徒歩旅

Day9 (磐田-袋井駅-)袋井宿-見附宿-浜松宿-舞阪駅(-豊橋) 35.2km

 昨夜の到着が遅く、洗濯を終えたのは23時台。5時過ぎに目覚めた時はまだすべての洗濯物がびしょびしょで水滴が落ちるくらい。昨日の雨で用意した靴下3足はすべて履いたので靴下は濡れたままはかざるを得ない。シャツやパンツは途中で乾かせるだろうと思ったが、今日も雨だった。結局濡れた服を着て乾かすことになり、出発は遅れてしまった。
 宿から駅まで歩いて15分ほど、電車に乗って袋井に移動、袋井駅から旧東海道の昨日歩いた地点までも10分ほどかかり、東海道を歩き始めたのは7時40分頃となってしまった。この時間からだと歩いても40キロ以上程度なので、本日の目標は新居宿とする。
 袋井宿は、東海道53次のちょうど真ん中にあたる27番目の宿で、"東海道ど真ん中"として宿場町を売り出しており、"ど真ん中"と冠した看板が目立つ。本陣跡などが公園になっており、休みやすいのがありがたい。写真は宿場町の西端にあたる西木戸にある本町宿場公園で、高札場(法度や掟書などを木の板札に書き、掲げておく場所)が復元され、秋葉常夜灯もある公園になっている。
袋井立場
 宿場町を出てすぐにあるのが、澤野医院記念館。正面に見える美しい洋館は昭和初期の病棟で、その奥にある居宅は江戸時代後期、さらに奥にある洋館は大正5年の建築と伝えられている。無料開放されているが、10時からなので時間が早すぎて入れず。
澤野医院記念館
 朝食をとった後、街はずれの木原一里塚へ。ここで東海道を歩き続ける3人組にあった。日本橋から日帰りで月に一度歩いているそうで、もう1年以上になるという。週末は東海道を歩いている人が意外に多く、驚いてしまう。その誰しもが京を目指しており、袋井で半分だなどと楽しそうなのだ。私もつられ、お伊勢参りは止めて、京を目指そうかと思い出している。江戸期は京まで124里とされており、ここは61里目。袋井宿がど真ん中といっても距離はまだ半分に達していない。
木原一里塚
 袋井市から磐田市に入ると急な上り坂が待ち構えている。ここは三ヶ野七つ道と呼ばれ、全部で7つの道があるとされる。丘を直進するようにある小道が鎌倉古道、江戸道と言われる旧東海道、明治期に車が走れるように江戸道の急坂部分を斜めに迂回した明治道、さらに大回りした旧国道1号線の大正道、現国道1号線の昭和道、岩田バイパスとして建設された平成道。これで六時代の道がそろっており、現存するのもこの六本。もう一本、質屋に通ったとされる質屋道があったとされるが、現存しないし、説明文にいつの時代の物かも書いていない。岩田バイパスを作る時点で分からなくなっていただろうに何故七つ道なんて称したがるのだろう。
 見附宿は現在の磐田市の中心部で、見どころが結構多い。中でも必見は旧見付学校、現存する日本最古の洋風木造小学校である。説明がこうなっているのでそのまま紹介したが、現存する日本最古の洋風木造小学校です。中の展示も素晴らしく、見学には一時間近くかかった。
旧見付学校
 近くにある栗田家土蔵群も見応えがある。正式には旧栗田煙草合資会社土蔵群で、明治初期から昭和初期にかけて建設された土蔵が5つ残っている。保存状態は悪く、現在は敷地の外から見るだけなのが残念。見附宿を歩いているとここ以外にも土蔵がたくさん残っていた。
栗田家土蔵群
 今では浜松よりもはるかに小さな磐田市だが、見附は元々遠江国の中心で国府がおかれた場所であった。その国府跡は街の中心部にあり広大な公園となっている。
 旧東海道沿いに高砂香料株式会社の広大な研究所&工場があった。義父の勤めていた場所であり、妻が生まれたのはこの街なのだ。
 浜名湖のウナギは有名で、浜名湖まで食べに行ったこともあるが、遠江の国に入ってからやたらウナギの看板が目立つ。浜松まで行ったら食べようかと思っていたが、昼食を買おうと入った弁当屋のウナギがあまりに美味そうで、浜松市の寸前でウナギ弁当を食べてしまった。美味かったー。公園で弁当を食べているうちに雲は消え、青空が広がり、急激に気温が上昇してきた。
うなぎ弁当
 天竜川は大井川と違って水量が多く、昔は船渡しだった場所である。最近まで橋に歩道がなく、東海道を歩く人はバスに乗るよう推奨されていたとか。今は歩道が出来ているが、広い車道の橋の内側で景色は今一歩。最近になって作ったなら少しは歩く人のことも考えてくれれば良いのに・・・。
天竜橋
 晴れてからは対して歩いていないが、急激な気温の上昇と日差しの強さで、熱射病になりそうな気がし、橋を渡ったところにある神社で30分ほど昼寝をする。この辺りは中野町という。東海道の中間点にあるから中野と呼ばれるようになったそうだが、ほんとうだろうか? 中間である一里塚は天竜川の向こう岸だが、私の好きな「東海道膝栗毛」には、「此処は江戸へも六十里、京へも六十里」とあるそうである。宿場町ではないが古い町並みが残るところで、写真は天竜川の治水に神両区下という金原明善生家、江戸時代の建物である。
金原明善生家
 今や政令指定都市である浜松は近代都市で、浜松宿の面影はそうない。交差点の日陰で休んでいると救急車が来て熱射病で倒れた人が運ばれていった。私も気を付けねば。
浜松
 主な城を訪れつつ歩いているので当然浜松城も予定に入っていたが、暑さで体力の消耗が激しく、寄り道をする元気がなくなり、浜松城はパスし、先を急ぐ。途中、東海道を歩いている人を追い越したが、少しふらついている感じで心配になった。気になって神社で大休止をし来るのを待ったが、彼は来なかった。救急車の音はしなかったので、自分で店に入るなりして休んでいるのだろう。
 JR舞阪駅に着いたのが19時半頃。21時に豊橋駅で友人と待ち合わせており、今行けば早すぎるし、もう一駅歩けばギリギリで遅れそう。迷ったが無理する必要はないので、ここで本日の歩きは終了。JRで豊橋に行き、居酒屋で時間つぶし。
本日の距離 35.2km
合計の距離 279.9km + 35.2km = 315.1km
本日の出費 交通費670円+食費2886円=3556円

*9日目にして東海道を半分越えた。途中会う人とこんな話をしつつ、私は伊勢までで京には行かないなんて言い難くい。行先を京に変える気にますますなってきた。サイト名は後から変えれば良いことだが、アドレスにiseって使ったのは失敗か。分岐までは行先を決めなくて良いかなとは思っているが、すでに気持ちは京行きかな。