徒歩旅

Day6 高森-玖珂-関戸-大竹市木野 25km

**地図**
 鉄道での日帰りが困難な地域となり、行き帰りに車を使うことにした。昨年引っ越して車を購入するまでは30年以上ペーパードライバーであった私が一人で運転し、歩きもというのは難しい。妻が来てくれるというが、なかなか時間が取れず、前回歩き終えてからひと月以上たってしまった。やっと出ることになった今日も予定より出発時間が遅れ、半日しか歩けそうにない。運転練習もかねて行きは自分で運転、一気に3時間も運転したのは初めてだ。
 歩きのスタートは高森宿の高森交差点、時間は12時半を過ぎてしまっている。
16/05/11 12:33:54
 高森宿から次の玖珂(くが)宿までは距離が短く30分もかからない。玖珂は、玖珂三市と呼ばれ、東から本郷市、新市、阿山市という3つの市場町が連なっていた。このあたりでも目立つ建物は、酒屋や醤油屋だ。
 阿山市にある藤川醤油味噌醸造場。
16/05/11 13:09:32
 新市の高村酒店
16/05/11 13:13:22
 玖珂宿を通り過ぎるあたりで、スーパーで弁当などを買った妻が追いついてきた。すぐ近くに義民田坂市良右衛門頌徳碑という大きな碑があり、そこで昼食をとる。
16/05/11 13:25:46
 玖珂を出るとすぐにJR岩徳線を越える。このあたりの旧道は岩徳線建設時にかなりなくなっており、線路の脇を進むことになる。欽明路駅を過ぎた辺りから道は登りだす。左手高台に欽明寺が見えてくる。6世紀に欽明天皇がご休息されたことからこの名がついたという由緒ある寺だ。
16/05/11 14:23:24
 寺の入り口を過ぎ、さらに登ってゆくと道はU字を描きながら登っていく。どう見ても車道にするための新しい道なので、脇をじっくり観察すると、カーブの始まる寸前に昔の道らしきものが見える。石段になっており進めそうであるが、山陽自動車道で道はさえぎられているはずなので、ここは素直に車道を進んだ。
16/05/11 14:27:50
 山陽自動車道を越える橋の上から下を眺めると自動車道上下線の間に昔の道がある。地形図で確認すると山陽自動車道ができる前の車道だ。先ほどの旧道らしき道を登れば出る場所はトンネル入り口辺りなので、自動車道を越えた辺りで見えている旧道と合流したのだろう。山陽道屈指の難所で知られた欽明路だが、今の迂回路ではさほどの急坂とはなっていない。
16/05/11 14:36:40
 峠を下り終え、柱野の古宿を過ぎると御庄川にでる。柱野は柱野宿と呼ばれることも多いが、私の基準にしている書籍では宿場にはなっていない。東海道などと違い宿場の基準が厳格でなかったために、このような場所が多々ある。写真の橋を渡って柱野の上市、下市の辺りを歩く。
16/05/11 15:34:22
 柱野宿を越えると再び橋を渡る。橋の上でなぜわざわざ街道は2回も川を渡ったのだろうと考えてしまった。そこで地図を見ると川の北側が山陽道となっている。道を間違えたかも。
16/05/11 15:49:48
*この部分が気になって、後で調べてみた。私の基準としているのは1977年に買った太陽コレクションの京都大阪山陽道という書籍で、これには江戸期の絵地図と共に出版当時の地図が載っている。そのどちらを見ても山陽道は川の北側の道だ。間違えたなと思ったが、詳しくルートを調べながら歩いている人の記録は皆今回私が歩いた南に道を記している。その中の一つに、昭和20年の台風により御庄川が氾濫して壊滅的な被害を受けたために、その後で川が街の北側に付け替えられたとの記述を見つけた。やはり、歩いた道が江戸期の山陽道だったのだろう。
 新幹線の新岩国駅がある御庄も御庄宿と呼ばれることがあったようだ。しかし、その当時の物を示すようなものは何もないまま通り過ぎた。錦川を渡ってしばらく進むと多田というところに出る。かつてはここに池があったので、多田見坂越えをしていた。写真で直進の場所に池があったため、左側の山の上を越えていたのだ。
16/05/11 17:19:36
 途中までは道が整備してあるとあったが、看板もなく写真のような道とは思えないところを進んでゆく。
16/05/11 17:21:30
 看板を見つけた。しかし倒れており、どちらが道か分からない。
16/05/11 17:22:42
 この階段を上っていく。
16/05/11 17:24:02
 上には看板が残っており一安心、正しい道のようだ。
16/05/11 17:24:58
 しかし、突然道が消えた。かなり以前に崩れたようだが、ここには看板がない。
16/05/11 17:27:32
 崩れたところを迂回しようと山側を進んでみたが、すぐに進めなくなり戻る。下に降りられないこともないが、車道との間にコンクリ壁が見えており、出られそうにない。ここでネット検索をし、先人たちの記録を見る。逆から来るのにロープでよじ登ったとあり、良く見ると確かにロープがある。安心しておりたが、さてコンクリ壁をどうやって越えるか。右側が少し明るかったのでそちらに進むとコンクリ壁が切れて地蔵さんがあったので、またがせてもらって道路に出た。
16/05/11 17:32:42
 ほっとして車道を歩くと間もなく関戸宿だ。本陣跡の看板があるくらいで、古い建物は見当たらない。
16/05/11 17:44:56
 関戸宿を出ると小瀬峠への登りが始まる。旧道の道標があったが、これではどちらか分からないと思いつつ、地図を確認し、下の道を進む。
16/05/11 17:50:08
 写真の左のコンクリ壁に左右を指した道標が立てかけられている。これに山陽道とあるが、正しい道は左右の車道ではなく、直交する地道だ。案内板や道標があてにならないのが山陽道、気楽には歩けない。
16/05/11 17:52:02
 先ほどの道を直進するとすぐに道がどこかも分からないような藪になる。
16/05/11 17:54:22
 藪が過ぎて竹林に入ると道が現れほっとする。
16/05/11 17:55:42
 旧道が崩れている部分から上の車道に上がるように看板があったが、越えられそうなのでさらに進む。無理にしばらく進んだが、車道からの不法投棄のごみがあまりに多く、嫌になって結局車道に上がった。
16/05/11 18:04:34
 小瀬峠の下りでも2ヶ所旧道を通れる場所があるのだが、1ヶ所目は分岐に気づかず、出口の看板で失敗に気づく。2ヶ所目は分岐に気づいて進んでいったが、途中で川が渡れず、大回りする羽目になった。何かと進みにくい旧道が多かったが、なんとか峠越えを終えて小瀬の集落に着く。対岸は安芸の国=広島県だ。
16/05/11 18:38:00
 橋を渡って広島県大竹市木野に到着したのは19時前。木野の先にも難しそうな峠越えがあるので本日はここで終了。
本日の距離 25km
山陽道の合計距離 170km