Day1 宇都宮宿-白澤宿-氏家宿-喜連川宿-佐久山宿-大田原宿 43.2km
始発のJRに乗って、新橋、上野と乗り換え、宇都宮駅到着。駅前からバスに乗って奥州街道との分岐点へと移動する。4時過ぎに起き、4時45分に家を出ても、出発点の追分到着は8時10分である。
宇都宮宿内の道は城下町らしく、何度も曲がっており、スタートは大通りだが、途中ではオリオン通りというアーケード街も通る。
古い建物がなさそうな商店街の中にポツリあった古い薬屋。大正8年操業とあり、ビルに囲まれ異彩を放っている。
宇都宮宿最後の曲がり角に残るのが、旧篠原家住宅。現在の建物は明治28年のものだが、篠原家は江戸時代からこの場所で醤油醸造業や肥料商を営んでいたという。
竹林町あたりには見事な長屋門や石倉のある屋敷が点在し、街道の趣がある。
本日最初の白澤宿に江戸時代の公衆便所跡がある。日本の公衆便所の歴史は欧州よりずっと古いことは知っていたが、江戸時代の公衆便所跡が今もあるとは・・・。当然何度も建て替えられているそうだが、近年まで使われていたらしい。
中を覗くと肥桶?があった。いつ頃まで糞尿を集めて肥料として使っていたのだろう。
白澤宿はきれいな建物も多く、看板もしっかりしている。
歩道脇の水路には水車もいくつか設置するなど、宿場町としての観光に力を入れている様子がうかがわれる。日光街道の宿にはこういうのがなかっただけに、新鮮で嬉しい宿だ。
黄金色の稲穂が重そうに垂れ、一部では稲刈りが始まっている。
鬼怒川には大勢の釣り人。
氏家宿も古い建物は少なかったが、この瀧澤家住宅の鐵竹堂は目立っていた。瀧澤家は明治期に紡績事業で財を成した旧家で、鐵竹堂は明治25年に明治天皇のご休憩所として建てられた建物だ。
氏家から山道に入る寸前にあるのが挟間田村の明治時代の水準点。当時は一帯が水田で、不朽物が大黒天しかなかったので、その台座に不印を掘って、水準点にしたらしい。
峠越えの上りに入り、途中に早乙女温泉があった。しかし、木曜日は休みだそうでひっそり。下り始めてすぐに、旧道は車道から分岐し、森に入ってゆく。明治18年に迂回路ができたため、この道は古い時代の姿を残しているとのこと。趣きある山道だが、蚊が多くて、のんびり景色を楽しむことはできなかった。
坂を下りきると、美肌の湯で知られる喜連川温泉のある喜連川宿に入る。3日行程にして温泉に入りたいなと心が揺らいだが、頑張って先に進むことにする。写真は本陣跡に出来た休憩所。
佐久山宿に着いたのは17時半。JR駅に出るバスは1時間以上前に終わっていた。東海道で何度か見て名前を覚えた「なまこ壁」の土蔵は、日光街道やここまでは見なかったが、この宿には少なくとも2軒は残っていた。
佐久山宿辺りで日は暮れ、あっという間に暗くなった。できれば大田原の中心部まで行っておきたかったが、都合により断念。大田原宿入口の手前、最初のバス停のところで本日の歩きはストップした。予定より数キロ短く、次回が苦しくなったが仕方ない。これでもバスに乗ったのは19時20分、家に帰り着いたのは0時前である。
本日の距離 43.2km
奥州街道の合計距離 43.2km
本日の出費 交通2720円 + 飲食712円 = 3432円
*交通は18切符の一日分と宇都宮市内バス、大田原市内バス。