徒歩旅

Day4 小金井宿-石橋宿-雀宮宿-宇都宮宿-徳次郎宿-大沢宿-下野大沢駅 45.2km

 日光街道の4日目。梅雨入りしているので天気が悪ければ延期しようと思っていたが、一日中晴の天気予報で、実際に朝から空は晴れ渡っていた。前回と同じ始発に乗るために4時半出発し、前回同様に上野からの東北線の車内で妻の握ってくれたおにぎりの朝食をとる。
 前回は電車の時間ぎりぎりで急いでいたので気づかなかったが、小金井の駅前に大木があった。有名な岐阜県根尾谷の薄墨桜で、2004年に移植したものだそう。スタートは7時半、今日は半ズボンに肩掛け鞄という今までと違うスタイルにしてみた。夏に長ズボンで歩きすぎるとまたが擦れて痛くなるので、その対策で半ズボン。汗かきなので背中に荷物を背負うと夏はすぐにびしょびしょになってしまう。一度ウエストポーチにしてみたが、腰痛持ちなので腰の負担がいつも以上にあると非常に辛かった。という訳で肩掛けバッグである。今までのスタイルよりも明らかに歩きやすく、出だしから快調に歩けた。
 駅から数百メートル歩くと小金井の一里塚。街道両脇の塚が残っているが、そのいずれもが国道4号の西側にある。つまり歩いている国道4号は江戸期の日光街道ではない。実際の街道部分は完全に住宅地となって、この辺りは小道さえも残っていないのだ。
14/06/14 07:38:20
 一里塚の少し先の交差点辺りで、江戸期の街道は国道4号に合流し、その辺りからが小金井宿である。しかし、神社や寺以外には古い建物が残っておらず、ほとんど素通り。宿場を出るとまた旧街道は消滅し、一番近いとされる国道を進むこととなる。自治医大の手前辺りで旧街道部分が歩けるのだが、その入口は写真のような畑脇の私有地。
14/06/14 08:02:46
 畑を抜けるとパチンコ屋の駐車場、その先にやっと私有地ではない道があり、それを進んだのだが、実はこれが間違い。旧街道は現在工事中の壁の中だったのだ。この工事は、下野市の市役所建設現場。残っていた街道は市役所の建物によって消滅する計画のようだ。道が逸れて作られたのに気が付かず、この後しばらくは徐々に旧街道から離れる道を進んでしまう羽目になった。間違いに気づかず歩いていると、収穫寸前でたわわに実った麦畑があり、良い風景だなぁと思ったが、ここは日光街道沿いではかった。
14/06/14 08:31:46
 行き止まりになり、やっと間違いに気づく。遠回りとなったが、旧街道沿いの道に出るが、しばらく行くとこの道も行き止まり。ここで旧街道は消滅で、再び国道を歩く。
 本日2宿目は、石橋宿。石橋宿の手前で小金井同様に消えていた旧街道が、国道に重なってくる。ここでも神社や寺以外には古い建物が見当たらない。写真は愛宕神社。
14/06/14 09:18:32
 歩いた人のウェブサイト上で脇本陣の古い建物を見た記憶があり、ネットで確認するとその場所は空き地になっていた。保存活動の盛んな東海道に比べ、日光街道は古い建物が今も次々となくなっているのだ。宿のはずれ近くでようやく古い門を見つけた。
14/06/14 09:49:48
 宿を出ると再び旧街道は消え、国道をそのまま進むこととなる。下野警察署の辺りから旧街道がまた重なるようだが、そのまま国道を進むので違いは感じられない。3宿目の雀宮宿も街は新しくなっている。JR駅への交差点にあった旧脇本陣の家の壁が当時雰囲気を忍ばせるくらいだ。
 早目の昼食を11時頃にとる。30分ほど休んで店を出ると青空が消え、今にも振りそうな雲行きとなっていた。日差しがきつくなっていたので少しは曇らないかと思っていたが、雨は嫌だ。
14/06/14 11:42:18
 今日目立っている古い建物は写真のような石造りの蔵である。見た感じどれも中途半端に新しく、江戸期のものではなさそう。これは、宇都宮市西部に位置する大谷町付近で産出される緑色凝灰岩である大谷石を使った蔵で、宇都宮周辺のみに広まっている。宇都宮城にも使われたというから江戸期以前からあったようだが、建築年などの説明のある蔵はなかった。
14/06/14 12:20:32
 本日4番目の宿である宇都宮宿は、宇都宮城を中心とする城下町で、見どころも多い。前回までの計画では、4日目の午後は宇都宮でゆっくり観光し終わるはずだった。ここから終点の東照宮までは40キロ弱、5日目に近くまで終え、最終日は妻を連れて日光観光という予定だったのだ。しかし、先日行った尾瀬で妻は足の爪を痛め、10キロでも歩くのはしばらく無理そう。東照宮は何度か訪れており、一人なら時間をそんなに取る必要もなく、6日目はカット。次回で日光街道を終えることに決めた。となると行き帰りに時間のかかる最終日に40キロを残したくはなく、本日もっと先まで歩くことにした。問題はここから線路が遠くなること。田舎のバスはなるべく避けたいので、ここから20キロ先の大沢までが本日の予定となる。先はまだまだ長い。
 写真は奥州街道との追分(分岐)近くの旧家。もし、この先奥州街道を歩く機会があれば、スタートはこの地点。今日でなくとも、宇都宮の城下町を歩くチャンスはまだある。
14/06/14 13:05:30
 追分を過ぎてからはの清住町通りには、旧家がポツポツあり、やっと街道あるきらしくなった。
14/06/14 13:21:30
 清住町通りを過ぎ、国道119号に合流する辺りで、宇都宮宿は終了し、また新しい街並みが続くようになる。上戸祭辺りでやっと並木が連なる道が始まる。私にとっての日光街道は、杉並木のイメージが強かったので、やっと始まったという感じだ。写真は上戸祭の一里塚。
14/06/14 14:19:46
 杉並木の街道は日陰も多く、歩きやすい。ただ楽に歩ける距離を超えてきたので、足腰に痛みが出始めて苦しくなってきた。
14/06/14 14:59:22
 次の徳次郎宿は、下、中、上に分かれ三宿で一宿を構成していたという。読み方は、「とくじろう」ではなく「とくじら」、これは読めない。写真は、智賀都神社巨大ケヤキ2本(高さ40m、樹齢700年)
14/06/14 16:02:40
 徳次郎宿を過ぎる辺りから、足の付根の痛みが激しくなり、休み休みでないと歩けなくなった。急激にペースは落ち、終バスや終電の時間を気にしながら歩く羽目になる。写真は石那田の一里塚、江戸から30里の場所となる。
14/06/14 16:29:02
 大沢交差点からの終バスを目指して頑張ったが、あとすこしの場所で断念。時間的に無理とわかったこの石渡神社のベンチで暫しの休憩。携帯の電池もなくなってしまい、写真も取れなくなった。ここからは地図用に使っていた古いiphoneでの写真となる。
14/06/14 17:35:40
 日光市に入って国道がバイパスに分岐すると車道に車がほとんど来なくなった。道の両側に杉並木を見ながら歩いた方が気持ち良いのでしばらくは車道を歩く。
14/06/14 18:26:30
 大沢交差点到着は18時30分。終バスは18時と思っていたら18時7分だった。最後の大休止がなかったら間に合ったかも・・・。ここから街道を次の今市宿まで進むと駅まで7.5キロ。街道からはずれ大沢駅に向かうと2.5キロである。今日5キロ余計に歩けば、次回は10キロ短くて済む。交差点で座り込みかなり悩んだが、足の付根の痛みを考えると、今日の5キロは次回の10キロよりも辛そうである。それに、よくよく考えると最終日は伊勢の時も京都の時ももっと歩きたいと思ったのだった。ここで無理する必要は全くなかったのだ。このことに気づいてようやく下野大沢駅へ向かって歩き出す。しかし、この2.5キロは本当に辛かった。交差点で終わった気分になったためか、体が全然言うことを聞かない。おまけにブヨにいっぱい食われてしまった。半ズボンは長ズボンよりずっと歩きやすかったが、夕方の虫には困ったものだ。(でも次回も半ズボンが良いな。)途中のコンビニでカップ麺を食べ、別のコンビニでソフトクリームを食べと休みまくって、2.5キロに1時間位かかったが、最後はなんとか無事に下野大沢駅到着、終電の1本前に乗ることができた。
本日の距離 45.2km
日光街道の合計距離 97.3km + 45.2km = 142.7km
本日の出費 交通3510円 + 飲食1270円 = 4780円