Day12-2 (赤坂駅-赤坂宿-藤川宿-岡崎宿)-池鯉鮒宿-鳴海宿-宮宿-熱田駅 55.4km
午後4時に赤坂宿から歩き出した12日目は、日付が7月22日に変わり、後半に入る。時計はほとんど見ずに歩いていたので気付かなかったが、尾崎一里塚から来迎寺一里塚までの4キロに1時間40分もかかっている。そんなつもりはなかったが、休憩時にうとうとして時間が経ったのだろうか。
牛田辺りのコンビニで夜食にカップ麺を食べる。夕食から4時間たっていたが空腹になった訳ではなく、熱射病対策として食欲がなくても食べることと水分だけでなく塩分をとるよう救急隊員に教えられたからである。
池鯉鮒宿(ちりゅう)に着いたのは2時頃で、そろそろ足が重くなってきた。知立古城跡のベンチで休憩、そのまま仮眠をとろうかと思ったが、蚊に刺され、再出発。
泊まっても良いかなと思っていた健康ランドの前まで来た時には3時を回っていた。この時間から泊まると目覚めるのは暑い昼間で、歩き始めるのがまた午後になってしまう。迷っていたら目がさえてきたので再び歩き始めた。すぐに境川を渡り、三河の国が終了、ここから尾張の国である。
阿野一里塚のベンチで休んでいたら再び眠気、ここで30分ほど仮眠したが、蚊にたくさん刺され目が覚めた。東の空は明るくなってきている。涼しいうちに少しでも進んでおこうと再び歩き始めた。
少しの仮眠で再び元気になってきたが、今度は腹が空いてきた。今日は土用の丑の日、朝の5時から吉野家で鰻を注文。しかし、鰻のサイズがしょぼくてがっかり。タレもまったく足りずに、後半は紅生姜ご飯となってしまった。
名古屋市に入り、すぐに桶狭間古戦場跡があった。もっとも戦場は広範囲にわたっており、今川義元最期の地の周辺が桶狭間古戦場公園として整備され、古戦場跡と呼ばれている。
宿場町らしい建物が少ない宿が、藤川、岡崎、池鯉鮒と続いていたが、期待していなかった間の宿である有松宿は愛知県に入って一番見応えのある宿だった。歴史ある建物が軒を並べ、ほんとうに趣きのある宿だ。写真の服部家の土蔵は、海鼠壁(なまこかべ)と呼ばれるもの。
道の両側に格子のある建物が並ぶこの辺りは昔の東海道のイメージそのもの。歌川広重の『東海道五十三次・鳴海』も実はこの有松宿の絵だったらしい。
鳴海宿は、すぐ手前の有松とは比べようもないくらい古い建物が残っておらず、絵になるのはこの常夜灯くらい。宿の東端と西端にあり、写真は西端の常夜燈。
笠寺到着は8時前。この辺りでやっとJRが旧東海道に近づいてくる。ここで戻っても良いが、当初の目標であり、7里の渡しの乗船場であった宮宿まで頑張ることにする。写真は笠寺の山門。
名古屋市の中心部よりも東京の方が古いものはたくさん残っている。この辺りには街道らしい見所はほとんどなく、出来ればこの辺りを暗い時間が良かったと思うが、まあそれは仕方ないこと。最後1キロくらいのところで旧道沿いの道は歩道橋が連続し、ばてた身にはそれが非常にきつかった。なんとか宮宿の7里の渡しに到着しはのは9時過ぎ。昨夕の16時スタートだから、17時間も歩いたことになる。疲れたー。でも不安だった体が復活していて一安心だ。
すぐには駅に向かう気に成れず、7里の渡しでのんびりし、熱田駅から10時すぎの列車で帰途についた。18切符で帰るので宮宿に着いた時には久しぶりに中央線経由などと考えていたが、疲れが酷く早く帰りたくなったので素直に東海道線。途中の藤枝で下車し昼食。残念だった早朝の鰻のリベンジで再び鰻。これはうまかった。
歩きすぎでむくんだ足を駅前の足湯で癒す。これは期待以上に効果あり! 次回からは温泉に立ち寄ることも考えようと思った。
本日の距離 55.4km
合計の距離 359.4km + 55.4km = 414.8km
本日の出費 交通費2530円+食費2305円=4835円
*熱中症対策で夜間歩行にしてみた。歩きやすかったが、やはり景色があまり見れないのは残念。天候によるが、夏の徒歩旅は、午前4時頃から10時頃と午後15時頃から19時頃の2分割が理想だ。しかし、宿に泊まって4時出発は難しい。特に見所がない場所を夜間に通過できるなら今回のように19時から4時を歩いてしまうのも悪くはない。