徒歩旅

Day12-1 (赤坂駅-)赤坂宿-藤川宿-岡崎宿-(池鯉鮒宿-鳴海宿-宮宿-熱田駅)

 昨日と違って朝から曇っていたが、昨夜遅かったこともあり、午前中は友人宅でのんびりさせてもらう。昨日よりも少し早く歩き始めるつもりではいたが、午後からは晴れて気温も上がり、今日歩くのかさえ決心がつかなくなってしまい、出発が遅れた。おまけに30分に1本の列車をホーム間違いで逃すという失態。昨日終了した赤坂駅に戻ってきたのは16時になってしまった。今日中に帰るには遅すぎる時間の出発である。焦らずのんびり行けるところまで歩いて、あとはどうにかすれば良いのだ。出発を遅らせている間に、岡崎の宿や知立の24時間健康ランド、道中にある24時間オープンの食事処などのチェックは済ませてあった。
 東半分を見たと思っていた赤坂宿だが、西半分のには古い建物がたくさん残っており、予想外に見応えのある宿である。写真は、旅籠の大橋屋であった建物で、1716年の建築である。この宿にはこういう美しい格子の建物がたくさんあるのだ。
赤坂宿大橋屋
 赤坂宿の旅籠をイメージし、江戸期の建築様式を再現した無料休憩施設「よらまいかん」というのがあり、中をのぞくと小学生が休憩室で宿題らしきものをしていた。歩き出してすぐなので休むこともないとすぐに出てしまったが、後で調べると赤坂宿を描いた浮世絵展示が2階にあったようでちゃんと見れば良かった。
赤坂宿よらまいかん
 赤坂宿を出る辺りから緩い上り坂となり、長沢町に入ると田園風景が広がってきた。大日如来の石柱にひかれ、大永山栄善寺に寄り道。石段の入り口の地蔵が石室に入っており、良い雰囲気。
長沢町大永山栄善寺
 国道1号に出て峠を越えると間宿である本宿で再び旧道となる。本宿には徳川家康ゆかりの古刹「法蔵寺」がある。家康は幼少の頃、ここで学問、手習いに励んだといわれており、家康手植えの松に手習いのおり草紙を掛けたと伝えられている。この松は、家康ゆかりの「御草紙掛松」として永く人々に親しまれ、代々受け継がれてきた。現在の松は平成18年3月に植樹された四代目となっている。周囲の石柵は、1815年に寄進されたもの。
本宿御草紙掛松
 本宿にも古い建物が色々残っているが、目立ったのが、宇都野龍碩(うつのりゅうせき)邸跡にある写真の長屋門。本宿村医学宇都野氏は、18世紀半ばの宝暦年間に三代立碩(りっせき)が本宿で開業したのが始まりといわれている。七代龍碩は、当時としては画期的ともいわれる種痘を施したことで知られている。
本宿長屋門
 なんとか日のあるうちに藤川宿到着。天候さえ問題なければ前回の歩きでここま歩いたはずだった宿である。ここからなら何とか名古屋の宮宿まで1日というので目指したが、体調を崩したこともあり、計画は完全に狂っている。
 藤川宿にも古い建物は残っているが、見応えは明らかに、赤坂宿>本宿>藤川宿である。気に入った場所で休もうと思っていたが、宿の西はずれである西棒鼻まで来てしまって一休み。「棒鼻」とは、棒の端、すなわち棒の先端をいい、それが転じて、宿場のはずれを「棒鼻」と称したそうである。
藤川宿西棒鼻
 藤川宿の辺りから松並木がところどころ残っている。ふと見上げると雲が夕日に染まっていた。日没の時間が近づいている。
藤川宿松並木
 夕食後、太平一里塚に到着。ここの一里塚は昭和28年まで塚中央にオリジナルの榎が残っており、樹齢350年の巨木になっていたが、台風で倒れた。
戦後の南側の塚である。塚の規模は、高さ二・四メートル 底部の縦七・三メートル、横八・五メートルの菱形である。塚の中央の榎は巨木となっていたが、昭和二十八年の台風で倒れ、現在はその後に植えられて榎が育っている。
大平一里塚
 岡崎宿に入ったのは20時半頃、まだ元気で足にも問題は出ていないので、ここでは宿泊しないことにした。ここは、「岡崎27曲がり」と言われる曲折した街道が有名だが、道がすべて現存している訳ではなく、忠実に旧道をたどっても27回曲がれるわけではない。前半は忠実に旧道と重なる道を歩いたが、都会とあって特に古い建物がある訳でもなく、見どころは石碑やモニュメントとなっている。写真は、飯盛女。飯盛女とは、意味的には宿場で食事を給仕する女性を指すが、この像が三味線をもって食事中の旅人に寄り添っていることから分かるように、実際には遊女を指している。

 27曲がりを最後までたどらず、徳川家康の生地として知られる岡崎城を訪問する。明治維新の後、一旦は完全に取り壊されているので現在は再建であるが、大手門や天守閣はライトアップされており、美しかった。
岡崎城大手門
岡崎城天守閣
 岡崎から池鯉鮒宿までは15キロあり、途中の見所は特にない。写真の尾崎一里塚はこの石碑が残るだけ。この時点で午後11時半、まだ調子は良いのでこのまま歩いて日が変わりそう。ただペースを抑え、休憩も十分にしつつ歩いているので、"朝まで歩ければ宮宿(名古屋)に着く"という算段は崩れている。
尾崎一里塚
 12日目は、7月21日分と22日分に日記を分割、ここで21日分は終了です。