徒歩旅

Day3 幸手宿-栗橋宿-中田宿-古河宿-野木宿-間々田宿-小山宿-新田宿-小金井宿 40.9km

 日光街道の3日目、4時半に家を出たがすでに明るい。先日まで寒いと言っていたのに、もう夏至が近づいているのだ。始発の東京行きは意外に人が多かったが、上野からの東北線はガラガラに空いていた。車内で妻の握ってくれたおにぎりの朝食。栗橋駅で東武線に乗り換えて前回終了の幸手駅に到着。本当は都内で東武線に乗り換えれば10分ほど早く着くし、運賃も安い。しかし、今日は帰りの運賃を考え、JRの休日おでかけパスという切符を買ったので少し遠回りをしたのである。
 7時半に徒歩旅スタート、まずは前回終了の地点まで引き返す。そこからが幸手宿の中心部のはずだが、この宿には古い建物が全く残っていない。写真は本陣のあった場所だが、看板があるのみ。
幸手宿本陣跡
 宿場町を通りすぎて国道4号に合流、さらに歩くと権現堂公園が見えてきた。桜の名所として知られており、桜の季節にここまで歩こうかと当初は計画をしたが、丸々一月遅れてしまったので素通りである。行幸橋を渡り、再び旧道に入る。車の来ない道はやはり歩きやすい。田植えの終わったばかりの水田風景が心を和ませる。
水田
 国道4号をくぐって権現堂川に出たところで一休み。権現堂川は江戸期には利根川の本流だった川で、日光街道はこの河岸を通っていたのだ。現在は利根川からは締め切られ、権現堂調節池となっている。
権現堂調節池
 日光街道とされている道を外れ、権現堂川の末端まで行ってみると川妻給排水機場があった。地図を見る限り、利根川までの残り400メートルに水路はなく、現在は完全に利根川と切り離されてしまっているようだ。
川妻給排水機場
 再び国道4号を越え、旧道に戻るとすぐに栗橋宿である。写真のような古い建物は少しだけあるが、ここも今は新しい町並みとなっている。
栗橋駅
 そろそろ本陣跡の看板があるかなと思って歩いていると遺跡発掘現場が現れた。日曜日で作業している人はおらず、特に発掘現場の看板もないが、地図を見る限り、本陣があった場所と一致する。現場に説明がなかったので後でネットで調べたところ、やはり栗橋宿本陣の発掘現場で昨年の4月から半年の予定で始まったもの。利根川の強化堤防事業に伴う発掘調査のようだが、保存しないのだろうか。宿場町の雰囲気が失われている宿なだけに、これが保存されればかなり人気の観光スポットになると思われる。しかし、看板もないところを見るとそのような計画はなさそうで、残念である。
栗橋宿本陣跡発掘現場
 いよいよ利根川を渡る。流域面積が日本最大の河川なのでもっと幅広いイメージがあったが、思ったよりも狭い。ようやく日本橋から始まった武蔵の国を抜け、対岸からは下総の国である。下総ではあるが千葉県ではなく、この辺りは現在の茨城県となっている。
利根川
 利根川は日光街道最大の難所なので、川の両側に宿が成立した。下総側は中田宿である。中田宿は現在川原となっている場所にあったそうなので当然ながら当時の面影は全くない。写真の鶴峰八幡神社は江戸期には中田宿にあったもの。大正元年の利根川改修工事の際に、中田の町並みとともに神社も現在の場所に移転した。
中田宿鶴峰八幡神社
 古河宿も新しい町並みとなっており、宿場町の雰囲気は少ない。高札場跡や本陣跡は、看板と石柱があるのみ。しかし、写真のような古い建物がいくつかあるので、今日歩いたここまで4宿の中では宿場町を感じられる方である。
古河宿
 古河宿から野木宿まではわずか3キロ。古河市と野木町の境界は、下総国と下野国の境界であり、茨城県と栃木県の境界であるが、看板を見逃し、いつの間にか野木宿に入っていた。
 写真は日光街道と日光への脇街道の分岐にある野木宿分岐道標。ここから日光へは脇街道を通ったほうが近い。昔自転車で走り、素晴らしい杉並木があったのはこの脇街道の方である。東海道に比べるとここまでの日光街道は面白味に欠けており、本街道にこだわらず曲がってしまおうかとこの時本気で迷った。しかし、本道しか道を調べていないし、後で奥州街道も歩きたくなるかもしれない。そうなると奥州街道の分岐である宇都宮までは素直に歩いた方が良いと考え、そのまま本街道を進んだ。
野木宿分岐道標
 野木宿を出て一キロほど歩いたところに立派な長屋門があった。これを野木宿の写真にしようかと思ったが、やはり宿場町からは外れた場所のよう。
野木宿はずれの長屋門
 更に歩いていると大木が見えてきた。友沼八幡神社のケヤキである。ここは、将軍が日光との行き帰りに休む「将軍御休所」であった場所にあたり、このケヤキの推定樹齢は550年であることから、歴代将軍が目にしていたのと同じ木ということになる。
友沼八幡神社のケヤキ
 間々田駅近くのほっともっとで弁当を買い、近くの公園で遅い昼食をとる。この日の予定は小山までだったが、ここから8キロもない。今日は足も大丈夫そうなので更に先の小金井宿を目指して歩くことにした。駅前を過ぎたところに、古民家がある。これは、肥料問屋「車屋」を営んでいた小川家が明治末期に日光街道沿いに店舗や住居を移転した時の屋敷で、一部はそれ以前の乙女河岸から移築した江戸期のものと考えられている。現在は市立美術館となっている。この辺りからが間々田宿だ。
小山市立車屋美術館
 間々田宿の中心部にも古い建物はなく、本陣跡などに看板があるのみ。
 間々田宿と小山宿の中間辺りに見事な土蔵が見えた。国登録有形文化財指定の西堀酒造である。土蔵も素晴らしいが、ここの長屋門も素晴らしかった。
西堀酒造長屋門
 小山宿の入口近くには、明治天皇行在所跡碑があった。
 明治天皇行在所跡碑
 小山の街は今日歩いた中では一番の都会である。しかし、ここもそれほど見るべきものがない。予定通りここで終えるなら、小山城址にでも行ったのだが、先に進むことにしたのでほぼ素通りとなってしまった。
 両毛線を越えてしばらく歩くと旧街道は国道4号に合流しそうになるが、その寸前で非常に細い道となる。ここからはほとんど車が来ない住宅地で、歩きやすかった。体調は問題ないが、やはり距離が40キロ近くになってくると色々な場所に痛みが出てくる。東海道の時に限界まで挑戦し50キロまでは歩けることが分かったが、その時に爪を痛めた数ヶ月のあいだ後遺症が残ったので、今日は痛みが出てきたところで弱気になった。最後の新田宿にも見どころがなさそうだったので、少しでも距離の短い道を選ぼうかと迷った。でも分岐で思い直し、旧道沿いを進む。
 国道4号に合流する辺りからが、新田宿のあった場所となる。しかし、まあ予想通り古い建物はほとんど見当たらない。しかし、ここは本陣に古い門が残っていた。
新田宿本陣
 小金井宿の入口側にJR小金井駅があるので、小金井宿は次回の見学となり、本日の徒歩旅終了。久しぶりに40キロ以上歩いて疲れたー。宿場間の距離が短いこともあるが、本日は7宿通過、東海道で50キロ以上歩いて6宿通過した時を抜いて、過去最高となった。
本日の距離 40.9km
日光街道の合計距離 56.4km + 40.9km = 97.3km
本日の出費 交通2865円 + 飲食1053円 = 3918円