徒歩旅

Day14 岡山-藤井-片上-三石 42km

**地図**
 前夜、岡山の知人宅で盛大な飲み会。翌朝は薄暗い時間に歩き始めようと5時すぎから起きていたが、パソコンを閉じようとするとWindowsのアップデートが始まった。途中で電源を切る訳にもいかず、出発が30分ほど遅れてしまう。アップデートの制御が出来なくなったWindows10は本当に困りものだ。それでも日の出頃には出発できた。
 スタートは奉還町のアーケード前。早朝なのでひっそりとしている。道はそのまま東に延び、JR線は地下通路でくぐる。さらに東へ進むとビルの向こうから朝日が射してきた。まぶしい。
17/03/24 06:22:02
 東海道や中山道を歩いた時は西に向かって進んでいる。疲れのたまった夕方、まぶしい日差しが正面から射してくると非常に辛かった記憶がある。しかし、朝の元気な時間の日差しは問題ないどころか、ポカポカしてきて気持ち良いくらいだ。
 岡山は城下町だけあって、街道は何度も曲がりながら続く。再び大きなアーケード街に入る。
17/03/24 06:46:50
 徳山や尾道など、山陽道がアーケード街を通ることがままある。岡山はこれで2度目だ。しかし、東海道や中山道で通ったアーケード街は中山道の草津(滋賀県)くらいしか記憶にはない。調べてみると、アーケード街は東日本よりも西日本に多いようだ。私の故郷である明石にもアーケード街はあるが、そこは山陽道より数本北にある通りで山陽道とは重ならない。
 岡山は路面電車の目立つ街でもある。広島の路面電車は有名なのに、なぜこちらはそれほど知られていないのか? 鉄道には詳しくないので分からないが、JR駅の正面出口で目立つかどうかなのか? あるいは単に広島市が観光で有名な都市だから?
17/03/24 07:01:16
 東岡山駅辺りまでの2時間は、基本的に街歩きであり、淡々と進んだ。東岡山を過ぎてJR線を越えると一気に田園地帯となり、すぐに岡山の次の宿場町である藤井宿となる。宿の手前に分岐がある。幕末、長州征伐の折、備前藩が長州征伐に赴く兵士を岡山城下入れないために開いた迂回路の分岐だ。「新往来」と呼ばれる新道だが、兵士たちに迂回させるなんて不満は出なかったのかとここで思った。しかし、別のところの説明でその疑問は解けた。新往来と名付けてはいるが、もとは江戸期以前の山陽道で、新道の方が近道だったのだ。
17/03/24 09:25:30
 藤井宿には古い立派な建物が多く残っている。
17/03/24 09:27:18
 まだ桜は開花したばかりのところが多かったが、中には満開の木もあった。
17/03/24 11:23:30
 岡山最大の河川である吉井川。
17/03/24 11:39:22
 川のたもとで事故があり、橋は大渋滞していた。何度か車で通っている橋なので、こんなところで渋滞したら嫌だなと思わず思ってしまう。
17/03/24 11:39:28
 吉井川を渡ると香登(かがと)の町だ。宿場ではなく間の宿だが、川渡しを待つ場所にあるのでにぎわった町だったようだ。古い建物も数多く残っており、特に目立ったのがこの醤油屋。建築年代は分からないが、明治38年(1905年)創業である。
17/03/24 13:24:56
 香登の東はずれにある大内神社の境内に一里塚があり、往時の石組みが残っている。神社の本殿は元禄16年(1703年)の建築だ。
17/03/24 13:29:52
 さらに進むと大ヶ池という巨大な溜池がある。平安時代の公文書にも記録があるという歴史ある溜池だ。
17/03/24 14:01:00
 伊部(いんべ)は備前焼の里として知られている。数多くの窯元が街道沿いに店を出しており、焼き物好きには堪らない町だ。アーティストの町だけあって、伝統家屋を店や工房にしているところも多い。
17/03/24 14:28:24
17/03/24 15:08:58
 伊部は昔から焼き物で賑やかだったが、宿場は山を一つ越えた片上にあった。伊部と片上の間にある峠が葛坂峠といい、峠には茶屋跡がある。
17/03/24 15:26:24
 片上は古い建物がほとんど見当たらないが、案内は数多く立っており、ここが宿であったことは分かる。
17/03/24 15:38:14
 片上まで街道は赤穂線沿いにあり、ここから山越えをして山陽本線沿いに抜ける。備前片上の駅から次の三石の駅までは10キロ以上あり、途中は商店さえあまりない道だ。ここで終わりにするには少し早いが、三石まで進むと日が暮れる。ここが思案のしどころ。といっても今日は進むつもりで岡山で前泊し、休憩時間も最小限に抑えてここまで来たのだ。あきらめようと決めていた時間より少し早いこともあり、進むことにする。
 思ったよりも歩きやすく、なだらかな道が続くが、久しぶりの長距離歩行なので足がきつい。自転車で走った時に立ち寄った閑谷学校(しずたに)への分岐に来た。5キロの標識が徒歩だと遠くに感じ、立ち寄りを考慮する気にもならない。閑谷学校は17世紀創立の日本最古の庶民のための学校だ。以前よりも歴史や古い建築物に興味がわいているので立ち寄りたいところだが、今回は仕方なし。
 18時半、なんとか明るいうちに三石宿(みついし)に到着した。春分の日が過ぎて日が長くなったので助かった。宿の入り口はJR線の煉瓦高架橋。
17/03/24 18:24:46
 古い建物もいくつかあるが、薄暗くなってきてまともな写真は難しい。前回カメラが行方不明になったので、今回は昔使っていた古いカメラを使用している。
17/03/24 18:25:48
 三石駅到着は18時40分。時刻表を見ると次の列車まであと2分。そして、その次までは1時間以上だ。あわてて切符を買ってホームに急ぎ、なんとか間に合った。久しぶりの40キロ越え、山陽道では14日目にして初めてだ。
17/03/24 18:37:32
本日の距離 42km
山陽道の合計距離 400km