徒歩旅

Day12 鳥取駅前-鳥取宿-鳥取砂丘-岩美駅 22㎞

**地図**
 連日4時台に起床していたが、昨日頑張ったおかげで6時頃の起床となる。朝食付きのホテルで、時間が7時から。予約した段階では朝食をあきらめて、始発で湖山駅に戻るつもりだった。昨夜頑張って歩いたのは、朝食がどんなものなのかなと思ったのもあったのだ。安い宿の無料朝食だけあって大したものではなかったが、コーヒーはおいしく、満足。昼間はおしゃれなカフェとして営業している店で普通にカフェで出しているコーヒーだそうなので、コンビニコーヒーよりおいしいのは当然か。
19/04/09 07:39:02
 7時40分に歩き始める。鳥取宿の中心部は普通の住宅街でサクサク進む。鳥取城のお堀で左折する。
19/04/09 08:05:00
 新学期の始まった学校に次々と生徒が登校していたが、それが終わると再び静かな住宅街となる。
 県道316号と交差する丸山町の交差点に古い石碑がたくさん集められている。写真右が1836年建立、中央は1722年建立のものだということだ。
19/04/09 08:24:38
 左手には大きな緑地公園があり、散歩によさそうなところだ。
19/04/09 08:51:50
 浜坂集落に入る橋の手前に犬塚がある。昔、浜坂の人が、一本橋を大きな橋に架け替えたいと考え、橋建設の勧募趣意書の木札と竹筒を自分の飼い犬の首にかけ放した。旅人や村人が竹筒に銭を入れ、集まった募金で新しい橋が建設されたということだ。この犬が死ぬと村人は橋の近くに墓を造って犬塚として祀って今に至る。
19/04/09 08:53:46
 浜坂には古い屋敷が細い昔の幅の街道沿いに並んで、趣きがある。
19/04/09 08:56:50
 浜坂からぐんぐん坂道を登って鳥取砂丘に出た。この松は旧街道の一里松として江戸時代に植栽されたものということで、約20年前の看板に樹齢150年以上とある。
19/04/09 09:11:58
 山陰道はここから砂丘の上を通っている。当時の道が砂に覆われたという訳でなく、もともと砂の上を歩いていたのだ。砂漠の砂丘と違ってここの砂丘は湿気ているので歩きにくい訳ではない。ということで砂丘に突っ込む。誰もいないので振り返ると自分の足跡だけがついている。
19/04/09 09:20:20
 サハラ砂漠の写真と言われればそう思えるほど風紋がきれいに続いている。
19/04/09 09:21:46
 方向が分からなくなりそうだが、ところどころに目印の杭が立てられいた。
19/04/09 09:25:50
 15分ほど進むと観光客がたくさんやってくる場所が見えてきた。私も何度か来ているがその辺りばかりに行っていた気がする。
19/04/09 09:34:04
 砂丘横断を終え、案内所で少し質問したら色々調べてくれ、予定外の時間が経過する。今日の行程は時間的には余裕のはずだが、あまりにのんびりしていると時間がなくなるかもしれない。
 この後しばらくは海岸に沿った道路と並行の自転車歩行者専用道を歩く。車道よりも山側なので砂丘が見えない道だ。計画した人が自分で訪れることを計算していないでやってるなとホント思う。景色が見たく、車道の海側も歩いたが、路肩の少ない道を車は飛ばしてくるのであきらめた。
 一ツ山離水海食洞に立ち寄る。現在よりも海水面が高かった縄文時代に海進期に波や潮風の影響でできた海食洞だが、現在は海水面が下がり海から離れた場所にあるので離水海食洞と呼ばれているそうだ。
19/04/09 10:28:22
 海水浴場の近く海に出てみたが、流れ着いたゴミが多い。
19/04/09 10:34:12
 鳥取砂丘は人の手が入り、今では作物を育てている場所も多い。中でも有名なのがらっきょだ。一面のらっきょ畑は見事だ。話をした爺さんによると収穫は5月以降という話だったが、すでに収穫途中の畑もある。
19/04/09 10:57:06
 福部の集落もおもしろそうだったが、山陰道は集落の外を通っていたということなので、外から眺めただけで、さらに先へ。
19/04/09 11:12:56
 鳥取市と岩美町の境界である駟馳(しち)山峠の先に駟馳山登山入り口がある。登山道の案内しかないが、そこを入るとすぐに山に登る道と下りの石畳道に分かれる。この石畳道が江戸時代の山陰道だ。せめて分かるように書いて欲しいものだが、山陰道は歩く人のことなど考慮していない場所ばかりで仕方ない。江戸時代の石畳がこれほどきれいに残る場所は貴重なのにもったいないことだ。
19/04/09 11:36:20
 石畳の中ほどに名馬生月(いけづき)の足跡であるというくぼみがあり、その上にある桜の花びらで埋まっていた。源平合戦のおり、佐々木高綱とともに宇治川の先陣争いで活躍した名馬が、生月(池月)だ。名馬の産地として知られる山だったそうで、生月もここで誕生したと伝えられているが、この石畳は1812年に施工されたものなので時代が合わない。
19/04/09 11:37:44
 石畳が終わり、車道と合流した先の左手に小畑(こばたけ)古墳公園がある。数年前に車で来たことのある場所だが、見晴らしのよい高台にある古墳公園で、今回も立ち寄った。いくつかの古墳があるが写真の小畑3号古墳は見事だ。

 坂を下りきったところが大谷集落で、ここも古い大きな家屋がいくつもあって良い感じの集落だ。
19/04/09 12:10:00
 山陰本線岩美駅から先は山陰道とJR線が大きく外れるので、今回は岩美駅からの帰宅を決めている。歩く距離が短くなるのでバスの本数が多い4キロ先の温泉まで行こうと思っていたが、予定よりも遅くなって行く時間がなくなった。行くだけならまだ大丈夫だが、行くならゆっくり湯に入りたい。山陰道と駅への道の分岐の踏切で少し迷ったが、進むのは止めた。次回の山陰道はこの踏切からとなる。
19/04/09 13:31:22
 13時40分岩見駅到着し、本日の徒歩旅終了。
19/04/09 13:41:40
 十数分前の列車に乗っていればいつもより2時間半早く家に着いていたはずだが、残念だ。次の列車は1時間後の14時40分、その次の15時45分の列車に乗っても最終的には同じ時刻になってしまう接続の悪さだが仕方なし。