Day7 田浦-日奈久-八代-氷川 32km
体調の問題などで1年以上中断した薩摩街道歩きをようやく再開する。
朝6時に前回歩き終えた道の駅たのうらを出発。3分ほどで前回の薩摩街道終着点である御立岬入口交差点へ。ここからが薩摩街道歩き再開だ。

薩摩と江戸を示す街道歩きの人のための道標。こういう整備をしてくれていると安心して歩け、ありがたい。

歩き出し、25分ほどでまた看板のある分岐。左が明治に造られた車道の峠道で、右が江戸期から続く街道筋の分岐だ。

しばらく進むと十六里木跡。熊本城まであと56キロ。

コンクリート舗装された道なので車の行き来があるかと思ったが、竹や木が倒れたまま。

行く手を砂防ダムが遮っている。古い地形図では街道は直進。現行の地形図では道がここで切れている。直進はできそうになく、左にカーブする道を進む。

2度ほど大きなカーブをして元の谷筋に戻ってきた。そのままの道を進もうとしたら、廃屋の裏手に薩摩街道の道標を発見。砂防ダムができるまでの街道筋は、今あるコンクリート舗装の道でなく、そちらのようだ。

葉奥野の裏手に続く旧街道らしき道を進む。

橋が架かっていたが、腐りかけており、もう何時落ちてもおかしくない状態に見える。

だんだん道かどうか怪しくなってくるが、地蔵さんを見つけ、正しいのだと安心する。

砂防ダムの上で別れた古い車道と合流する。防災のための地図があり、現在位置は確認できた。過去に歩いた人の記録を見るとここから明治時代の国道までは古い車道沿いにつづら折りを登っている。

しかし、古地図を見ると街道は直進だったようだし、林の中を進めそうにも見える。迷ったが行けるところまで進むことにする。

そして再び立ちふさがる砂防ダム。先人がこちらを歩いていないのはこういうことなのだ。

戻るのも面倒なので、道なき斜面をよじ登っていく。何とか無事にダム上部に到達した。

さらに山道を進み、7時前に明治の車道に合流する。

すこし旧国道を進むとついに赤松太郎峠に到着。峠の道標は朽ちて、ポールがあるだけだった。出発してここまで1時間。

しばらく下った分岐で旧街道へ通じる道へ入る。ここには看板もなく、旧街道の雰囲気もないので、事前に調べていなければ、見逃すところだ。

分岐から2分も下れば道は尽きる。古地図で出てくる旧街道はもう少し谷の底に近い場所だ。

道なき斜面を落ちそうになりながら慎重に下る。しばらくして以前整備したのであろう印が出てきたのでほっとする。

しかし、この先も崖に設置されているロープは引っ張れば切れるし、完全に崩れて通れない場所も多い。数メートルを迂回するのに道なき斜面をよじ登る羽目になるので、結構大変だった。直線にして150メートルほどを進むのに15分かかり、服はどろどろになってしまった。道が出現し、建物や畑が見えたときはほっとした。

薩摩街道の最難関と言われる赤松太郎越えを無事に終了。道なき道を進む場所はもうない。ほっとして最初の見どころである須田眼鏡橋で大休止する。
この辺りの薩摩街道沿いを流れる二見川には6基の石橋が現存している。その最上流部にあるのが、須田眼鏡橋。1849年に建てられたものだ。

次の大平眼鏡橋は1850年代に架橋されたもの。アーチの上部が他の橋に比べ明らかに分厚い。これは、昭和40年代の初めの道路整備の際に高さが合わなくなったために、石を積み増しした結果だ。おかげで今も使い続けられている。

赤松第一号眼鏡橋は1852年の架橋で、6基の中でもっとも保存状態が良い。欄干残る色々な彫刻が面白い。

薩摩街道十五里木跡を通過。二見川の石橋6基で最も下流にかけられたのが新免眼鏡橋だ。1853年の架橋。

国道ではなく、旧道をのんびり歩くのは楽しい。しかし、最後に国道と合流するところが施錠されており、数百メートル迂回させられ、気分的に疲れた。

国道3号は交通量が多いのに歩道がないところもままあり、気が抜けない。海沿いの道になり、天草諸島が見え、気持ちが癒される。

海辺から離れるところで、十四里木跡。

日奈久の温泉街入口で国道3号から逸れ、温泉街に入ってゆく。

日奈久の有名な立ち寄り温泉施設のばんぺい湯の足湯に入る。しかし、この時まだ9時50分。温泉施設オープンは10時からで、お湯を流しだして時間が経過しておらず、すごくぬるかった。車で伴走してくれている妻がこの先のスーパーで待っていることもあり、5分も入らず。

街道筋には趣きのある建物も多く、歩いていて楽しい。

宿場町で残る伝統的な商家は、酒屋、醬油屋、味噌屋が多い。名物ヒナグみそを作る丸谷商店は、大正3年に創業の麹屋から始まったという。

10時過ぎに妻とスーパーで合流。朝食が早朝の5時だったので、早い昼食をとる。

30分ほど休んで、徒歩旅再開。ここからしばらくは国道3号を歩く。敷川のあたりで少しだけ裏道になるが、すぐにまた国道に戻る。日差しが強くて非常に暑いが、中々日陰の休息場所もない。たまらず高速道路の高架下の日陰で休憩。歩道のアスファルト上に座り込むしかないが仕方なし。

肥後高田駅のあたりで国道を逸れ、街道は住宅街へと続いていく。奈良木神社は平安中期の1005年創建、室町時代の1398年の再建を経て、江戸時代の1863年に現在の姿になったという由緒ある神社。日陰の休める場所も多く、ありがたい場所だ。

13時半に八代市で妻と合流。車でガソリンスタンド経由で昼食へ。
のんびり2時間休んだのち、再出発。市街地を出るあたりで薩摩街道十里木跡を通過。

エアコンの効いた店で休み過ぎたためか、暑さが耐え難い。歩き出し40分しか経っていないが、木陰で休める場所を見つけて、つい休んでしまう。

龍峯地区には古墳や名水がいくつかあるが、すべて街道沿いから少し入ったところ。街道沿いの看板はその入り口というものばかりで見える場所にない。午後で疲れていることもあり、立ち寄る気にならない。九里木跡を通過する。

栫馬之神(かこいうまのかみ)は、1587年に薩摩攻撃のために来た秀吉の愛馬が、ここで亡くなり、祀られたもの。

この日は街道沿いにある道の駅竜北まで歩く予定だったが、道の駅竜北と道の駅東陽を下見してきた妻が、東陽の方がずっと良いというので、東陽都の分岐で、歩くのを終えることにする。
1832年に建てられた旧井芹家、現在は氷川町まちつくり酒屋として使われている建物の前で本日の徒歩旅終了。足を痛めていることを考えれば、32キロは頑張ったかな。18時過ぎでまだまだ明るいので、あと数キロ頑張って道の駅竜北まで行きたいが、空が真っ暗になってきたこともあり、あきらめる。

氷川町まちつくり酒屋の隣は、旧井芹銀行本店で、大正14年に建てられた建物。1階は氷川町出身の元プロ野球選手秋山幸二のギャラリーとなっている。

スーパーで買い出しし、道の駅東陽に向かう。途中で激しく雨が降り出し、道の駅竜北まで歩かなくて良かったと思った。
まずは道の駅東陽にある温泉夢あかりへ。気持ち良い温泉でゆっくりしたかったが、営業が20時までで時間が足りず、残念。しかも、20時に温泉設備の建物を閉めると道の駅内には休む場所もない。疲れており、車内で食事し、さっさと寝たいところだが、道の駅竜北も見た妻が、道の駅竜北に移動を主張する。仕方なく、移動。
道の駅竜北で夕食にありつけたのは、20時半。明るい休憩所には畳もあり、確かにこちらの方がゆったりと食事はできた。鹿児島を歩いているときに味を占めた鳥刺しがここでも売っていたので、購入。やはり、うまい。
