Day5 下野大沢駅-大沢宿-今市宿-鉢石宿-日光坊中-日光駅 22.5km
足を怪我して予定よりも1ヶ月以上遅れたが、ようやく日光街道の最終日である。最終日は妻と歩くべく、短めの距離にしていたが、妻は体調が優れず断念し、一人での出発となった。前2回と同じ始発に乗るつもりだったが、宇都宮の乗り換え時間が長くなるだけなので気が緩み、一本遅い電車になってしまった。宇都宮でおなじになるはずだった電車だが、遅延し、予定より17分遅れで宇都宮駅到着。乗継列車は5分前に出てしまっており、40分も宇都宮駅で時間を潰すことになってしまった。どうせなら名物の餃子を朝から食べてやろうと2軒行ったが、どちらも閉まっており、吉野家で朝食。
予定より50分ほど遅く、前回終了した下野大沢駅に到着。ガラーンとした駅前。
電車遅れの影響は50分では済まない。今日の日光街道の起点である大沢交差点までのバスが2時間に1本もないのだ。2.5キロの道のりを歩かざるを得ず、出だしから予定よりも約70分遅れとなる。
大沢交差点から10分も歩かないうちに杉並木が見えてきた。今日の行程のほとんどに杉並木があり、夏でも快適に歩けるコースとなっている。日光街道といえば杉並木のイメージでいたが、実際にあるのは日光に近づいてから。今日はやっとイメージ通りの日光街道が続くのだ。
大沢からの道は車道が迂回しており、非常に歩きやすかった。この看板を見てこの先殆どの場所が車通行止めかと期待したが、通行止めはこの区間くらいである。
しばらく歩くと大沢一里塚。日本橋から32番めの一里塚である。並木の外側なので、余り目立たない。
水無でバイパスと合流し、まち中は一旦杉並木が切れる。その後すぐに杉並木が現れるが、国道はバイパスではなく杉並木の中の旧道を走っている。交通量は多いし、杉並木のお陰で歩道を作る場所もなく、この区間は歩き難い。並木の外側に歩ける道が見え隠れするが、整備されておらいない。大雨直後で道がグチャグチャだったので、車道の端をひたすら歩いた。
国道がバイパスに逸れ、再び気分良く歩ける道が始まった。ただし、ほとんどは車両通行止めにはなっていないので、時折車は来る。といっても未舗装なので、スピードは出しておらず、数も少ない。杉を見上げながら歩いても危険ではなく、素晴らしい散歩道だ。
杉並木沿いにはほとんど家もなく、集落の様子は余り分からないまま進んだが、前回から目につく石造りの蔵はこの辺りにも多いようである。
東武鉄道の線路を超えるといよいよ今市宿である。
今市の街に入ると祭りの準備で賑やかだった。追分地蔵の前には見事な山車が出ていた。
追分は日光街道と例幣使街道の合流地点である。例幣使街道は京から日光へ直接行く時に使われた道で、ここから中山道の倉賀野宿(群馬県高崎市)まで続いている。写真の右の杉並木が例幣使街道、左の杉並木が日光街道。
今市の中心部にある報徳二宮神社に立ち寄り、二宮尊徳(金治郎、金次郎)の墓を見学。東海道を歩いた昨年、小田原で同じ名前の報徳二宮神社に立ち寄っている。その時の記憶では相模の人だったはずと思ったが、相模生まれだが、後半生は下野国で活躍し、ここ今市で亡くなったそうだ。
日光街道には旧街道を示すものが少なく、どの辺りが宿の中心部かよくわからないが、こういう古そうな建物がポツポツある辺りが、宿の中心部だろう。
今市の中心部を過ぎると再び杉並木の道が始まる。この辺りは保護のために低くなった道を嵩上げし、杉と同じ高さにしている。それだけお金をかけるのなら、車両通行止めにして遊歩道として整備して欲しいところだが、そうもいかないのか。
街道沿いに整備された公園に、日本的でないふくろうの像が見えたので立ち寄ると朝鮮通信使今市客館跡だった。鎖国していた江戸時代にも朝鮮通信使は来日しており、そのうち3回は日光まで来ていたそう。
今市宿と鉢石宿(日光市街)の間は山が道の両側に迫りっており、バイパスを通す場所もなく、再び車道を歩くことになる。この区間で一番の大杉には並木太郎と名付けられている。幹周りが5メートル以上、樹高が38メートルという大木だ。もっとも街道の杉は約350年前に一気に植樹され、それが数多く残っているので、下から見上げて特にこれが見だっているという感じはしない。
JR日光駅を過ぎ、東武日光駅前まで来ると杉並木は途切れる。そして、人、人、人。夏休みの週末に日本を代表する観光地のメインストリートに入っただけあって、観光客だらけである。外国人の姿も非常に多い。全く観光客の姿を見なかったそれまでとのギャップが激しく、圧倒されてしまう。昼も過ぎて昼食を取りたかったが、観光客で賑わう食事処ばかりで入り損ねてしまった。
新しいきれいな店の並ぶ中にも古い建物がポツポツとは残っている。ゴールの神橋のすぐ手前にある日光物産商会は国の登録有形文化財に指定されており、日光のまち中では非常に目立つ古い建物だ。明治時代後期に建設ということなので、江戸期の建物はもう全くないのかもしれない。
日光街道のゴール神橋。日光街道のゴールは日光坊中とされている。これは日光東照宮を指しているが、当時の日光東照宮は現在の日光東照宮ではなく、東照宮・二荒山神社、輪王寺の二社一寺を指している。鉢石宿と東照宮=二社一寺の境界がこの神橋なのだ。なので日光街道の徒歩旅はゴール。
せっかく日光まで来たので神橋で引き返さず、先に進む。輪王寺は改修中、大いに写真を載せているのが笑ってしまう。
東照宮入口、ここより先は有料区域。以前に来たことはあり、もう一度見ようと思うには疲れていたのでここにて終了。
東照宮でお参りはしなかったが、その奥にある二荒山神社にお参り、道中の無事を感謝する。
帰路、磐裂霊水を土産に汲んで帰る。1200年以上前に発見された清水で日本で最もおいしい水として定評があるそう。看板に「日光のおいしい水」とあったので、ゴロが似ている六甲のおいしい水はこれを真似したのかと思ったが、調べてみるとどうも「六甲のおいしい水」が先のようだ。由緒ある霊水に商品名を真似るようなタイトルを付けなくていいのにとつい考えてしまった。
以上で日光街道の徒歩旅は終了。東海道で徒歩旅に慣れたこと、距離が東海道よりも短かったこと、見どころが東海道よりも少なかったことなどで、歩き切ったという感慨は正直なところあまりない。でも徒歩旅に飽きたかというとそうでもなく、帰路の電車でもう次はどこを歩こうかなどと考えていた。歩き旅にはじんわりとくる魅力があるのだ。
本日の距離 22.5km
日光街道の合計距離 142.7km + 22.5km = 165.2km
本日の出費 交通2370円 + 飲食1612円 = 3982円
*交通は18切符の一日分。本来は約7000円なので18切符を買ったが、有効期限があと2週間で、残り4回分を使うあてはない。