Day17 宿-伊勢外宮-猿田彦神社-伊勢内宮-月讀宮-五十鈴川駅 6.7+5.1=11.8km
朝5時20分、携帯の着信音で目覚める。お伊勢参りの最終日の本日は、初めて妻が合流する。彼女は夜行日帰りのバスツアーに参加しているのだが、予想より早く着いたようだ。ツアーが外宮に来る前に私も外宮に着き、まずは一緒に参拝する予定である。
ドミトリーに泊まっていたので、そっと準備をし部屋を出る。出かけるまで1階の食堂でのんびりしようと思っていたら、そこにマットを敷いて寝ている客がいた。音を立てにくいなと気を使いつつ朝食をとっていたら、同室だったシンガポール人が起きてきて話をしてしまう。さらにヘルパーのカナダ人も起きてきて話をする。彼らは日本人と違って寝ている人がいても気にしない。まあ部屋で音をたてられない時間だから食堂に来ているのに、ここに客を泊めているのは宿側が悪い・・・ヘルパーは宿側の人だし。ドミトリー部屋の床には十分スペースがあったので満室でも泊めたいならまずそこに泊めれば良いのに。
今日は雨、昨日は快晴で雨の気配もなく、天気予報も晴れだったのに残念。8時前に外宮で妻と合流。昨日も参拝しているが、もう薄暗かったのであまり写真を撮らなかった、なのに雨とは。本日は表参道から入ったので、昨日とは逆順で参拝する。
今年は20年に一度の式年遷宮の年である。これは社殿を造り替える20年に一度の大祭で、建物の全てを建て替えし、さらに殿内の御装束や神宝を新調して、御神体を新宮へ遷す行事である。今年は第62回、ということは単純計算でも1200年以上前から続く行事、正確には戦乱でできなかった時もあるとのことで、第1回の式年遷宮が内宮で行われたのはなんと持統天皇4年=690年だそう。1323年前から続く由緒正しき行事なのだ。このために今年は参拝客が非常に多く、ツアーもたくさん出ているとのこと。
正宮の前にいくつかの別宮にお参りをするが、この別宮も今年の遷宮のために建て替えが進んでいる。写真は多賀宮、左の幕の中にある新しい建物が間もなく完成する新宮。
次の写真は、御池の川にかかる一枚岩橋で、その形からで亀石と言われている。パワースポットの一つだそう。
いよいよ正宮、左がほぼ完成した新宮だが、まだ近づけない。見える範囲では今と全く構造が同じで、真横にある。他に同じサイズの建物を建てる場所がなさそうなので、20年ごとに前の場所に建てているのだろうか。ということは30年前に来た時は左の場所にあったのか。
正宮の参拝場所からの写真撮影が禁止されている。鳥居の外から中を撮るのはOKで、次がその写真。右の建物が一般人の参拝するところ。左の場所から中の建物やその左の新宮が見える。
妻のツアーはこの外宮で1時間のフリータイムの後、バスで内宮へ向かい、そこで5時間のフリータイムとなる。私はその間約5キロを歩かねばならない。まだ妻の集合時間には15分ほどあったが、ゴールを目指し、先に歩き出す。
外宮前から少し歩くと道は上り坂になる。その坂の上が古市で昔は遊郭が軒を並べ賑わっていたところだ。東海道中膝栗毛で弥次さん喜多さんが「まだ宮めぐりもせぬうちに」「今宵これから古市へ行こかいな」となった場所で、お伊勢参りの影の目的地でもあったと言われている。その東海道中膝栗毛の中で、古市の遊郭に行くことを地元の人は山登りに行くと言うとあり、遊郭に行くことがどうして山に行くことになるのだろうと昔考えたのをこの坂で思い出した。単に古市が山の上にあっただけとは意外である。
古市の辺りにも昔ながらの建てもが多く、中には200年以上続くという旅館もあったが、雨足が激しくなりほとんど写真は残せなかった。
8時半頃に内宮の手前1キロほどにある猿田彦神社に到着し、ここで妻と再合流する。ここで有名なのが、古殿地と呼ばれる方位石。この文字盤の決められた方位の文字に手のひらを押し当て祈願すると願い事がかなうとされている。
猿田彦神社から少し行くとおはらい町通りと呼ばれ観光客で賑わう参道が内宮前まで続いている。美しい伝統家屋が立ち並ぶ非常に美しい通りだが、前回来た時は単なる商店街であった場所である。実は平成元年から10年ほどかけて江戸期の風情を再生させできた新しい街なのだ。しかしここの美しさは、伊勢参り最後の町並みとして、私の心を打った。伊勢神宮だって20年に一度立て替えている新しい建物、伝統的な方法で建てていく限り、昔の良さは十分に感じられるものなのだ。写真の右手前は郵便局、奥には銀行も見える。そういう建物もこの町並みづくりに協力した結果、ほんとうに美しい景観となっているのだ。
今回の徒歩旅では名物料理はほとんど食べてこなかった。街道から離れた場所に行くのが嫌だったのと体力を使っているので空腹になればすぐに腹を満たしたかったためだが、もう一つ理由がある。料理研究家を自称している妻との旅だと食が旅の目的の大きな部分を占めすぎ、このことに少し疲れていた。そのため一人旅であった道中は腹さえ満たされれば良いと考え食事をとってきたのだ。そして今日、妻と一緒にいる訳で、当然昼食は名物を食べることになる。でもまずは"内宮でゴール"のはずだった。しかし、赤福本店の前で妻が入りたそうにする。関西で育った私は「伊勢の名物赤福餅はええじゃないか」のCMソングが頭に染みついており、伊勢の名物といえばまず赤福である。数年前に発覚した偽装事件は知っていたが、それでも赤福は食べたかった。昼時に食べると昼食が入らなくなるかもしれないし、店も込んできそう。という訳でゴールの前に赤福餅を本店でいただきました。ちなみにこの建物は明治から続く伝統ある建物だそう。
赤福を出てちょっとのぞいたのが「ひもの塾」という乾物屋。店が開いたばかりで客がいなかったが、焼いた干物はすでにたくさん並んでおり、おばさんが食べろ食べろって言ってくれる。しかし、これが試食?って感じのサイズが並べてあり、戸惑ってしまった。あまりに勧めてくれるので一つ食べたら、これがめちゃ美味い!!! 土産に買って帰ろうかなって思い全部の種類を1匹づついただいてお腹いっぱい。この時買うのはニギスと決めたが、荷物になるので内宮参拝の後で戻ることにした。しかし、我々が出る頃には次々と観光客が来て皆パクパク試食を始めた。おそらく試食で有名な店なのだろう。
ついに内宮到着!
内宮にも参拝前に手を清める手水舎があるが、最盛期には毎日何万人もの参拝客が押し寄せたという内宮で、水道もなかった時代に手水舎で人をさばききれるはずはない。人々はすぐ近くを流れる五十鈴川で手や体を清め、参拝をしたという。その場所は今も手を清める場所として残っており、五十鈴川御手洗場と呼ばれている。
内宮の正宮も外宮と同じように参拝する場所では写真撮影が禁止。この階段の下が最期に写真を撮って良い場所である。この階段の上がお伊勢参りのゴールである。これで徒歩旅の第一弾(?)お伊勢参りの終了である。
内宮にもいくつか別宮があり、写真は荒祭宮。ここは20年に一度の遷宮をするために階段が東西2ヶ所あり、今はまだ新宮の方は登れなくなっていた。ここの説明ではやはり20年ごとに元の場所に新宮を建てているとあったので正宮もやはりそうだろう。
お参りをすませ、おはらい町通りに戻ってくると雨も上がった。朝とは打って変わって観光客だらけ。赤福もひもの塾も大人気である。
まずは乾杯しようと入ったのはおかげ横丁にある焼きハマグリの店。桑名から四日市にかけてはハマグリの名物だったらしく、東海道中膝栗毛ではどの村でもハマグリの店が並んでいるように書いてあり、食べたかったのだが今は街道沿いにそのような店は見当たらなかった。食べたかったのに食べられなかったものだったので、とりあえずこの店で乾杯をすることにした。店で飲みつつふと見ると「日本の老舗」という冊子ある。おかげ横丁はおはらい町通りと共に再生された場所なので店は新しいが、ここは桑名の舟町横町で享保年間に創業されて以来、十一代三百余年の長きにわたり、時雨煮を作り続けている老舗「貝新 水谷新九郎商店」の店だった。伊勢のハマグリでも良いかと思って入ったら、実は食べたいと思った桑名の伝統の味の店!
最後に伊勢うどんでしめようと思っていたが、途中でのぞいた酒造場に先ほど美味かった地酒の「老緑」があった。しかも一合320円でカウンターで試飲ができる。60円のおかきもつまみに置いてある。もう少し飲みたいところだったのでつい注文。やはり美味い。聞けばこれも300年の歴史を誇るブランドだとか。つい1升瓶を買ってしまう。
妻の集合時間となったので1升瓶を託し、再び一人に。まっすぐバスで駅に向かうことも考えたが、もう少し歩きたい気分なので、外宮の前にツアーが立ち寄ったという月讀宮に行くことにした。もう一度おはらい町通りを歩き、猿田彦神社の横を通って月讀宮へ。離れてはいるがここにも内宮の別宮が全部で四宮あり、右から二番目がここを代表する月讀宮である。
この後、スーパーに立ち寄って昼食と土産として食べ損ねた伊勢うどんを購入。近鉄五十鈴川駅に出て、伊勢市駅でJRに乗り換え、そこから18切符を使って帰宅した。
約4ヶ月の間に17日間も歩き、お伊勢参りが終了した。歩きやすい季節になったのでまたすぐに徒歩旅をしたい気持ちもあるが、少し休みたい気持ちもある。東海道の続きは歩く予定だが、徒歩旅再開は気持ちが盛り上がるまで一休み。
本日の距離 11.8km
合計の距離 534.1km + 11.8km = 545.9km
本日の出費 交通費2460円+食費1742円+その他2290円=6492円
*ゴールの内宮までは6.7キロ
*食費は2人で食べた分は半分で計算
*その他は土産と賽銭
*交通費は近鉄と18切符、伊勢鉄道に乗っているが寝ていて払い損ねた