそうで、この辺りは下庄地区。古い伝統家屋もいくつか残っている。

矢部川の渡しのあった場所に橋はないので、国道443号の橋を渡って、上条地区へ。

こちらの方が伝統家屋は多く、神社や寺も多くある。写真は上庄八坂神社。

上庄の中心部で薩摩街道は鋭角に曲がっている。直進は柳川に進む柳川瀬高道となる。薩摩街道は北上し、長崎街道と合流したのち、小倉までとなっている。薩摩街道にこだわってはおらず、日本の街道を歩いてその道筋をつなげたいと思っている。長崎街道と合流するまでの場所よりも、柳川や筑後川昇開橋を見たいと思ったので、ここで薩摩街道から離れ、直進。佐賀で長崎街道に合流する計画だ。
分岐に着いて案内板などを探すが一切ない。地図を見ていて意識をしていたので、場所は分かったが、通学時間帯で、見守りの人が多く、写真は撮りづらかったので、そのまま進む。
宿場町を離れ田園地帯に入る。この辺りも黄金の麦畑だ。熊本県ではまだ収穫していなかったが、この辺りでは収穫が始まっていた。歩いている時は違いを知らなかったが、あとで調べたところ、この写真は大麦だ。大麦は穂から伸びるヒゲが長く、まっすぐ上に高く突き出ている。それに対し、小麦はひげが短くて不揃いなのだとか。

一里石跡。柳川から一里の場所に建てられた石柱。1701年に柳河(柳川)藩が設置したものだそう。

水郷柳川として知られる柳川は、市中縦横に水路が巡らされている。2015年に国指定の文化財として指定されているが、その名称は「水郷柳河(すいきょうやながわ)」。明治から昭和にかけての詩人北原白秋の詩での読み方が「すいきょう」で、それを採用したとのこと。柳川の海岸部にある沖端村で生まれた北原白秋は柳川が故郷で、市内を舞台にたくさんの詩作を残した、と案内にある。しかし、薩摩街道の熊本県側に北原白秋の生家があったはず???

柳の木に石畳、そして水路。まさに詩歌の世界だ。

三柱神社の入口が水郷観光船乗り場になっている。中国語を話す団体が列をなして乗船してゆく。

三柱神社で休んだのち、再び市内を歩く。市内には何か所か乗船場がある。

柳川からの街道基点となる札の辻があった場所に、辻町道標があった。三池街道と柳川瀬高道の分岐と勘違いして、ここを直進してしまった。しかし、これから進む肥後街道はここで曲がるべきだったよう。

もう一つ先の分岐で右折し、城内を出たところで肥後街道に合流する。今日は最高気温の予報が34度。どんどん暑くなってくるころから街道筋は交通量の多い国道208号に合流した。
11時を過ぎて、マクドナルドで昼食をとる。充電をする必要もあり、今日も昼休みは1時間以上。

マクドナルドの先で街道筋は再び国道から離れ、ホッとする。主要街道ではないのでこの辺りを歩いた人の記録は見当たらず、歩く道は明治時代の地図で決めていた。しかし、歩いたまっすぐの道は明治にできた道で、肥後街道は途中で分岐していたのだ。昔の街道筋なら見ることのできた江戸時代の家屋や藩境の石列などを見逃してしまった。
13時半に筑後川昇開橋に到着する。しかし、なんと月曜日は休みで、渡れない。先月まで架道橋の故障で長らく渡れなかったのを4月18日から再開したことや、9時から21時までしか渡れないということは調べてあったが、休みの日があるとは…。予定が完全に狂った。橋の入口まで行ったが、あまりよく見えない。車で逆側へ行って先へ進むことも考えたが、それでは道がつながらない。駐車場で地図を見ながらルートを再考する。歩いて渡れる橋に迂回し、そのまま北上。長崎街道への合流点は佐賀宿ではなく一つ東の境原宿に決めた。
再出発は14時半。少し歩いたところは、筑後川昇開橋のフォトスポットとして知られている場所である。
筑後川昇開橋は全長570メートル、1935年に完成した国鉄佐賀線の列車のための橋だった。日本で現存する最古の昇開式可動鉄橋で、橋脚と橋脚の間が約26メートル、そこに架けられた約24メートルの可動橋が約23メートルの高さまで上るようになっている。完成当初は船舶優先で、列車が通る時のみ架道橋が下げられたそう。
1987年、佐賀線廃止と同時に橋は使われなくなるが、1996年に遊歩道として再生された。

国道208号線まで迂回し、大川橋で筑後川を渡る。川が今の県境であり、昔の国境でもあった。筑後の国が終わり、ここから肥前の国となる。長崎街道まで残り6キロほどだ。

最短の道は歩かず、明治時代の地図にある道を進んでいく。大堂の辺りには古い建物もかなりあった。

最後の蓮池集落で残り2キロ。16時近くになり、影が延び、暑さが和らいできた。

16時過ぎ、4年前に歩いた長崎街道に合流し、ゴールイン。足を痛めて以降、昔のような距離を歩くことはできないが、無事に計画通りの日数で今回は歩け、ホッとする。
まずは吉野ヶ里温泉の卑弥呼乃湯へ。歩いた後の温泉は本当に気持ち良い。今日はもう時間を気にしなくて良いので、サウナもじっくり3セット楽しんだ。
スーパーで買い出しし、道の駅かみみねで、ディナーを楽しんで、就寝。