徒歩旅

Day6 三島宿-原宿-吉原宿-蒲原宿-由比宿-薩埵峠 49.4km

 今日は初めて日帰りではなく歩く予定で、何キロ歩けるかにトライもしたかったので、何としても始発電車に乗りたかった。過去2回は朝食などをとっていて遅くなったので、今回は朝食抜き。前日の準備に時間がかかったため、睡眠は3時間ほどしか取れなかったが、予定通りに4時起き、4時半出発となった。
 三島駅到着は6時半頃、まずは先日歩いた道を歩いて、三島宿の中心へ。先日訪れた三島大社を除くと三島宿には大したものは残っておらず、本陣跡の看板などを見ながら素通りだ。三島は伊豆の国の国府がおかれていた街だが、伊豆の国の最北部であり、元々一緒だった駿河の国との境はほんの小さな川である。地図で見ていてもよく分からない場所が国境だとは思っていたが、実際に見ても何でここが国境? と思うどぶ川みたいな場所だった。ともあれこの川を渡って、4ヶ国目となる駿河である。
伊豆と駿河を隔てる境川
 駿河に入って旧道の住宅地をのんびり歩いていて、まず目に付いたのが常夜灯、夜道の安全のため設置されていた石の常夜灯は街灯の役目を果たしていたという。この後、駿河では頻繁にこれを見かけた。その代りといってはなんだが、武蔵や相模に比べ、道祖神が少なくなった。
常夜灯
 さらに歩くと美しい伏見一里塚。これまでの一里塚は1対で別名はなかったが、ここは写真のが宝池寺一里塚、向かい側のが玉井寺一里塚と呼ばれている。
伏見一里塚
 沼津市に入る黄瀬川の橋上でやっと富士山が見えた。晴れていてもこの時期は霞んでしまって中々富士山は見えない。富士を見たければ秋から冬に歩かねばダメだ。一応写真の中央付近に写っているが分かるかな。
黄瀬川よりの富士山
 沼津宿の入り口付近にあるのが、「日本三大仇討ちの1つ」沼津の平作にちなんだ平作地蔵尊。日本三大仇討ちってなんだろうと帰宅後ウィキペディアで見ると曾我兄弟の仇討ち(1193年)、鍵屋の辻の決闘(1634年)、元禄赤穂事件(1702年)とある。その中の鍵屋の辻の決闘にかかわる場所のようだ。
平作地蔵
 沼津宿は予想外に閑散としていた。8時を過ぎ、そろそろ朝食をと思ったが、これといった店も見当たらないまま中心部を過ぎてしまう。ここから吉原宿(富士市)手前までは、ひたすら直線であり、歩いていて面白くないといわれるところである。昔自転車で通った時に一番退屈した区間でもある。さして見所もなく、噂通り退屈なら旧東海道にこだわらず海岸の道や松林内の道に出ることを考えつつ歩く。片浜駅付近に大きなショッピングセンターがあり、そこで弁当を購入、海に出て堤防でのんびりと食事をする。伊豆半島が良く見えるがやはり霞んでいる。富士山も愛鷹山に隠れていて見えない。
片浜から伊豆半島
 景色の良い堤防上を歩くは気分が良いが、日差しが強く、だんだん辛くなってきた。そこで今度は千本松原と呼ばれる松林の中の小道を歩く。木陰もあって比較的涼しく歩きやすいが、道が曲がりくねっている。散歩コースとしてはそれで良いだろうが、今日は目的地まで到達できるかどうかがあやしいほどきつい計画を立てている。次の宿場町である原宿が近づいたところで、旧東海道沿いである県道163号に戻ることにした。
千本松原
 やっぱり戻るほどでもなかったなと思う原宿であるが、高嶋酒造の「富士山の霊水」はありがたかった。地下145メートルから噴き出しているという井戸水だが、近所の人がいつも汲みに来るほど美味い水なのだ。ここで水をカブ飲みする。500mlのペットボトルを常に持ち歩いているが、こう暑い日だとそんなものは朝だけですぐ飲みきってしまうのだ。
富士山の霊水
 一里塚や常夜灯、道祖神、神社などを見て気分転換をしつつ、ひたすら歩く。途中の寺で休んでいたら同じように東海道を歩いているおじさんに声を掛けられた。今日は沼津から吉原だそう。20キロほどの予定で日帰り歩きは理想的なペースである。今日の予定は無茶しすぎだなぁと話をしていて少し弱気になってしまった。今日は他にも東海道の歩きをしているらしき人を2人ほど見かけている。ひらすら直線で見通せるので遠くまで良く見えるから分かりやすいのか。
 JR吉原駅の辺りは、元吉原と呼ばれており、吉原宿と呼ばれている場所からはかなり離れている。元々の吉原宿は元吉原であったが、1639年の津波により壊滅的な被害を受けたことから、内陸部に移転。しかし1680年の津波で再び壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の吉原本町に移転している。こういう歴史がありながら、現在の元吉原は住宅や工場でいっぱいです。この元吉原におもしろい寺があった。毘沙門天妙法寺と呼ばれるこの寺が、門前旅館があるほどの規模で、全国一のだるま市が有名なお寺なようですが、おもしろかったのはその建物。なぜか入口には鳥居がある。境内には日本風の建物もちゃんとあるが、中国風の建物やネパールの目玉寺みたいな建物まであり、ほんとうに不思議な雰囲気を醸し出している。創立が1719年というのもすごい。敷地は小山の上で、津波が来たら避難所となりそうな場所ではありますが、2度目の津波から40年経っていない・・・。
毘沙門天妙法寺
 吉原宿の移転のため、ここからの旧東海道は大きく方向を変える。江戸から下る場合に富士山はずっと右手に見えるのだけど、方向が大きく変わったため、唯一富士山が左に見える場所というのがあり、左富士として名所になっている。しかし、快晴なのに霞で富士山は確認できなかった。
 岳南鉄道の吉原本町から道は寂れた商店街となっており、そこが昔の吉原宿である。歩ける距離のトライを考える前は普通に宿を予約し、2-30キロづつ歩こうと思っていたが、その計画の場合候補に考えたのがこの鯛屋旅館。創業320年、つまり江戸期から営業を続ける老舗なのにこの安さ。宿場のど真ん中にあるのも良いし、洗濯やインターネットが可能というのは徒歩旅にはありがたい。この宿がもう少し先にあれば良かったのに、泊まれず残念。
鯛屋旅館
 宿場町を抜けたところで遅い昼食。ゆっくり残り距離などを計算すると、このままでは明るい時間に宿まで着けそうにないことが判明。19時半からのサッカーワールドカップ予選を見たいのに、それも難しくなってきた。限界を知ろうと無茶な計画を立て来たので、このペースが予想通りといえばそうだが、困った。
 ゆっくり休んで元気になるはずが、時間が難しくなったことを認識し、少々気力が萎えてきた。それと共に足の痛みが酷くなり、ペースが落ちてくる。そういう時に道祖神や地蔵があると癒されるのにこの辺は少ないなぁと思っていたら、可愛いのを発見。蓼原単体道祖神と呼ばれる有名なものらしい。
蓼原の道祖神
 富士駅の近くで、午前中に話をした人を見かけた。15時を回っており、今から帰ればちょうど良い時間だなどと少しうらやましく思うも、がんばると決めて無茶な計画にしたのだから歩こうと逆に気合が入った。
 富士川を渡ると旧道は国道からかなり離れ、山道に入る。しかし、地図を見て予想したほどの山ではなく、上がってしまえば緩やかな段丘の上を歩く感じで、民家もたくさんあった。この辺りは富士山が美しいと有名だが、やはり霞んで見えず。途中の道祖神には静岡らしく、お茶が備えてあり、なごむ。
道祖神
 東名高速の上を越えると静岡市。とはいえ静岡の中心はずーっと先。平成の大合併のおかげで、面積が馬鹿でかくなった市が多く、市=都市という概念が崩れてしまった気がする。古い人間である私の中では、蒲原は蒲原、清水は清水で、静岡市では決してない。
東名高速
 旧蒲原町に入ると道は一気に下り、蒲原宿へと入ってゆく。見所が多いので、明るい時間に着いてほっとした。日本橋からここまで歩いた中で、古い建物が一番多く残っているのが蒲原宿だろう。珍しく写真をたくさん撮ったので、3枚同じ宿場の写真を並べることにする。
 なまこ壁と「塗り家造り」の家(佐藤家):江戸末期に広まった防火効果の大きい贅沢普請。
蒲原宿:なまこ壁と「塗り家造り」の家
 手づくりガラスと総欅の家(磯部家):1909年に建築されたこの家は、総欅(けやき)づくりで窓ガラスは美しい手づくり。
蒲原宿:手づくりガラスと総欅の家
 大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」:町家を洋風に増改築した擬洋風建築の建物で、大正3年に改造され、歯科医院として営業されてきた。
蒲原宿:大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」
 蒲原宿から由比宿まではわずか4キロだが、歩けば1時間かかる。由比に入るころには18時半を回り、薄暗くなってきた。由比も見所が多いとされる宿である。暗くなって写真を撮れなくなることを恐れ、慌ただしい見学となったが、なんとかすべての見所を明るい時間に済ませた。ここも2枚の写真を並べることにする。
 正雪紺屋:江戸初期より400年近く続く染物屋の土間に埋められた藍甕など。
蒲原宿:正雪紺屋
 明治の郵便局舎(平野家):明治39年建築で、明治41年から昭和2年まで郵便局として活躍した建物。
蒲原宿:明治の郵便局舎
 ここまで急ぎ過ぎたので、由比宿の出口である由比川のベンチでへたり込んでしまった。さてここからどうしよう。由比からJRに2駅乗って清水駅前のカプセルホテルに行くか、時間を気にせずこのまま進むか、有名な薩埵(さった)峠を諦めて国道1号沿いに歩いて予定の宿(健康ランド)を目指すか。今日は限界にトライだから、行きつけなくなる可能性は十分に考えていた。宿泊予定を予約のいらないカプセルホテルや健康ランドとしていたのはそのためだ。体力的にはもうJRに乗るのが1番だが、明日戻ってきて続きを歩くのが面倒。サッカーの試合に間に合わなくなったので、宿に泊まる魅力は薄れ、野宿でも良いかとこの時点で思ってしまう。
 JRの由比駅までは新しい街の商店街を通るので、もしテレビのやってそうな食堂や飲み屋があれば入って粘ろうと思いながら歩いたが、食事とのれる場所はおろか、パンを買う店も見つからず。駅にも飲料の自動販売機しかない。元気ならば決断も早いが、疲れてしまい、行動を決められないまま駅のベンチでもしばらく休む。JRが故障車で止まっているというアナウンスで決心がついて、そこから薩埵峠に向け歩き出した。
 約1時間かかって薩埵峠に到着。広重の「東海道五十三次・由比」で有名な絶景の場所だ。もちろん富士が見えればいうことないが、明るい時間でも霞んでダメな季節なのだ。ならば夜景も良し。東名高速は美しいし、富士市や沼津の方の明かりも見える。漁火も海上にたくさんあって大満足。
薩埵峠の夜景
 実は薩埵峠での野宿も考えて、寝袋は持ってきていた。展望台の500m先に眠れそうな休憩用小屋があるのも確認してあったのだ。夕食をとれなかったのは痛いが、疲れすぎもあって空腹感はない。何よりももう動こうにも歩けない。後は下り3キロほどで健康ランドがあるが、行くのは無理だと判断し、ここにて野宿決定。
本日の距離 49.4km
合計の距離 139.0km + 49.4km = 188.4km
本日の出費 交通費1050円+食費862円=1912円