徒歩旅

Day13 熱田駅-国道23号-桑名宿-朝日駅 32.7km

 江戸時代、宮宿から桑名宿は「七里の渡し」と呼ばれ、船で移動していた。しかし、すでに木曽川や長良川に橋が架かり、現在は定期船の運航はない。旧東海道をたどる旅人の多くは、この区間を電車で移動しているが、私は旧東海道にこだわっている訳ではないので、歩くことにする。距離的には国道1号と国道23号はほぼ同距離である。工業地帯である23号沿いは何度も車で走っておりつまらないことは知っているが、1号線も歩いた人の記録を見る限り魅力的ではない。過去に何度か訪問して、また再訪したいと思っていた温泉が23号沿いにあるので私は23号沿いを選んだ。
 夜行列車で名古屋に出て、3駅戻って前回終了した熱田駅に着いたのは朝6時前。小雨が降っていた。天気予報は曇りで熱中症の危険は少なそうでほっとしつつの出発だ。
熱田駅
 白鳥橋を渡ったところで国道1号と分かれ、国道154号に入る。分岐にはお地蔵さん。東の方で多かった道祖神を見かけることが少なくなり、愛知に入ってからはお地蔵さんが多い。特に今日の道は旧道ではないこともあり、お地蔵さんばかりである。
国道1号分岐の地蔵
 国道23号に入る手前で右折。少しでも国道以外を歩きたいが、この区間は大きな川が多く、橋の場所が限られているので、裏道を歩けるのは最初だけ。結局は2本の国道のどちらかを選ばなくてはならなくなる。時々雨足が強くなり、1時間も歩くとびしょ濡れになってきた。7時にショッピングセンターに入り、おにぎりを買って朝食とする。ベンチで靴下まで脱いで乾かすが、この天気ではどうしようもない。
 庄内川通過が8時頃、この道は川くらいしか写真を撮るポイントがない。カッパを着ており、視界も狭いが、歩く人もいない歩道なので気にならない。
庄内川
 日光川を渡る頃に前方の雲行きがあやしくなってきた。雨が強まりそうだと思ったが、雨宿りできる場所もなく突き進む。あっという間に豪雨となった。まるで熱帯地方のスコールのよう。ガソリンスタンドに避難するまでの数分ですべてがびしょ濡れになってしまった。
飛島村
 雨足が弱まったところで歩き出すが、内部までびしょ濡れの靴にトラブル発生。絞れば水の滴る状態の中敷きが靴の中で動いてしまうのだ。数分毎に靴を脱いで直さねばならなくなって、歩くペースが乱れ、疲ればかりが増してきた。立体交差になっている場所でやっと乾いた地面を発見し、思わず座り込む。靴を脱いで、靴下とソールを絞り、ついでに上着も一旦脱いで絞った。しばらく放心状態で、そこに30分以上はいた。その間に雨足は弱まり、周りが明るくなる。
 再び歩き出すとすぐに雨は止んだ。しばらくすると今日初めての日差し、もう雨は降らなさそう。10時すぎには温泉に着いて、暑い時間をやり過ごす作戦だったが、かなり遅れている。まだ気温が高くないので熱中症の心配はないと思うが、早く温泉に着きたい。
 愛知県弥富市から三重県木曽川町に入る。"一応"これで尾張の国を出て、伊勢の国に入ったことになる。目的地を伊勢とするならこれが最後の国だ。京に行くとしたら、残るは近江と京の2国である。どちらを目指すかの最終決断を迫られる分岐まであと30キロほどか。"一応"としたのは、実際の境が定かではないから。そもそも律令国制が出来た時代にはこの辺りは海であり、どちらの国にも属していなかったのだ。23号線の辺りは江戸期に開発された新田で、その時代に定められた国境は今の県境よりも1キロ以上東にあった。今の県境は、明治13年に変更されたものなのだ。という訳で、今回も国境はよく分からないまま新しい国に入った。
 ついに木曽川までやってきた。木曽川大橋を渡れば、午前の目的地長島スポーツランドにあるクアハウス長島だ。
木曽川大橋
 橋を渡り切った辺りにも「七里の渡し」の跡がある。七里の渡しは、宮宿から桑名宿の渡し船のことだが、東海道の旅人を主に運んだ直行便以外にも沿岸部の島々の人々の足ともなっていたようで、長島の船着き場がここにあったということだ。
 1年数か月ぶりのクワハウス長島。ここの温泉はいつも空いていてのんびりできる。温泉に入った後は畳の休憩室でしばし熟睡。濡れた服やズボンもこの時に乾かした。
クワハウス長島
 2時間以上温泉でのんびりした後、昼食をとって再び歩き出す。いつの間にかすっかり青空が広がっている。すぐにこの行程で一番長い橋である揖斐長良大橋である。長さは大井川橋の1026mをしのぐ、1039.9mだ。
揖斐長良大橋
 橋を渡った後は長良川の土手を歩いて、桑名宿の入口「七里の渡し」を目指す。今日ここまで歩いている場所はずっと海抜0メートル以下の地域だが、堤防上を歩いて街の高さと水面を見比べると改めてそのすごさが分かる。桑名城跡にある公園の堤防と接している場所に、伊勢湾台風30年碑があった。1959年の伊勢湾台風は、明治以降最大である死者行方不明者5000人以上となる大災害をもたらした。犠牲者は全国に渡っているが、その大半が今日歩いてきた地域である。
伊勢湾台風30年碑
 すぐ上流、揖斐川と長良川の合流点の先には長良川河口堰が見えている。環境問題等で色々言われていた施設だが、伊勢湾台風の記録を見てしまうと必要なんだろうなと思ってしまう。
長良川河口堰
 桑名宿に到着し最初に目に付くのが、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)である。広重の「東海道五十三次」にも描かれたこの櫓は桑名のシンボルである。江戸期の建物が残っていない桑名城で唯一復元されたのが建物だ。中に入れる施設だが、ちょうど閉めるところだった。時計を見ると15時ちょうど、閉館時間がちょっと早すぎる。
蟠龍櫓
 そして「七里の渡し」に到着。ここにある鳥居は、伊勢神宮の「一の鳥居」である。「二の鳥居」は伊勢街道の分岐となる日永の追分にある。
桑名宿・七里の渡し
 桑名城址は建物こそないが、石垣はたくさん残っており、堀にはこのように船がたくさんあった。
桑名城石垣
 桑名宿を過ぎ、少しでも先に進んでおきたいところだが、今回は18切符を使っての日帰り計画なので、終電が早い。JRで2駅先まで行けるかと思っていたが、桑名の次の朝日駅で今日は終わらねばならないようだ。写真は、員弁川の旧堤防にある伊勢両宮常夜燈。
員弁川・伊勢両宮常夜燈
 格子のある建物が目をひいた三河、尾張だったが、伊勢の国に入ってこのような黒い建物が目立つ。

 終電の1本前に乗れそうになってきたので、最後は急いでギリギリに間に合ったはずが、電車は5分遅れ。ともあれ本日の徒歩旅終了。
 東海道線もダイヤが乱れていた。本日は1本前に間に合たので難を逃れたが、18切符で遠方から終電を計算し乗り継ぐのは危険だ。
本日の距離 32.7km
合計の距離 414.8km + 32.7km = 447.5km
本日の出費 交通費3440円+食費1222円=4662円

*クワハウス長島は700円だが券を持っていたので、費用に含まれない。
*次回はいよいよ東海道と伊勢道の分岐となる。どちらを目指すか決めねばならない。