Day8 六合駅-島田宿-蓬莱橋-島田宿-金谷宿-日坂宿-掛川宿-袋井宿(-磐田) 39.5km
ほぼひと月ぶりの徒歩旅、まだ前回痛めた両足親指は真っ黒だが、痛みはないので再開することにした。始発電車で行くつもりで宿の予約もしていたが、今回も出発が遅れてしまった。3泊する予定だったのと駅駐輪所に自転車を放置するのが嫌だったので、始発バスに予定を変更。これで歩き始め時間が1時間半遅れることになり、磐田の宿へ歩くことは時間的にできなくなった。歩き始める前から本日の目的地が袋井と変更である。
天気予報は曇り時々晴れ、電車移動中もずっと晴れていたのに、藤枝辺りから降り出して、六合駅で下車した時にはかなり強い雨が降っていた。出だしから意気消沈、最初は楽しみにしていた蓬莱橋への寄り道を止めようかなと思いながら歩いていた。しかし、分岐でせっかくなのでと蓬莱橋に向かうことにした。約3.5キロ、1時間ほどの寄り道である。蓬莱橋に着いた時点で、全身ずぶ濡れ、下着までびしょびしょである。もともと雨が嫌いで、普段から傘を持っておらず、今回も雨具は自転車用のポンチョのみ。濡れるのは当然といえば当然だ。蓬莱橋の近くにショッピングセンターがあり、傘を買おうかと迷ったが、風も強く、傘は役立ちそうにない。
蓬莱橋は、全長900mの木造橋で、世界最長の木造歩道橋としてギネスブックで認定されている。友人の行った写真を見てぜひとも訪問したくなっていた場所だ。渡りだす前に体などを拭いていると雨が小降りになり、嬉しくなりながら渡り始める。入口や橋の途中で写真を撮りつつ、900mを渡り終えた。逆側からの写真を撮ろうとしたところで、デジカメが動かなくなった。持ち運び時はビニールで防水しているが、写真撮影時には雨がかかっており、それが原因か。以前から何度も不調になったカメラなので、いろいろいじって直そうとしたが、結局治らず。橋の向こうのショッピングセンターにあるケーズデンキがやたらと大きく見えたが、買うのは我慢。以降の写真撮影は携帯電話のカメラである。これで気落ちしたところに、知らなかった事実発覚。世界一の木造橋のはずなのに、橋脚はコンクリートだ。これで木造橋? ギネス認定だから木造橋といえるのだろうが、がっかりした。島田側の写真に写る部分だけ木造橋脚なんて詐欺みたい。
雨は再び強まり、カメラは壊れ、楽しみにしていた蓬莱橋にがっかりと、元気の出る要素なく、島田宿はあまり見ずに通り過ぎてしまった。そんな中、唯一印象に残ったのが、大井神社。神事芸能、『帯まつり』の主役となる大名行列の大奴と鹿島踊りの三番叟(さんばそう)のブロンズ像がユーモラスで、心が和んだ。
島田宿は宿場としての保存に力を入れてないなと思っていたら、宿場から2キロほど離れた大井川の脇に国指定史跡「大井川川越遺跡」という場所があった。そこでは、旅人が川札を買った「川会所」、川越し人足が詰所としていた「番宿」や「札場」など当時の町並みが復元され、中も自由に入れるようになっていた。旧東海道に興味を持った人には必見の無料野外博物館である。ここで大休止、靴を乾かし、靴下を新しいものに換えた。雨のために完全に予定のペースよりも遅く、袋井まで歩くのも難しくなってきたが、この天候では急ぐ気には成れず、小降りになるまでしつこく待った。
「箱根八里は馬でも越すが、越すにこされぬ大井川」と言われた大井川にも今ではたくさんの橋がある。旧東海道を歩く人の多くにとって一番長いのが、この大井川橋だ。昭和3年に架けられた全長1026mの橋で、土木学会選奨土木遺産だそう。現存する長さ1キロ以上の橋では同じ年に竣工した吉野川橋とともに最も古い橋です。
橋を渡った金谷宿も今は島田市である。平成の大合併で歴史ある市や町がたくさんなくなり、非常に残念。駿河の国が終わり、ここから遠江の国なのに同じ市では・・・、なんて思ったが、よく考えると、武蔵と相模が両側横浜市、伊豆と駿河が両側三島市であった。
金谷のコンビニでおにぎりを買って、新金谷駅で昼食。金谷宿もあまり宿場町の様子の保存には熱心でないようで、ほぼ素通りとなった。その代りなのか、金谷宿を出たあたりから続く金谷坂が平成3年の『町民一人一石運動』によって約430メートルが石畳に復元されている。石畳の中腹の六角堂には「すべらず地蔵尊」が祀られており、石畳が「すべらない山石」を用いていることにちなんで合格祈願の隠れた名所となっているのだとか。残念ながら、この石畳が非常に滑る。大雨で道が濡れているからだろうが、こんなに歩き難い道は他にない。慎重に歩いているのに地面を見ていないとすぐに転びそうになる。石畳の復元なんて歩く気のない人が見栄えだけを考えてやったもので、歩く人間にとっては大迷惑、危険極まりない。ぜひ元に戻してもらいたいものだ。
坂の上の諏訪原城址を見学したら、今度は菊川坂の石畳である。下りなのでさらに危険だと分岐で躊躇していたら、後から来た人が引き返してきた。滑り過ぎで降りるのは危険だという。地図を見たら車道が並行して走っているので、旧道を行くのを諦めて車道を降りることにした。最後に少しだけ、復元ではなく江戸期から残る部分だという辺りの石畳に入る。そこは石と石の間に草が生えているし、石に凹凸があり、慎重に行けば雨の中でもさほど危険は感じなかった。
金谷坂の辺りから周辺にはお茶畑が広がり、静岡らしい風景が続く。ここからの小夜の中山は東海道の三大難所の1つだそうだが、道が舗装路というだけで、何と歩きやすいことか。雨が降っていなければ、景色をもっと楽しめたのだが・・・。
急坂を下り終え、国道1号線の高架下をくぐると日坂宿に出る。こじんまりし、古い町並みが残っており、非常に雰囲気が良い宿場である。幾度かの火災で古い建物の大半が焼失してしまったということだったが、それは江戸末期のことで、その後の再建された建物がいくつかあり、そのうち3ヶ所が無料公開されている。その中の1つで川越屋のふすまには幕末の幕臣山岡鉄舟の書も残っていた。
日坂宿を出たのが16時過ぎ、雨は小雨で気にならないほどになった。掛川宿は明るい時間に見ておこうと、ここからは少し急ぐ。とはいってももう疲れが来ており、スピードは上がらない。写真を見ると1里塚間の4キロに1時間かかっている。休憩時間を入れて時速4キロといつものペース。
掛川宿に入ったのが17時半頃。まずは「新町7曲がり」、道が曲がっているだけですが、秋葉常夜灯の石灯籠に灯りが点いていたのが印象的だった。掛川宿の中心部にはきれいな漆喰の土蔵が残っており、のんびり見て歩きたいところだが、のんびりしていたら暗くなってしまう。
宿場町の中心部で旧東海道から外れ、掛川城へ。小田原城、駿府城に次いで3ヶ所目の平城である。暗くなりかけていたので駆け足で見学を終える。
あとは、ここで止めるか、袋井まで行っておくか。まずは夕食をし、考える。明日以降のこと考えるとここで頑張った方が楽、雨も止んだことだしと、夜道を10キロ袋井まで歩くことにした。袋井到着は20時半頃、駅前で缶酎ハイを買って電車で一駅、磐田へ。また駅前で缶酎ハイとつまみを買って、予約していた宿に向かった。チェックインしたのは21時半頃、長い一日だった。
本日の距離 39.5km
合計の距離 239.4km + 39.5km = 279.9km
本日の出費 交通費3000円+食費1265円+宿3000円+その他100円=7365円
*靴を買い替えたので、足の痛みは今までと比べ格段に少なかった。
*天候が悪いとペースが遅くなるのを考慮する必要がある。
*雨の中デジカメが壊れて、がっかり。
*東海道のことを色々調べているうちにお伊勢参りではなく、京を目指したくなってきた。