Day16 松阪市徳和駅-斎宮宿-斎宮遺跡-水池土器製作遺跡-伊勢外宮-宿 19.9km
JRの始発で出発したが、松阪市の徳和駅到着は13時過ぎ。遠くまで歩いたものだと思う。青春18切符なので鈍行列車、8時間かかったわけだが、途中のどの場所でもその付近を歩いた記憶がよみがえり、車窓を見るだけでも楽しくなる。いよいよ今日伊勢に着くのだ。
がんばれば日帰りも可能な距離だが、最後をじっくり味わいたく、本日は伊勢泊まりの予定である。
9月に入り涼しくなって、風が心地良い。熱射病の心配をする必要がないのはありがたい。常夜灯や格子のある家などこれまでも見てきたものがぽつぽつとある道を歩いて行くと、「禁酒の神 沖玉の夫婦岩」という石柱があり。どれだろうと探すと小さな石に小さな鳥居があった。ここに酒をかけて禁酒を祈願するそう。
さらに歩くと伊勢外宮まで四里の石碑。あともう少し、約4時間だ。歩き出した頃は4里=16キロをもう少しという感覚ではなかったが、歩く距離感も変わったのである。
残り三里の碑まで40分しかかからなかった。今日は快調でいつもより早く歩いてはいたが、さすがに1キロ10分はないはず。石碑の場所がおかしいのでは? もしかしたらこれがウォーキングハイというやつでめちゃくちゃ早く歩けていたのかも。
残念ながら絶好調は続かない。腹痛で苦しくなってきた。トイレに行きたくてもこの旧道沿いにはあまり店もない。駅ならと近鉄斎宮駅に向かうが、トイレは改札の中、駅前のコンビニもトイレなし。駅裏の斎宮歴史博物館にはトイレがありそうだったので、予定外に博物館に行くことにした。しかし、月曜で休館。遺跡は野外で自由に見学できたが、トイレを我慢した状態なのでじっくりとは見学できず。斎宮(さいくう)は、天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所だったということだが、すごく広い遺跡でビックリ。
斎宮で古代米の栽培が行われており、ちょうど収穫の時期。稲穂からも米に色がついているのがよく分かった。この赤米や黒米を日本では古代米といっているが、先日訪れた中国の雲南省で普通に栽培しているのを見たばかり。名前に少し違和感を覚える。
トイレは伊勢街道に戻ってすぐの竹神社にあった。きれいなトイレでほっとする。苦しかったがこのおかげで斎宮遺跡を観光できたと思えば良かったかな。
写真はこの辺りの民家の多くに取り付けられている門符。ほとんどは「笑門」とあるが「蘇民将来子孫家」とあるものも多い。牛頭天王を泊めた貧者の蘇民将来の説話は全国に伝わっており、蘇民将来の門符は災難よけとされているらしい。蘇民将来子孫の家の門では長いので、将門と略したが、平将門と紛らわしいので笑門となったらしい。
明和駅の近くで水池土器製作遺跡に立ち寄った。斎宮で使う土器が作られたとされる奈良時代の遺跡。そろそろ疲れてきていたのでゆっくり休めそうかなと思って立ち寄ったが、蚊が多くて早々に退散した。
宮川を渡るといよいよ伊勢の街である。日本の建物は屋根の方向と入口の関係で平入りと妻入りに分かれている。伊勢周辺に多い妻入は、切妻屋根両端の三角形になった壁面側に入口がある。伊勢神宮の建物が平入であるため、一般の民家が神宮と同じでは恐れ多いと遠慮したためと言われているが実際の理由は定かではない。しかし、妻入りの住宅が並ぶ風景は珍しく、この風景には伊勢に来たと思わせるものがある。
17時半に伊勢神宮の外宮到着。30年振りの伊勢神宮だ。まだ明るかったので参拝を済ませる。ここも伊勢神宮だが、お伊勢参りのゴールは内宮、残るは5キロ。
本日の距離 19.9km
合計の距離 514.2km + 19.9km = 534.1km
本日の出費 交通費2300円+食費395円+宿泊費2600円=5295円
*家から持ってきた弁当が多すぎで夜まで空腹感はなく、食事代はほとんどかからず。
*宿はゲストハウスのドミトリー。