徒歩旅

Day15 三石-有年-片島-正條-鵤-播磨高岡 42km

**地図**
 前回紛失していたカメラを実家で発見。最後の望みを託し、実家に戻るまでカメラを買わずにいたのでほっとした。しかし、今回は充電器を持ってきておらず、ひと月近く放置していたカメラは使えない。今回も昔のカメラとなってしまった。
 出発は7時50分。実家から朝一で来てもこの時間となってしまうのだ。写真正面の道が岡山からの山陽道で、今日は右に進んで行く。一昨日は薄暗い時間に急いで歩いたので気づかなかったが、ちょうど駅への分岐となる場所に一里塚跡があった。写真中央やや右の石柱に三石一里塚跡とある。
17/03/26 07:51:40
 ここからの道は船坂峠への登り道。国道に合流し、しばらく歩き、旧道は左の坂道へと入ってゆく。国道はトンネルなのでもう少し厳しいかなと思っていたが、難なく峠に到着した。ここが備前国と播磨国の国境であり、岡山県と兵庫県の県境でもある。
17/03/26 08:21:34
 この旧道は明治時代に掘削して掘り下げられており、斜面の上に古い国境の道標が見える。それを写真に収めようとしたところ、カメラが動かなくなった。電池はまだあったはずなのに電源が入らなくなったのだ。10数年前に買ったカメラだからさすがに寿命? 仕方ないのでここから先は携帯のカメラを使うことにする。スマホとの2台持ちをしており、スマホの方が若干良い写真になるかもしれないが、スマホは電池がダメになっており、モバイルバッテリーと併用しているので写真は撮りにくい。ここからふるさと播州、良い写真で紹介したかったが仕方なし。
 船坂峠を下ると梨ヶ原の集落となる。その先の峠が近年山陽道を歩く人々の間で難所といわれていた有年峠(うね)となる。以前は荒れ放題であったらしく、苦労して歩いた記録や道が分からなくなり引き返した記録などが出てくる。しかし、数年前に地元の人が整備してくれたので、今は無難に歩けるようになっているという。集落のはずれに獣除けのゲートがある。それを越えるといよいよ山道となる。要所要所に案内板があり、道は分かりやすい。春なのでまだ下草もそう多くはない。ちょっと平らになったところで鹿が飛び出してきてビックリした。野生の鹿を間近に見るなんて何時以来だろう。そういえば今朝のJRは、鹿と電車が唐突した事故でダイヤが乱れていた。峠には何の看板もなく、通り過ぎてからやっぱりそこが峠だったんだ確信。振り返って写真に収めた。
17/03/26 09:15:32
 下り道はなだらかで歩きやすいが、案内板がなく、進む方向に悩むことがままあった。道の整備を積極的にしてくれていたのは梨ヶ原側の人々なのだろう。下りで再び鹿に遭遇、今度は2頭のペアだ。出口にも獣除けのゲート。猪除けには高さがあると思っていたが、どうやら鹿除けのようだ。鹿のジャンプ力はすごいので頑丈で背の高い柵が必要なのだろう。
17/03/26 09:47:34
 有年峠を下った辺りは西有年といわれている。もともとの宿場はこの西有年にあったそうで、今も古い建物がいくつか残っている。街道からは少し離れるが、何度か訪れている沖田遺跡公園も見える。さらに進むと有年宿であった東有年へと入ってゆく。写真は有年家(ありとしけ)の長屋門。江戸時代の庄屋であった家で、この門は当時の姿を復元したもの。
17/03/26 10:38:12
 宿場が東へ移動したのは、千種川の川渡り待ちに対応するため。江戸時代は船渡しだったが、今はもちろん橋がある。
17/03/26 10:59:08
 有年の次の大きな町は相生である。有年宿から10キロ以上あるし、赤穂への分岐となる場所だったのだが、宿場とはならなかったようだ。
 相生から4キロほど進んだところに片島宿がある。歩きやすい旧道で趣きがある場所だが、特に賑やかということもなく、本陣跡の石柱を見なかったら宿場だと気付かなかっただろう。
17/03/26 14:02:42
 もし調子悪かったらここから電車に乗って帰ることになると思っていた竜野駅。竜野の町は姫新線の本竜野駅周辺であり、この辺りは揖保川町であった場所だ。ここも今は大合併で竜野市だが、沿線に住む身としては揖保川駅にすれば良いのにとずっと思っていた。ここから街道はJR山陽本線と離れてしまう。ここを逃せば15キロ先まで駅はないが、今日は調子よく歩けているので大丈夫だろう。
17/03/26 14:20:50
 駅を過ぎると正條宿だ。片島宿との間は18町、2キロもない。山陽道では御庄・玖珂本郷間と並んで一番距離の短い区間だ。正條宿は、室津港に向かう分岐点である。江戸時代、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に来て、そこから上陸して陸路を進んだため、正條宿は大賑わいで人がさばき入れなかったために、片島宿は置かれ、お互いが補完し、一つの宿のような機能を果たしていたという。それなら近いのは納得だ。こちらの本陣では明治天皇が休息された記念碑がたっていた。
17/03/26 14:29:02
 さらに東に進むと太子町へと入って行く。その中心部が鵤宿(いかるが)だ。聖徳太子が推古天皇より賜ったこの土地を法隆寺に寄進したのが606年のこと。後の平安時代、この地は法隆寺の荘園「法隆寺領播磨国鵤荘(いかるがのしょう)」として発展していったのだそう。太子や鵤は1400年の歴史ある由緒正しいものなのだ。写真は太子山公園のふもとにあるお堂。
17/03/26 15:46:16
 本日最後の峠が山田峠。明治の道を行ってしまえば良かったが、古い道を進んでみたところ、峠から先は道が消えており、現在の道に出るのに一苦労だった。
17/03/26 17:41:20
 峠を越えると姫路市に入る。青山町の辺りには古い建物が多く良い感じ。
17/03/26 18:13:04
 夢前川を渡るといよいよ姫路に来たという感じがする。
17/03/26 18:18:08
 姫路まで歩かず、本日は姫新線の播磨高岡で歩きを終了。素晴らしいタイミングで電車が来た一昨日とは真逆で、目の前で電車は出ていった。待合室もない無人駅のベンチで35分も待つ羽目になってしまう。
本日の距離 42km
山陽道の合計距離 442km