徒歩旅

Day17 京丹波-須知宿-園部宿-亀山宿-樫原宿-京 51㎞

**地図**
 朝5時に出発。外はまだ暗い。
19/04/26 05:03:56
 昨日街道筋から逸れた場所まで戻っても良かったが、違う道から山陰道に合流することにする。途中、旧須知(しゅうち)村の道路元票があるのでこちらの道を選んでみたのだ。しかし、この道路元票はなぜここにあるのかが分からない場所だ。街道の分岐でもなく、旧役場前でもない。道路元票で分岐している道は今も昔も主要路ではないが、強いていえば一番近い鉄道駅に延びる道ということだろう。
19/04/26 05:18:16
 コンビニで朝食をとり、京丹波町の中心、すなわち須知宿へ。古い建物が残り、宿場町の趣きが感じられるところだ。
19/04/26 05:46:32
 本陣のあった場所は、明治時代から約60年間は須知の役場として使われてきた。今は駐車場になり碑が残るのみ。
19/04/26 05:49:28
 道はだらだらと登り、観音峠トンネルの入り口に着いた。江戸時代にトンネルはなく、トンネルは明治初期の国道整備で整備されたもの。昔の登り口はトンネルのすぐ左にあったらしい。逆側からなら何とか峠までは登れたが下り道は消滅し通れなかったという最近の記録を読んでいたので、ここは素直にトンネルを通る。しかし、トンネル出口で旧道の降り口を見つけてしまった。歩いた人の記録はなかったが、行けそうなので入る。
19/04/26 06:56:50
 すぐ下が神社になっており、そこまでは普通に進めるが、その先は廃道だ。神社の敷地内で切った木が旧道に放置されている。朝で元気だし、久しぶりの晴天で気分が良いので、この道を進むことにした。
19/04/26 07:00:44
 長い間人の入ってない道らしく、進むのはなかなか大変だが、最初のうちは道が分かったのでゆっくりとながら進めた。水路で道が崩れたような場所に出、ここで道が分からなくなった。
19/04/26 07:12:14
 道らしき辺りは湿地になっており、その少し上のけもの道をGPSで確認しながら進んでいく。足跡は、イノシシと鹿、後は知らない動物だが、クマらしき跡はない。地形図でも湿地マークの場所に出る。旧道は湿地の向こうなので、歩けそうな場所を探し、湿地を横断。道の跡が見つかった。しかし、しばらく進むと道が土盛りに消滅している。上方の道路沿いに建物があり、その建築のために崩した土砂がたまったようだ。仕方なく山をよじ登り越える。農地が見えてきて、抜けたと思ったが、そこからが大変だった。農地には鹿除けの柵がしてあり、越えられそうな場所が全くない。柵沿いに進むも結局崖と川に挟まれて、にっちもさっちもいかなくなる。仕方なく引き返し、湿地を横断、これで靴はどろどろに。逆側もコンクリの水路があり、その際まで鹿除け柵があるので、少し上流に戻り、水路を越える。こちら側の山は竹林でタケノコ掘り放題だが、それどころではない。水路を渡って出られるところを探してひたすら進む。対岸の農地は終わり、柵はなくなったが、水路の幅が広く、深いので、いつまでたっても越えられない。四つん這いにならないと進めないところもあり、ズボンも服も汚れてしまう。なんとか水路を渡り、対岸に。廃車などのゴミが多い場所だ。
19/04/26 07:52:46
 汚いなーと思いながら進んだら、産業廃棄物処理場の中だった。汚い訳だ。
19/04/26 07:55:22
 旧国道を素直に進んでいれば30分もかからなかったはずの場所に、1時間かかってようやく脱出。疲れ果てたし、靴下を替え、少しでも靴を乾かしたかったので、路上で休憩をとる。今日は最終日で汚れたくなかった。楽しみはしたが、失敗したかな。
 旧上木崎村の旧道を歩いている途中で、不自然に旧道らしくない方向に用意している地図のルートが曲がっていた。立ち止まってしばらく考えたが、手元のルートに従って進むとしばらくして、道標がある神社に出た。あってたんだなーと思ったが、良く見るとやはり先ほどの道が違っており、篠山側から来たことになっていた。うーん、仕方なし。
19/04/26 08:20:50
 分岐から続く旧木崎村は立派な伝統家屋が多く、ここが園部宿かと思てしまうほどだ。京都に近づくと伝統家屋が当たり前に残っているからすごい。
19/04/26 08:27:32
 園部大橋を渡ると園部宿だ。橋のたもとには慶応2年創業という料理旅館石川楼がある。
19/04/26 08:30:40
 さらに園部宿の中心に歩を進めると約200年続くという旅籠旅館の合羽家がある。鬼瓦から文政(1818~1830)年間の建物と推測され、1844年の図面が残っているという。この旅館に泊まってみたく、最初は計画を立てていたが、昨日歩いたルート上に宿が見つからず、断念している。
19/04/26 08:39:00
 JR吉富駅近くの旧室河原村に入る。最初の家が立派で庭もきれいだなーと思ってみていると、その隣も向かいもすごくきれいにしている。歩を進めると村中の庭はきれいに剪定され、家屋もきれいに維持されている。これまで見たことのないようなきれいな集落だ。ここでは感動しながら写真を撮りまくった。しかし、ここで一軒だけ庭木の剪定を怠ったり、庭にものを出しっぱなしにしたりしたら、速攻注意されるだろう。そう考えると、とてもじゃないが私には住めない。
19/04/26 09:43:52
 次の旧鳥羽村の入口に、鳥羽宿に着いてという案内板があり、ここが江戸時代には山陰道の重要な宿場町だったと解説してある。今まで見てきた宿場一覧には鳥羽宿はなく、園部の次は亀山である。案内板によれば、江戸中期宝永年間(1704年~)に山陰道をこの地に移し、以降ここが宿場として栄えたとある。リストが古いのかと納得したが、ここにあった旧山陰道を調べてみるとそれまでは篠山経由が山陰道であったと読める。園部は福知山経由の宿場町で、やはりリストにないのはよく分からない。もともとリストの出どころが不明で、何が正しいのかよく分からない。案内板にも歩いた人の記録にも当時の面影はないとあるが、十分雰囲気のある場所だと思う。
19/04/26 10:01:50
 連日の疲れが足に来ているようで、いつもよりも早い時間だが、足裏が痛くてたまらなくなってきた。こうなると休み休み進むしかなく、後半がつらくなりそう。旧八木村は城下町のような鍵型に曲がる道が何ヶ所かあり、本当にあってるんかなと思いつつ進むが、伝統家屋は多く、雰囲気は良い。
19/04/26 11:02:32
 亀岡市千代川町の街道沿いには水路が流れ、落ち着いた街並みが続く。水路の水を利用していたころの石段がおもしろい。
19/04/26 11:55:52
 きれいなかやぶき屋根の家もちゃんと維持されている。
19/04/26 11:59:30
 旧小川村で右折し、JRを越えのどかな田舎道を進んでゆくと並河の町に入る。ここも何度も曲がる不自然な道が続くが、屋敷のような伝統家屋が残っている。
19/04/26 13:10:38
 亀岡宿に入る手前で篠山経由の山陰道と合流する。
19/04/26 13:42:22
 亀岡宿の中ではここが山陰道であることを示す案内板が何ヶ所もあり、気楽に街並みを楽しみながら歩くことができる。写真の西光寺は1177年開山の歴史ある寺。
19/04/26 13:48:34
 伝統家屋もたくさん残っていて、歩いていて楽しいところだ。
19/04/26 14:12:34
 JR馬堀駅から少し坂を上った先にある旧篠村も趣きある伝統家屋が並ぶ。
19/04/26 14:54:46
 そしていよいよ京に入る最後の峠老ノ坂に向かう。新しい道は橋が大きいが、昔の道は沢を渡るのに一旦下るため、何度かアップダウンがある。
19/04/26 15:17:34
 国道を横切り、車道通行止めの道に入ると広々した道に落ち葉が積もり、雰囲気の良い道となる。
19/04/26 15:44:18
 途中で高速道路に挟まれた道となり、そこだけきれいになっている。この部分だけは高速道路の道路公団が管理しているのだろう。
19/04/26 15:51:00
 結局、峠の上まで舗装路が続いており、難なく最後となる山城国に入る。ここから京都市でもある。
19/04/26 16:04:00
 下りはあまり整備されていない山道で、逆から来ると楽しそうな道だ。
19/04/26 16:07:06
 最後は京都霊園上の舗装路に出るが、案内板は一切なし。霊園に沿って歩いていると雨がまた降ってきた。最後なのになーと思いながら雨宿りする。
 一旦国道9号に合流するも、すぐに抜け道の様な旧道に。竹林が多く、ちょうど頭だけ出ている採り頃なのもたくさんあるが、掘った後が全くない。
 もう京都の中心部までずっと町が続いているが、そんな場所に最後の宿場町橿原宿がある。写真は本陣であった陣屋跡。
19/04/26 17:46:26
 こちらは「ばったり床机(しょうぎ)」といって、軒下にしつらえられた縁台で普段使わないときは引き上げて収納するようになっている。
19/04/26 17:48:48
 阪急桂駅の手前にある神社でひと休み。この時点まで今日は終わったら新幹線で新山口まで行き、山口で泊まるつもりでいた。山口の宿を予約する前にもう一度終電を確認したら、勘違いでもう間に合わないことが判明。がっくりして立てなくなるほど。京都のゲストハウスに泊まるしかないかと予約サイトで京都駅にいちばん近いところを予約しようとして、予約サイトですべて打ち込んだが、決心がつかず、最後にキャンセル。
19/04/26 18:04:38
 30分も神社で休んで、桂川を渡る頃には暗くなってきた。
19/04/26 18:41:02
 宿を決めないと宿をどうするかばかり考えてしまい、周りが見れないので、立ち止まって予約を完了。
 山陰道の終着点は京七口の一つ丹波口。今の七条通りと千本通りの交差点のすぐ北がその場所だ。19時50分にゴール。
19/04/26 19:49:34
 ゴール地点のすぐ近くにはひと月前に開業したばかりの西京都梅小路駅がある。当初は京都駅まで歩いて山陽道で歩いた道につなげるつもりだったが、この新駅で終了。駅前広場のベンチに座って山陰道で歩いた場所を色々思い出していた。山陰道は廃道が多く、それを歩くのが楽しくなったが、その分、今までの街道よりも大変だった。にもかかわらず、一日の距離が長くなったのは、観光をほとんどしなくなったからか。ま、めでたく完歩したので、すべて良し。