Day6 湯浦-佐敷-田浦 17km
前回歩き終えた湯浦の橋を13時15分にスタートする。江戸時代の薩摩街道は肥薩オレンジ鉄道の東側だが、今は道がない。一番近い道は線路の西に沿った道だが、看板はもう一本西の川沿いの道にあったので、そちらを進む。10分ほど進んだところで高速をくぐり、その先の踏切で右折し、登り坂に入る。湯治坂と呼ばれる小さな峠越えだ。湯地坂の登りも尾根沿いだった江戸時代の道はなく、昭和に造られた車道を進む。峠は昔からの場所で、湯地坂板碑が設置されている。この板碑はこの道路建設時である昭和49年に発見されたもので、1480年建立の記録があるという。

下りはほぼ江戸時代の薩摩街道と同じ場所にあるが、古い地形図では消えていた道で登りと同じく昭和の道である。山から下りて集落まで来たところに19里木跡の道標があった。

佐敷(さしき)中学校前の角から先が、旧佐敷宿。佐敷は薩摩街道の最難所ともいわれた佐敷太郎峠を控えた旅人で賑う宿場町であり、また人吉盆地から最も海に近い港町としても栄えてきた。メインストリートには当時の白壁土蔵造りの家並みがいくつか復元されている。その一つである桝屋は、芦北町薩摩街道佐敷宿交流館となっている。

明治42年創業の岩永醤油は復元ではない伝統的なたたずまいの建物だ。

佐敷太郎峠の道も長らく使われないまま消えていたそうだが、ここ数年は再び通れるようになっているという記録がネット上でいくつか見つかった。ただ峠の南側にある工場の部分は、一般の通行は禁止であり、事前に許可をとる必要があるとのこと。それでも道が消えて迂回しなければならない場所も多いよう。写真を見てもあまりワクワクしなかったので、明治時代に出来た旧国道を進むことにする。くねくねと登って行く車道で、距離は長くなるが、非常に歩き易い道だ。高度をあっという間にあげて、佐敷の今の中心部がよく見える。こちらは鉄道駅やホテルがある側で、宿場だった場所は左の山の裏側となる。

峠にある佐敷隊道は、熊本県屈指の心霊スポットとして人気があるそうだが、そんな雰囲気は全く感じない。ただ長いトンネルで出口が最初から見えるのは非常に珍しい。中に入ってからは出口が近づく感じが中々しないとは思った。トンネル内に水が溜まらないように長いトンネルだと中央部が高くなっているのが普通だが、そういう配慮もないトンネルだった。

下りは海を見ながらゆっくりと下っていく。八代海は地図でイメージしていたのよりもずっと島が多い。

下界まで降り、国道3号線に合流する。球磨焼酎白岳の看板が連なっている。球磨焼酎といえば米焼酎。芋焼酎の薩摩焼酎と違うことを思い出し、熊本県に来たなぁと感じる。

夕方の八代海には干潟が広がっており、有明海と接する内海なので、こういうところも似ているのだろう。

何とか明るいうちに田ノ浦の道の駅到着。