Day7 田儀駅-今市宿(出雲市)-宍道宿-宍道駅 39㎞
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地図**
3月も半ばとなり、山陰道の徒歩旅を4か月ぶりに再開する。前回は車で来ており、終了地点が駅と駅の中間点となっていた。今回は列車での移動だが、列車時刻に合わせたバスがあり、今回のスタート地点へはスムーズに行けるはずだった。
ところが、列車が田儀(たぎ)駅に到着する前に、バスが既に出発しているのが見えた。反射的に時計を見るも、列車は定刻である。ふざけんな~。出雲の国の西端にあるローカル駅で、この駅で下車したのは私一人、乗る人はいない。毎日ここでのバスの乗り降りがないのだろうが、わざわざ国道から駅前のバス停まで往復して入ってくるバスなのに、定刻より5分早く出て、列車から乗り継げなくするとは・・・。税金を投入している生活バスなのに、こんな運行の仕方をしていれば乗る人が減っていくのも当然だ。
気を取り直し、歩き始める。歩き難いほどの強風で、非常に寒い。どんよりした空からは今にも雨が降って来そうな天気である。前回は日が暮れてから歩いた区間なので、景色は見えていない。日本海の向こうに島根半島が見えており、快晴なら素晴らしい景色の場所だろう。
前回は暗いからと歩かなかった旧道がところどころ続いている。ここをちゃんと歩けたから、バスを逃して良かったかなとも思う。車道を歩いていたのに、踏切部分から車両通行止め。
歩道となった旧道が、国道と交差。しかし、国道の横断を妨げるべく、植木と中央分離帯で遮断してある。旧道が見えているのにもどかしい。100メートルほど先に歩道橋があり、そこで渡れということなのだ。歩道橋手前で旧道は、国道をくぐって、再び海側に来ている。階段でそこに降りられるようになっており、再びここから旧道に入る。
再び国道に戻り、前回の終了地点に到着。バス停を少し恨めしく思いながら、先に進む。しばらく国道を歩き、小田東港入口交差点で旧道が分岐する。NTTのある辺りまでは旧街道を歩けるが、そこから先の旧道は途切れ途切れで歩けない。部分的には旧街道に入れる場所もあるが、こだわらずに小田駅前を通る県道280号を進む。小田の町外れで旧街道が県道280号に合流、さらに国道9号に合流する。そしてすぐに、旧街道は国道の北側に分岐する。この辺りで雪がちらついてきた。住んでいる辺りはもう大丈夫だと車のタイヤを夏用に戻したというのに、この辺りはまだ雪が降るのだ。海岸に出ると風がきつい。海は大荒れで沖の方まで白く見える。
横風に苦労しながら海岸沿いを進む。徒歩旅を始めた頃は歴史ある建物や街並みに興味が湧いていた。建物や街並みに飽きてきた後は、道端の地蔵や燈籠、道標などに興味が移り、そこから地形なども考え合わせ、なぜそこが町になり、道ができたかなどを考えることが多かった。しかし、島根の古民家に引っ越してからは、自然の植生や畑の作物、家の修理方法などに興味が移っている。今は大根のとうだちの時期である。とうだちすると大根はスカスカになり味が落ち、花を咲かせてしまうとさすがに食べられない。昨年までは食べ残した大根がいくつもあったが、今回は良いヒントを見つけた。この辺りの人は皆さん大根の頭をカットしてとうだちを止めている。戻ったらやってみよう。
えんどう豆の支柱も色々やり方があるが、うまく成長しているところは竹で組んだ支柱が多い。これも参考になる。
旧道が方向を変え、これで追い風になるかと期待したが、集落内に入ると風を感じない。壁や防風林で風を防いでいるのだ。神西(じんざい)湖畔のコンビニで休憩。予想外に寒いので、中々外では休めない。こういう日の暖かなイートインはうれしい。神西湖はシジミで有名な湖だが、いかんせん外は寒くて立ち止まって眺める気分にならない。
田園地帯を通り抜け、神戸(かんど)川を越えると出雲市の中心部だ。
歩く前に調べた限りでは、神戸川を越えた後の山陰道が2通り出てきて、どちらか分からず。事前準備で地図上に作る予定ルートは2本あるままだ。橋を渡り、さてどちらに行こうかと悩んだが、距離が短そうな東ルートを選んだ。古い地図を見ても2本の道はあるので、昔からどちらを歩く人もいたのだろう。ただ当時の宿場である今市宿の名残りとなる今市町は、西ルートの方がたくさん通っている。水路沿いの昔ながらの道を北に進む。JR線を越えたところの大念寺に今一大念寺古墳があり、石室内部も無料公開されている。西ルートをとるとここを通らないことが東ルートにした理由の一つ。道路沿いからも古墳の外観は見える。中に入る前に石段でひと休み・・・のはずが、長く座り込んでしまう。日が差してきて、やっと寒さが和らいだせいだろう。のんびりしてしまったので、中には入らずに出発。大念寺の前をもう一本北側まで歩くと西ルートと合流し、今市宿の見どころの高瀬川沿いの道に出たはずだが、一本南を歩いてしまった。古い洋館のところで高瀬川沿いに出る。ここで川沿いの道を往復散歩するつもりだったが、これをパス。久しぶりの歩きで足が痛くなってきており、寄り道する気力が失せてきたのだ。
今市宿を抜け、しばらく進んだ大津町に、山田家住宅(本陣遺構)があった。白壁が続く真ん中に看板があり、遺構とあったので、壁の向こうがあった場所と思い、看板の写真のみ撮影。しかし、ネット上にある写真を見るとその隣にあった建物がそのものだったかもしれない。今市の宿場から外れた場所に本陣を建てた理由はよく分からず。
大津町を抜けると斐伊(ひい)川にでる。左に見える橋は神立(かんだち)橋。日本中の神々が旧暦10月になると出雲に集まり、会議をするとされている。この会議の後、神々はここから自分の国に帰っていくので、「神立橋」とここが名付けられたということだ。
斐伊川は古来洪水を起こしてきた川で、これまでに何度も流れを変えている。そのためにここから宍道湖までの間は、何度も道も変わり、昔の街道筋をたどることは難しくなっている。特に神立橋の東側は道が全く変わってしまっている。ただ一里塚跡が残っているので、まずはその出西・伊波野(しゅっさいいわの)一里塚を目指す。再び雪が降り出して、吹雪のようになってきた。田んぼの中の道なので休むところもない。一里塚は、道路沿いにはなく、民家の裏庭のような場所にあるが、周辺はほど田んぼなので、遠くから間違わずに進むことができた。到着時には雪も止み、ホッとする。今は松の切り株が対になって残っているだけだが、国指定史跡になった昭和12年の写真があり、巨大な松の間に街道が走っていた様子が分かる。
体が冷え切ってしまったので暖かい場所で休みたい。少々山陰道から外れるが、ファミリーレストランのガストがあったので立ち寄る。店内は暖かで助かった。11時頃にコンビニでカップ麺を食べたきりだったので、15時過ぎで中途半端な時間だったが、普通に食事をし、ゆっくり休む。これで予定の来待駅まで明るい時間に歩くのは無理になる。一駅手前の宍道(しんじ)駅なら明るい時間に着きそう。もう一駅手前の荘原駅で止めるなら、駅近くの足湯に浸かっても20時台に家へ着く。その列車を逃せば家に着くのは23時台だ。この辺りも新しい道で特に見るものもなく、どこまで歩くか考えながら歩く。足湯の後でも歩く気になれば暗くなるまでに時間はある、まずはと荘原で足湯に立ち寄った。疲れた足にはほんと気持ち良い。
足から温まると元気になって、宍道まで歩くことにする。足湯のすぐ先に伊志見(いじみ)一里塚があった。こちらは切り株さえ残っていないが、前後に少しだけ旧街道が残っており歩けるのが良い。
宍道宿の手前1キロほどだけだが、古い街道が、山の中に残っている。今日歩いた中では唯一この区間だけが、江戸期の雰囲気が残る道だ。林を抜けると下の方に出雲空港や宍道湖などが見えた。
さらに進むと地形図にもない山の道になるが、歩きやすい良い道だった。
日没時間を過ぎ、宍道宿に到着。右の建物は八雲本陣木幡(こわた)家。
18時半、何とか暗くなる前に宍道駅に到着した。
予想外の悪天候に苦労したが、無事に山陰道の8日目が終了。