徒歩旅

Day3 神保原駅-新町宿-倉賀野宿-高崎宿-板鼻宿-安中宿-磯部駅 36km

 中山道の徒歩旅の3日目。今日も4時半過ぎに家を出て、5時15分の東海道線始発に乗る。いつもは一番後ろの方の車両に乗るが、この日は真ん中辺りにしてみたところ座れず。横浜駅からは座れたが、始発とはいえ意外に込んでおり、驚いた。東京と上野で乗り換え、高崎線の神保原駅到着は7時45分。東海道線で失敗したと思ったので、高崎線は先頭車両に乗ったところ、出口は一番後ろに近く。事前に調べておくべきだった。
14/11/08 07:50:30
 前回、行き過ぎそうになった駅と旧中山道の分岐は、看板もなく、明るい時間でも通り過ぎてしまいそうな交差点だった。歩き始め、しばらく行くと小さな地蔵や道祖神がならべてあった。朝はこういう名もないポイントもじっくり見るのだが、疲れてくる午後はいつも素通りしてしまう。
14/11/08 08:03:32
 埼玉県は深谷ネギなどで有名で、毎年都道府県別生産高の1位を千葉県と競っている。ネギ畑の向こうに見えるのは上州を代表する名山赤城山。やっと長かった武蔵野国が終わりに近づいている。
14/11/08 08:19:22
 武蔵と上州を分ける神流川(かんな川)の手前で旧道は国道17号と合流。その合流地点に残る土蔵手前のお宮の傍らに、武蔵野国最後の一里塚があったようで、碑が建てられている。
14/11/08 08:25:36
 神流川の県境は川を渡って少し進んだところになっている。一応堤防の内側なので河原部分ではあるが、流路の群馬側の河原にも住宅がある。
14/11/08 08:36:24
 堤防の外側に神流川古戦場跡の碑があり、ここでこの日最初の休憩。織田家の重臣で関東管領であった滝川一益が北条家と戦った場所だそう。
14/11/08 08:39:06
 写真は新町宿入口辺りの八坂神社にあった江戸期の想像図。今も赤い鳥居の神社だが、茶店はない。
14/11/08 08:48:14
 鳥川を柳瀬橋で渡ると高崎市だ。江戸期の川渡しだった柳瀬の渡しとされるあたりに、橋の土台のようなものが見える。
14/11/08 09:40:22
 街道歩きの旅人たちは橋を渡り切ると土手沿いの道を渡し跡の辺りまで右に進み、そこから旧街道を歩くのが通常のようだが、面倒に思って直進。すぐに旧道が右からくる交差点に出るのだが、のぞいてみると古い建物が多く趣きがありそうな道で、"しまった"と思った。しかし、戻ることはなく、そこから旧道を先に進む。
 倉賀野宿手前に分岐がある。これが中山道と日光例幣使街道の分岐。1647年から221年間、一度も中断されることなく毎年京から日光へ例幣使の派遣があり、往路は必ずここを通ったという。
14/11/08 10:08:50
 倉賀野宿には少し古い建物もあるが、宿場町の雰囲気を伝えるものは見当たらず、本陣は大きなスーパーマーケットになっていた。
14/11/08 10:16:34
 街道沿いに浅間山(せんげんやま)古墳があったので、昔の人も立ち寄ったかなと思い立ち寄る。関東では貴重な前方後円墳だが、きちんとした発掘調査はされていないらしく、古墳自体が私有地の畑と果樹園。私有地なので見学以外はダメとの看板があったので、入ってみたが、休める場所もなかった。
14/11/08 10:41:40
 上州の宿場で最も賑やかだったという高崎宿。ここには城下町ゆえの堅苦しさから諸大名の宿泊は敬遠され、本陣や脇本陣はなかったという。敬遠も何も大名が泊まれる宿がなければ泊まるはずはないだろうに、この理由は本当か?
 今は言わずと知れた大都市であるが、ビルばかりではなく、いくつかは古い建物も残っている。写真は明治15年頃に建てられた旧山源漆器店。
14/11/08 11:37:54
 高崎で昼食をとる。この食事がいけなかったのか、食後しばらくして水下痢になり、午後は結構つらかった。高崎宿の出口で再び鳥川を渡る。橋を渡ると国道18号から国道408号に入り、すぐにさらに狭い旧道に入る。この豊岡地区は車が少なくのんびりした田舎の町で歩きやすかった。高崎宿には本陣がないというのにこの宿場でない場所に茶屋本陣があった。宿場ではないので宿泊施設ではなく休憩施設だが、大名などの上級武士用の休憩所があるのは珍しい。これも高崎の本陣がなかった影響か?
14/11/08 13:25:00
 しばらく国道沿いに進んだ後、板鼻宿に入る。板鼻宿という名の交差点があったりしたが、特に目につくものもなく、宿は通り過ぎてしまった。街道沿いの建物の裏にあったと思われる水路が宿の出口辺りで街道と合流していた。水路沿いに道があり、その道を歩いた方が面白かったかもとふと思う。
14/11/08 14:19:40
 街中を歩いているときからバンバンずっとうるさかったのだが、碓氷川を渡るときに原因が判明。川沿いにクレー射撃場が見えた。住民は大迷惑だろうなと思ったが慣れるのだろうか。
14/11/08 14:24:34
 本日は東京で高校の同窓会があり、いつもより早く帰らねばならない。安中駅との分岐で15時を過ぎていたらそれ以上は進めないところだったが、時間は14時40分。もう一駅歩くと、少し遅れるが許されるだろう時間には着く。体調も戻ってきたので予定通りもう少し進むことにする。
 分岐を過ぎると再び碓氷川、橋を渡るとすぐに旧道は左に分岐する。そのまま進むと安中宿となる。安中宿では旧中山道の一本北側にある大名小路に、旧碓氷郡役所、郡奉行役宅、武家長屋などの見どころが並んでいる。中山道を忠実にたどることは目的でないので、大名小路を歩くことにする。写真は、旧安中藩郡奉行役宅。
14/11/08 15:02:20
 安中宿を過ぎると安中原市の杉並木がある。日光の杉並木と同じ頃に植えられたという。天保15年には732本あったというが、現存するのは14本。残った14本も元気はなく、これにプラス昭和60年以降植樹のものが54本並んでいる。日光杉並木を今年歩いたこともあって、あまりのみすぼらしさに心が痛んだ。
14/11/08 15:37:36
 本日のゴールは磯部駅。駅の周りは温泉街となっている。時間があれば日帰り湯、せめて足湯にくらい立ち寄りたかったが、時間はなく素通り。
14/11/08 16:21:46
 日帰り温泉に近くにあった看板。温泉記号発祥の地だそう。温泉街のどこかにその碑があるはずだが、そこに行く時間もなかった。
14/11/08 16:25:02
 磯部駅では何とか予定の列車に間に合って、一路東京へ。
本日の距離 36km
中山道の合計距離 96 + 36 = 132km
本日の出費 交通3250円 + 飲食1137円 = 4387円
*交通費は休日お出かけ切符+磯部神保原
*食費は昼のみで、夜の飲み会代(約6000円)は入っていない。