徒歩旅

Day7 木野-関戸-玖波-廿日市-新井口 30km

**地図**
 前夜は、徒歩旅終了地点から車で岩国に戻り、買い物し、夕食をとった。その後、錦帯橋のたもとの駐車場で車中泊。5時すぎには起床し、セブンイレブンでカップめんの朝食をとり、木野まで移動。5時半に歩き始めることができた。朝焼けの景色が美しい時間である。
16/05/12 05:32:48
 長州の役戦跡である苦の坂に入ったところで、通行止めの看板。車の入れない道なので、これは歩行者を止めている。しかし、看板の向こうには普通に歩けそうな道が続いている。早朝なので工事の人の邪魔になる訳でもないので、行けるところまで行くことにした。
16/05/12 05:47:52
 昨日苦労した多田見坂や小瀬峠に比べると非常に歩きやすい道が続き、15分ほどで峠に着いた。
16/05/12 06:03:24
 下り始めてから引き返す羽目になるのは嫌だなと思いつつ進むと、道の崩壊地点に数分で到着する。
16/05/12 06:07:46
 迂回のパイプ階段がすでに組まれており、難なく車道に到達できた。上(写真の赤く見えるあたり)から見た場所はかなり以前の崩壊だが、すぐ先に新たな崩壊現場が続いていた。折れた木を見る限り数日前の雨でまた崩れたのだと思われる。階段を下りながら、通行止めは解除してくれてれば良いのにと思ったが、これでは当分解除しないだろう。
16/05/12 06:09:36
 逆側から通行止めになっているところのすぐ先に元の旧道に上がる道があったが、ここからの道はもう復旧できそうにない。こちらから苦の坂にアクセスするには今の階段を常設にするしかないように見える。
16/05/12 06:11:02
 通行止め部分から出た場所は高速道路のトンネル出口上になっており、高速道路の両側に道が続いている。看板には右側が歴史の道とあるが、持っていた資料では左側である。どちらに進むか迷ったが、何れにせよ古い道は高速道路で消滅しているのだ。左の道にはもともと街道沿いにあった橘姫神社が移設してある。そのためにこちらを通るのが良いと判断したが、神社を見て、近道となる右で良かったと思った。
16/05/12 06:24:00
 峠を下りきり、川を渡ると道は前方の山を回るように町に入ってゆく。この山が亀居城である。安芸に移封された福島正則が西の毛利氏に対する防御のため築いた城で、山陽道はその場内に取り込まれていた。そのためここににも枡形と呼ばれるクランク状の道が残っており、その辺りは古い建物が多く見られた。
16/05/12 06:45:30
 大竹市のこの辺りでは、自転車は左でもちろん一列、人は右というのが徹底されており、通学時間帯になって歩行者や自転車が多かったにもかかわらず非常に歩きやすかった。亀居城から30分ほど歩いて玖波宿に到着した。昨日予定通り朝から歩いていれば、この辺りまで来ているはずだった。
16/05/12 07:21:44
 玖波宿を出たところで海に出た。もともとは海沿いが多い山陽道だが、海岸近くが埋め立てられて海が遠くなっている場所が多く、海に出たのは初日の下関と4日目の富海に次いでまだ3度目だ。
16/05/12 07:28:46
 海は一瞬だけでまた山道に入ってゆく。本当にこれが道かなと思うところの連続で地図を確認しつつ進んだが、JRの線路で道が分からなくなった。ここを越えるなら先人たちの記録に書いていそうなものだが見当たらない。仕方なく一度戻ったが、やはりこの場所に来てしまい道を渡った。しかし、その先も道が続いてそうにない。仕方なくじっくり先人たちの記録を読むとJRはトンネル入り口上に柵に沿って進んだという記述を見つけた。トンネル辺りを見るとそれらしき柵が見える。再び線路を渡って、トンネルへの道を探す。
16/05/12 07:39:12
 木に入り口が覆われて気付かなかった道をなんとか発見し、トンネルの上を越える。
16/05/12 07:49:34
 トンネルのところさえ越えれば歩きやすい山道である。途中にはキノコがたくさん生えており、この黒いのは美味しそうだったが、調べる時間もないので先に進む。
16/05/12 07:56:32
 下りには石畳が残っており、こちらの入り口にはちゃんと看板があった。この辺りからは四十八坂といわれ難所でアップダウンが続く。
16/05/12 08:02:12
 世界遺産にも登録されている厳島が見え、その手前にはカキの養殖筏が連なっている。
16/05/12 08:22:20
 依田神社鳥居近くにあるのが吉田松陰の腰掛岩。
16/05/12 08:45:36
 その先にあるのが残念社。1866年、長州軍営に単騎で向かっていた宮津藩士の軍使を戦闘員と勘違いした長州軍が殺してしまったという。死ぬ間際に「残念」といった軍師を憐れんで村人が建てたのが残念社である。
16/05/12 08:49:36
 歩いていると路上に光るものが落ちている。良く見るとキクラゲだ。地面に落ちた細い枯れ枝にもつくが、このサイズになるのかなと上を見ると道を覆った大木が枯れていて、その枝にたくさんついていた。生でも食べられるしこれは確信があったが、家の周辺でもあるので採らずに進む
16/05/12 09:00:02
 昨日玖波宿まで歩いていれば入ろうと思っていた宮浜温泉の源泉があった。新しく掘ったもので熱くなかったが、顔を洗うとすべすべになった。
16/05/12 09:07:16
 この舗装道路の下に昔の石畳が残っている。平成3年に発掘調査を行い、保存のために舗装したという。保護のために大型車の通行はご遠慮くださいと説明看板にあったが、大型車に乗る人がその看板を見るとは思えず笑ってしまった。
16/05/12 09:20:52
 JR大野浦駅を通り過ぎ、大野中学を越えたところのスーパーで車の妻と合流し、間食。5時すぎにカップめんの朝食をとっただけなので10時でもう空腹だったのだ。
 スーパーから先は散策道として整備されており、見どころの案内板が設置されている。江戸期から残るため池や推古天皇時代の人物の家屋敷があった場所など案内板を見つつ歩くのは楽しい。次の写真は、高庭駅家跡・濃唹駅(のおえき)跡。駅家は古代の宿場町でこの高庭駅家は万葉集にも出てくるという。平安時代になって駅制度の改定があり、高庭駅家があった場所に濃唹駅が定められたということである。
16/05/12 10:56:16
 山陽道にも江戸期には松が植えられたそうで、写真は廿日市市で唯一残っている街道松。
16/05/12 13:24:52
 廿日市の市街に入ってからは新しい市街地が続き、ひたすら先に進むように歩く。広島市に入ったところで街道上にあるかっぱ寿司で妻と合流し、昼食をとる。さっと食べてさっと出るつもりが、ついつい腹いっぱい食べてしまい、時間がかかってしまった。井口小学校の裏手に龍神山と呼ばれる小山がある。昔はここまで海があり、街道は山越えをしていたということである。山の中に道が残っていると書いてあるものもあったが、入り口が見つからずに山の北側を迂回した。
16/05/12 15:40:34
 早朝から歩いてはいたが、まだまだ元気だし、日は高い。しかし、妻が明日から出張なので今日中に帰らねばならず、16時前に本日の歩きは終了、新井口駅前で車に乗った。
本日の距離 30km
山陽道の合計距離 200km