徒歩旅

Day16 上川口駅-福知山宿-菟原宿-檜山宿-京丹波 47㎞

**地図**
 まだ暗い4時45分に宿を出る。コンビニで朝食を買って5時6分の始発列車に乗るつもりだったが、睡眠不足のせいか食欲がなく、そのまま駅へ。駅に着いたら始発は5時4分。2分の勘違いだが、コンビニで買い物をしてギリギリに来ていたら乗り遅れていたところだ。
 上川口到着は予定通りの5時10分。夜明け前でまだ暗い。
19/04/25 05:13:00
 京に近づいてくると街道沿いの古民家の比率は増え、リノベーションして使っている建物が多い。立原集落のこの建物は音楽堂として使われている。
19/04/25 05:34:10
 牧集落で国道の逆側にコンビニが見えた。歩きだすと体が目覚めたようで、かなりの空腹を感じている。昨夜は周りにレストランがある街中の宿だったのでチェックインしてシャワーを浴びてから夕食に行こうと思っていたが、疲れて出るのが億劫になり夕食もとっていなかったのだ。道から離れてコンビニで軽く朝食をとる。
 街道筋には戻らず、国道9号が牧川を渡る橋のところで予定のルートに戻る。国道を横断し、京都丹後鉄道をくぐり、石本集落からの橋で牧川を渡った。
19/04/25 06:19:28
 川を渡った先はとても街道とは思えない場所で、少し戻ってから街道ぽい道に合流する。国道9号の橋を渡った方が街道筋に近かった。後で調べたところでは、ここから進んだ道も街道筋でなく、街道は国道9号を進んで、小さな峠を越えてから左の道に入っている。荒河集落の辺りで正しい道に合流。すぐ近くに京都丹後鉄道の荒河かしの木台駅が見える。昨日もう少し歩いてここで終える手もあったが、京都丹後鉄道は始発が遅いので止めたのだった。
 和久川を越えると福知山市の市街地となる。和久市と呼ばれていたこの辺りは、福知山宿の隣村で市がたった村。今もスーパーやコンビニそのほか商店が並んでいる。道幅の広いさんさん通りで左折し、直進すると大きな交差点から先が道幅が狭くなっている。ここからが福知山宿で、鋳物師(いもじ)町と呼ばれている場所だ。その近くの神社の片隅に道標がある。ただし、移転で場所はオリジナルとは違うそう。但馬と丹後が並べて書かれているが、但馬と丹後の分岐が先ほど間違って歩いていた道と正しい道の合流地点で、私は但馬から来たのに丹後からの街道筋から福知山に入ったのだ。
19/04/25 07:20:42
 鋳物師町を過ぎると寺町で、大きなお寺がたくさん並んでいる。
19/04/25 07:26:20
 寺町を過ぎると伝統家屋が立ち並ぶ下柳を経て、正面に福知山城が見えてくる。
19/04/25 07:31:44
 福知山城は初めてだったので立ち寄ろうかなと思ったが、建物に入れるのは9時からで開館前、昭和の復元ということもあり、待つこともないと、素通り。
19/04/25 07:43:46
 福知山宿を過ぎ、江戸坂と呼ばれる坂を上っている時に雨が降り出した。今日は降らないと思っていたのに~。意外に強い雨脚なので民家の軒先で雨宿りし、パソコンなど荷物のの防水を確認する。しばらくして雨は止んだが、今日は降らないと思っていただけに気持ちはかなり萎えた。
 もと長田村だった辺りは、車の少ない裏道で、立派な伝統家屋も多い。
19/04/25 09:03:56
 舞鶴若狭自動車道をくぐった先に、伊能忠敬が測量した道と現在の国道9号線の地図がついた案内板があった。下調べ不足で歩く道に確信がない状態だったのでこれは助かる。写真を撮って迷ったら見直すことにする。
19/04/25 09:25:38
 旧池田村の神社に巨木があり、巨木好きの私はフラフラと引き寄せられる。ちょうど前にベンチがあり、そこでひと休み。この木はかごの木とむくの木が寄り添って立っているもので、どちらも樹齢数百年ということだ。
19/04/25 09:42:26
 次の旧三俣村も古い建物が多く、趣きがある。ここは土師(はじ)川を越える安井の渡しのあった場所でもある。
19/04/25 10:05:20
 この2本の橋の中間に渡しの船着き場があったそう。
19/04/25 10:07:36
 橋を渡った先が百人一首にある「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」で知られる生野である。生野集落の入口に生野神社があるのだが、歩いてきた道だとちょっと外れている。おかしいなと神社に腰かけ、先ほど撮った伊能忠敬が測量した道を確認すると、また道を間違っていた。やはり連続で歩くからといって下調べを怠るとこうなてしまう。ネットで参照した2人が歩いたルートをスマホの地図に入れてそれを基本に歩いているので、それが違っているとこうなる。今日歩いた道はあまりにも間違いが多い。自分の地図を参考にする人が今後いたら申し訳ないので、地図には歩かなかったがたぶんこちらが正しいというルートを挿入しておくことにする。もっとも先ほど歩いた道は明治初期に出来た旧国道なので、旧国道をたどろうという人ならこちらが正しい道。自分がどういう道を歩くのか決めて歩くしかない。写真の建物も旧国道沿いからは外れているが江戸時代の道はこちらだったと思われる道にあった酒屋さん。
19/04/25 10:29:50
 生野以降も国道9号に入ったり、集落内の旧道を進んだりの繰り返し。旧千束村以降は伊能忠敬の地図もないので、また道が不安になる。
 菟原(うばら)宿に入ると伝統家屋もぽつぽつあるが、どうも宿場町の雰囲気がしない。おかしいなと思って調べるとここは明治に出来た道幅の広い旧国道で、昔の街道沿いにあった建物は旧国道ができた時に移築されたのだという。
19/04/25 12:46:04
 兎原宿の先が、本日のハイライトになるはずの細野峠である。先日歩いた蒲生峠越と並び、山陰道では2ヶ所だけ選定されている歴史の道百選に選ばれた道なのだ。こういうのに選定をされると道はもちろん案内板等が整備されるのでありがたい。サクサクと歩ける地道で、石畳も残っている。
19/04/25 13:28:18
 峠近くには昔から旅人ののどを潤してきたといわれる湧水がある。ここで私ものどを潤した。
19/04/25 13:29:20
 登り口や途中、そして峠の上と何ヶ所かにベンチがあるのだが、いずれも崩れているか、座ったら崩れるので座れない状態である。せっかくの整備もこれでは台無し。
19/04/25 13:36:32
 峠が境界で京丹波町になる。峠から降りで国道に合流したパーキングに公衆電話があり、ここで宿に予約の電話を入れる。朝の間は調子良ければもっと進みたいなと思っていたが、雨が降り出した時点でそんなに進めないだろうと判断。京丹波で街道近くで泊まれる宿は一つしかないので、昼食の時にネット予約をしようとした。その時、宿のオフィシャルサイトからの予約だと予約サイトと同じ値段なのにサービスのおにぎりが付くとあるのを知る。しかし、オフィシャルサイトからの予約は電話のみなのだ。携帯電話は持っているが、携帯からかけるとおにぎり代なんて飛びそうとその時は予約しなかった。公衆電話があれば電話、見つからなければネット予約しようと思っていた。ここならちょうど市内通話になるしラッキーと思ったが、電話に出ない。数分待ってかけ直したがやはり出ない。宿のやる気がかなり疑われる。もともと予約サイトの口コミがさんざんの宿なのだ。できれば先に進みたかったのはそのため。まあ仕方ないのでネット予約を入れた。
 京最後の宿場である檜山宿に到着。ここは一応宿場町の雰囲気がある。
19/04/25 16:51:16
 菟原宿から先、宿までの間にある食料を売ってそうな店はグーグルマップで見る限り2軒だけだった。それがいずれもこの檜山宿にある。しかし、2軒ともパンも弁当もない。宿はネット予約なのでおにぎりは付かないw うーんと思っていると近くにスーパーがあるよと店の人が教えてくれ、助かった。まだ宿まで距離があるので揺らして運んでも食べられる巻き寿司などを購入し、心配事はなくなった。
 宿到着は18時半。今日も長い一日だったが無事に到着。明日が最長距離となるが、何とかこれで京にたどり着きそう。