徒歩旅

Day14 朝日駅-四日市宿-神戸宿-白子宿-上野宿-津市白塚町 37.5km

 中国・ベトナムの旅から戻って1週間経っておらず、疲れは残っていたが、夜行の快速「ながら」の指定席券が取れたこともあり、徒歩旅の続きに出ることにした。夜行とはいっても小田原から「ながら」に乗って早朝名古屋に着くまでは5時間なく、しかも満席の座席なので、そうは眠れない。そのためか、名古屋からの関西本線で熟睡し、気付いたら下車駅の一つ手前だった。
 6時15分頃から歩き始める。住宅街を抜けると朝日を横から浴びるのだが、異様に暑い。8月下旬、もう秋のはずなのに・・・。10分ほど歩いただけで汗だくになってしまった。
 40分ほどで間の宿である富田に着く。ここには明治天皇御駐輦跡の石碑がある。輦(れん)とは天子の乗る車のことで、明治天皇御駐輦跡とは明治天皇が車でここを訪れたことを意味する。明治天皇は、東海道を通って京から江戸に移動しており、ここまでにも明治天皇御休憩所はたくさんあったが、こんな仰々しい言葉を使っている場所は初めて見た。記憶違いでないことを確認しようとWikipediaで明治天皇御駐輦を確認したら、『明治天皇御駐輦碑(めいじてんのうごちゅうれんひ)は、福井県福井市稲多元町にある石碑である。』と断定されていた。しかし、実際には東海道の菊川や北海道の登別にもあるらしい。つまり菊川の石碑は見落としということ・・・。ここ富田の御駐輦跡がすごいのは、明治天皇が訪れたのは1回ではなく、4回ということ、よほど気に入ったのだろうか。東海道膝栗毛でも出てきた名物「焼きハマグリ」を明治天皇も食したということで少し食べたくなったが、歩き出してからここまで、ハマグリ屋どころかコンビニさえない。
明治天皇御駐輦跡
 富田は宿場町でもないのに、街道が直角に曲がる場所が3ヶ所もあり、その最後にあったのがこの力石。大きい方が大人用で32貫=120キロ、小さい子供用は5貫=19キロである。
茂福の力石
 旧道が国道1号に合流し、やっと食べ物屋やコンビニが現れ出した。朝食もとらずに1時間半歩いたのでかなり空腹で、またそろそろゆっくり休みたかったので、朝バイキングをやっているココスに入る。徒歩旅中というのに調子に乗ってたらふく食べ、当然飲み物も何杯も頂いてのんびり、朝食に1時間以上かけてしまう。
ココスの朝バイキング
 ココスを出たら9時を回っており、日差しは耐え難いくらい強くなっていた。ここで買ったばかりの折り畳み傘を日傘としてデビュー。帽子同様に傘もすぐ失くす私は、傘というものは基本ささず、濡れるか、雨宿りをするか、カッパを着るかだった。しかし、前回の雨に凝りて、数十年振りに傘を手に入れバッグに入れていたが、そのデビューが生まれて初めてさす日傘となるとは・・・。ところが予想外に日傘は役に立ち、これなら暑い昼間も歩けるかなと思い始めた。
 四日市といえばコンビナートだが、旧道沿いを歩く限り、古い家並みが程よく残った宿場町。工場は時折遠くに見えるだけである。
四日市コンビナート
 いよいよ東海道と伊勢街道の分岐である日永の追分にやってきた。ここは8年前にママチャリで来ている。その時は分岐を右、つまり東海道を京方面に進んだが、今回は悩んだ末に伊勢に向かうことに。道標に、「左いせ参宮道」「右京大坂道」とあるのが読めるだろうか? これは嘉永2年(1849年)建立の道標である。
日永の追分・道標
 この追分には名水として知られる湧水があり、地元の人がひっきりなしに水を汲みに来ていた。当然私もここでこの水を頂く。
日永の追分・湧水
 昼まではずっと快晴で、非常に暑かった。さすがに日傘があっても12時からは休んだ方が良いと木陰で休んでいたら、あっという間に雲が広がり、気温が下がった。夕立の黒い雲ではなく、空全体が白い。寒冷前線の通過で、急に秋の気配が漂ってきたようだ。完全にばて気味だったが、これで少し復活した。黄金色の稲穂が頭は垂れ、稲刈りもすでに始まっているというのに、昼までの猛暑はなんだったのか。やっと気温と景色がマッチしている。
黄金色の稲穂
 伊勢街道最初の宿は神戸宿である。この神戸は、「こうべ」ではなく「かんべ」と読む。江戸時代、ここには神戸藩の藩庁が置かれていた。そして、明治の廃藩置県の折には、そのまま神戸県となっている。私の故郷兵庫県が神戸県ではなく兵庫県となったのは、『安政の五か国条約によって兵庫港開港を約束しながら実際の開港地が神戸に変更されたために、諸外国から条約違反とする非難を避けるために「神戸」ではなく「兵庫」を県名に用いた。』との説を信じていたが、もしかしたら神戸県(かんべけん)との区別が付かなくなることも考慮されたのかも。また、同じ三重県の伊賀にも神戸(かんべ)という地名があり、そこにある駅名は伊賀神戸である。神戸市の神戸と間違わないように旧国名を付けているんだなどと勝手に思っていたが、ここには元々伊勢神戸駅があり、その区別だったのだ。ちなみに伊勢神戸駅は1963年に鈴鹿市駅と名称変更されている。
 写真は、神戸見附跡。藩庁が置かれていた宿だけあって、出入りは厳しかったのかも。
神戸の見付
 神戸宿には美しい格子のある旅館が街道沿いに2軒あった。築250年という加美亭は素泊まりで4000円から。日程的にここで宿泊となればぜひ泊まりたいと思いチェックしていたが、今日ここで泊まるにはまだ早過ぎる。
神戸宿加美亭
 伊勢街道2つ目の宿は白子宿、ここも格子のある旧家が街道沿いに並んでいる。
白子宿
 私にとって、白子といえば、大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)である。彼は、白子の港を拠点とした回船の船頭で、天明2年(1782年)に嵐のため回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。帰国許可を得るためにシベリアを横断し、当時のロシア首都サンクトペテルブルクまで赴いて、女帝エカチェリーナ2世に謁見。漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。鎖国時代に欧州まで行き、その見聞を幕府に伝えた人物として知られている。ぜひ光太夫の旅だった白子の港を見ておきたいと街道から外れ、白子の港を見に行った。
白子港
 神戸に続いて上野も伊勢上野と伊賀上野がある。伊勢上野もこの辺りの古い街らしく、格子のある家が多い。
伊勢上野
 津まで行って帰りの列車がまだあれば日帰りも考えていたが、もう時間的に帰れない。明日早朝から歩くことを考えて、本日は午前2時までしかやっていないスーパー銭湯で泊まることにした。津まではまだ1時間以上かかる場所だが、もうすぐ日は暮れる。スーパー銭湯は新しくできた郊外型ショッピングセンター内にあり、24時間営業の食事処やスーパーがあるし、少し歩けば24時間営業のネットカフェもある。18時半頃チェックインし、1時間半ほど温泉を満喫、その後は仮眠室で横になる。
本日の距離 37.5km
合計の距離 447.5km + 37.5km = 485.0km
本日の出費 交通費3130円+食費1088円+宿泊550円=4768円

*朝食のバイキングを食べ過ぎて、食事は昼夜抜き。持参した飲み物以外にスポーツドリンクを4リットルも飲んだ。
*温泉は定価700円、公式サイトよりクーポンをダウンロードして550円となった。
*前回まで迷っていた行先は伊勢に決めたが、終わったら日永の追分から京を目指すこととする。