徒歩旅

Day7 薩埵峠-興津宿-江尻宿-府中宿-丸子宿-岡部宿-藤枝宿-六合駅 51.0km

 薄明るくなった4時前に目が覚める。時間的には良く寝たが、疲れは取れておらず、体が動かない。家で寝た日でも翌日は結構しんどいのに、野宿では仕方ないところ。今日まで2日連続で歩いた日がなく、この状況で歩くのは辛いなぁと思いつつ、頑張って体を起こしたものの、足の痛みも昨夜のままで、しばらく動けずにいた。当分誰も来ないだろうと思っていたら4時20分頃に最初のウォーカー登場、なんとインド系のおばさん一人旅だ。誰もいないと思っていたろう休憩所にボーッと座ってる人間がいたので彼女は驚いたように無言で通り過ぎた。これを機に体を動かす。あまりに体が動かないので普段やらない準備体操を入念に行って出発だ。残念ながら今日は雲が出ており、期待していた富士山は見えない。
薩埵峠休憩所
 道は快適な下り坂、あっという間に泊るつもりだった駿河健康ランドの巨大ビルが見えてきた。泊まる気満々で先週会員にまでなっていたので、少し惜しい気分になる。昨夜は夕食をとっていないので最初のコンビニに入ろうと思っていたが、相変わらず食欲なく素通り。興津宿最大の見所は清見寺(せいけんじ)であるが、境内への石段を見て入るのを止めてしまった。こんなことでは色々見たくて歩いているのに意味がなくなる。今回の2日で100キロのトライが終わったら、しばらくはもっとゆっくり歩こうと山門を見上げて決心した。もう一つの見所は明治末の総理大臣で大正から昭和初期まで実権を持っていた政治家西園寺公望の別荘だった坐漁荘である。復元され無料公開されているが、ここは朝早すぎて開いていなかった。
坐漁荘
 次の江尻宿は、清水の街である。すっかりきれいな街並みで、宿場町の雰囲気はほとんどない。座って休める店で食事をしようと街道筋を離れ、店を色々探したが朝食に適した店が見つからない。地方都市の駅前空洞化が言われているが、本当にひどいなと改めて思った。
 江戸期の清水といえば清水の次郎長、その関連の場所がいくつかある。下の写真は、森の石松を殺された恨みをはらす為、次郎長が遠州都田の吉兵衛を討った場所。
都鳥一家の吉兵衛の供養塔
 江尻宿を抜けたところで本格的に腹が空いてきたので結局コンビニエンスストアへ。駐車場隅に座り込んでパンとジュースの朝食をとる。
 江尻から府中=静岡への旧東海道は国道1号から外れた裏道なので楽しいかなと期待していたが、新し住宅街が多く、特に見るべきものはなくひたすら歩く。東静岡駅辺りは巨大なショッピングセンターができており、地図にある旧東海道の道が消えていた。府中宿に入るまで特に見所もなさそうなので旧東海道に出る道は探さず、しばらく1号線沿いを歩く。
 府中宿=静岡市の中心部はさすがに賑やか。合併のおかげとはいえ、政令指定都市になった大都市だけのことはある。合わない靴で足が痛いので靴を買おうかと靴屋を少しのぞくが、何も買わず。大都市の市街地なので何か残っている訳ではないが、色々記念碑はある。写真は、西郷・山岡会見記念碑。ここは、東進する新政府軍の参謀西郷隆盛と徳川慶喜の使者山岡鉄舟が1868年に会談し、江戸城無血開城への道を開いた場所ということだ。
西郷・山岡会見記念碑
 このままのペースでは目標だった島田宿まで歩くのは無理に思えてきた。静岡駅から先は旧東海道がしばらくJRから離れるので、どこまで歩くのかゆっくり検討しようとコースから離れ、駿府城に入った。
駿府城
 30分以上城で休み、悩んだが、結論は出ない。静岡駅の次である安倍川駅も街道からずっと離れてる訳ではないので、とりあえず歩き出す。府中宿の西端である西見附跡を過ぎるとまもなく安倍川である。橋のたもとには安倍川餅の店、1軒目は通り過ぎたが、すぐまたあって気になって、3軒目でついに買ってしまった。1人前で8個もあり、出てきた時は食べ切れないと思ったが、疲れている時の甘いものはうまさが体に染み渡る。出されるお茶も静岡だけあって美味い。腹を満たし、喉の渇きを癒したら、徐々に気力が湧いてきて、行けるところまで歩いて行こうという気になってきた。優しい店のおばさんがお土産の餅も持たせてくれ、さらに元気が湧いてきた。
安倍川餅屋
 安倍川を渡ってしばらく行くと丸子宿。ずっと「まるこ」と思っていたが、「まりこ」だった。鞠子宿と書いているものも多い。江戸期の東海道53次でもっとも小さな宿場だったそうだが、こじんまりして良い感じ。広重の描いた53次にある「丁子屋」は今も営業しており、当時と同じく「とろろ汁」が名物となっている。「うめ若菜、丸子の宿のとろろ汁」と松尾芭蕉が詠み、十返舎一九の東海道中膝栗毛に鞠子の名物としてとろろ汁の話が出てくるほどだが、安倍川餅でお腹がいっぱい。でも食べたかったー。
丸子宿丁子屋
 丸子を過ぎると谷は狭まり、道は国道1号の脇道のような場所になってくる。山の斜面には美しいお茶畑が広がり、さすが静岡県。残念ながら時期がずれていたようで茶摘み風景は見られず。
茶畑
 道の駅宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)には、畳で休めるスペースがあり、ついつい予定より休んでしまった。しかし、冷水器の水も美味しく、かなり居心地の良い休息地で気に入った。道の駅はトンネル入り口にあり、国道1号はここからトンネルで峠道も終わりだが、江戸時代にはそんなトンネルはなく、峠を完全に越えねばならない。ちなみに現存するトンネルは4本あり、それぞれ造られた時代によって、平成のトンネル、昭和のトンネル、大正のトンネル、明治のトンネルとある。平成のトンネルは今の国道1号線下り、昭和のトンネルは国道1号線上り、大正のトンネルは県道208号となり、明治のトンネルは遊歩道の一部を成している。この明治のトンネルは明治37年に開通したものだが、最初のトンネルは明治9年に開通し、日本最初の有料トンネルとして営業したが、明治29年に焼失したそうである。
 道の駅から県道をしばらく歩くと宇津ノ谷の集落に着く。もともとこの集落には古い家が多かったのだが、平成12年から、住民や地元設計事務所、市が協働した結果、素晴らしい景観の街道集落が成立している。
宇津ノ谷の集落
宇津ノ谷の集落の古道具
 鬱蒼とした森が続く峠道も幅広く、非常に歩きやすい。この道は江戸期に整備されたもので、さらに険しいところを通る古来の道も現存し、つたの細道として知られている。
宇津ノ谷の峠道
 思ったよりもあっけなく峠に到着。府中で中断せず、頑張って良かった。
宇津ノ谷峠
 下り道で、両足親指の痛みが増してきて、歩くのが苦しくなってきた。平地になってもペースは上がらず、そろそろ体力の限界が近づいた気がしてきた。
 岡谷宿は、1836年再建の大旅籠柏屋(かしばや)が一番の見所、パンフレットには入場料が書いてあったが、見学無料と入口にはあり、座敷で休憩すれば300円とのことだ。とにかく足が痛くて、柏屋の前のベンチで休憩、お土産にもらった安倍川餅を食べる。中は少しのぞいただけ、観光しつつ歩くには、無理しすぎなのだ。
岡谷宿大旅籠柏屋
 下の何気ない小さな橋は「小野小町の姿見橋」と呼ばれている。平安時代、絶世の美女でとして知られた小野小町が晩年京から東国に向かった時、ここにあった橋の上で、景色の美しさに見とれていたとか。その時、ふと水面に目を落とした彼女は、水にうつっている老いた自分を見つけ、あまりの変わりようになげき悲しんのだとか。
小野小町の姿見橋
 岡部を過ぎると次は藤枝、藤枝まで来るとJRが再び近づいてくるので一安心できるのだ。藤枝宿の手前にある須賀神社には巨大な楠があった。推定樹齢500年の老木で、根回りは15m以上あり、かなり見応えがある。
須賀神社のクス
 藤枝宿も地図には見所がたくさん書いてあり、明るい時間に見たいと結構頑張った。幸い明るい時間に一通り見学できたが、それほど見応えのあるものは残っていなかった。
 宿場の西端辺りに一里塚があり、公園整備がされていた。ここで最後の大休止。藤枝駅から帰るならあと2キロ、しかし藤枝は街道から1キロ離れているので、次回と合わせ2キロの無駄歩きは避けたいところ。その次の駅六合は街道沿いだし、本来の目的地だった島田も街道近くに駅があるから選んでいたのだ。島田駅の終電まで残り2時間。島田駅は2つ先の一里塚の少し先なので、9キロくらいだろう。足に問題なければ間に合うが、今の歩き方では無理。とりあえず、次の1里塚までの50分で歩ければ島田を目指そうと、最後の力を振り絞ってペースアップをして歩き始めた。結果、次の一里塚まで55分かかった。50分越えた時点で緊張が途切れ、ペースも落ちたので、ここで島田は断念した。六合までは1キロほどなのに、気力が抜けてしまって足が前に出ず、最後は本当に辛かった。
本日の距離 51.0km
合計の距離 188.4km + 51.0km = 239.4km
本日の出費 交通費2520円+食費1289円=3809円

*予定より手前で終わったので2日で100キロは歩いていないと思っていたが、帰宅後実際歩いたルートをできるだけきちんと計ったら100キロに達しており、満足。ただし、こんなに歩くと、きちんと見ながら楽しくなんて無理と体で分かったので、次回からは距離を抑えることにする。
*残念ながら無理をし過ぎて、親指の爪が剥がれそうになっており、次いつ歩けるかは不明。やはり靴は良いのを買うべきだった。