Day11 道の駅大桑-野尻宿-三留野宿-妻籠宿-馬籠宿-落合宿-中津川宿 43km
本日はまだ薄暗い4時半スタート。川に霧がかかっており、良い時間のスタートができたなと思った。
野尻宿には5時頃到着。まだまだ街は寝ているように静かだ。
国道を横断するのに金属のパイプと板で下水トンネルを歩けるようにしていて驚いた。木曽路は歩きの旅人が多いのか、なんとか安全に歩けるよう道が造られているのがうれしい。
木曽川沿いの旧道から美しい川の風景が続くが、土石採集場が点在するのが目障りであった。
三留野(みどの)宿は明治15年の大火で全焼しているが、その後に建てられた町並みが残っているので情緒がある。しかし、木曽路の宿場町はどこも見応えがあるのに比べ、ちょっと印象が弱い感がある。
三留野宿を出るとすぐに南木曽駅。駅構内にこれから運ばれるのであろう木材がたくさんある。今も江戸期同様に木材がこの地域の重要な産品なのだ。
南木曽駅を過ぎると木曽川の本流を離れ、山道と狭い車道が多くなり、妻籠(つまご)の重要伝統的建造物郡保存地区へと入っていく。看板があったのですぐに妻籠宿かと思ったら、ここは周辺地域から重要伝統的建造物郡保存地区に指定されており、宿はまだかなり先だった。
宿の入り口にあるのが高札場。この辺りから観光客の姿がちらほら見えるのだが、そのすべてが外国人(白人)。5、6組、10数人の外国人観光客を見た後に初めて会った日本人は宿泊した外国人を見送る宿の人。
坂の宿場町なので水車も映える。
9時前だとまだ多くの店が閉まっていた。
ゆっくり朝食をとり、再び散策。開きだした店の人にお早いですねと声をかけられた。この時、すでに10時。思わず時計を見返してしまった。この頃になると白人よりも東洋人の観光客が目立ちだしたが、東洋人も中国人が多く、これほど外国人比率が多い観光地は初めてだ。
写真は本陣前。見応えがあるし、休める場所も多いとはいえ、着いてから2時間以上いるのにびっくり。
宿を出てしばらく行くと大妻籠と呼ばれる地区があり、ここにも古い家屋が何軒も並び、多くが宿になっていた。
大妻籠を過ぎるといよいよ馬籠峠への山道。ここにも外国人ハイカーがたくさんいた。
峠の手前には一石栃白木改番所跡があり、往時にはこの辺りに茶店が何軒も並んでいたという。今も一軒だけあり、ハイカーが大勢休んでいた。
12時半に馬籠峠到着。峠で車道と合流する。岐阜県中津川市の看板があり、えー??? 馬籠も木曽であり、長野県だったはず。前来た時は山口村・・・、平成の大合併で多くの市町村が消えているのは承知していたが、県境が変わった場所があることは初めて知った。
峠から10分も下れば伝統家屋があり、馬籠宿の看板もあったので着いたと思ったが、ここも妻籠と同じで宿のずっと外から観光地として一体化しているのだった。
馬籠宿は明治と大正に大火があったので非常に古い伝統家屋が並んでいるという訳ではない。しかし、石畳の坂道の両側を伝統家屋が並ぶ景観を保持しており、妻籠ほどではないがこちらも人気の観光地だ。
この土蔵カフェのように新しい使い方をした建物も多い。
狭い山間の集落が連なる木曽路が終わり、前方に平地が広がって見える。
新茶屋と呼ばれる立場茶屋だった集落に、一昨日見た「これより南 木曽路」の碑と対をなす「これより北 木曽路」の碑がある。これで3日間に渡った中山道のハイライト“木曽路”が終わった。ここから美濃の国、信濃の国は長かったー。
新茶屋を過ぎると落合の石畳が1キロ近く続く。もともとの石畳が残っていた場所はごく一部で、ここの大部分は近年整備されたもの。雨の日の石畳は滑って非常に危ないので、わざわざ整備しないで欲しい。
落合宿到着が16時半。歩き出して12時間たっているが、妻籠と馬籠で十分休んだためか、今日はさほど疲れが出ていない。写真は旧本陣。
丘の上を下って来ると中津川宿の通りが一直線に見える。木曽十一宿とは比べ物にならない都会!
上から見たら伝統家屋なんてないだろうと思っていたが、意外に残っている。
頑張って18時まで歩いたので久しぶりに距離も伸び、40キロを越え。
本日の距離 43km
中山道の合計距離 323 + 43 = 366km