Day1 日本橋-板橋宿-蕨宿-浦和宿-大宮宿-上尾宿-桶川宿-北本 49km
今日から中山道を歩く。碓氷峠や和田峠は積雪期になると歩けないだろうから、最低でも12月上旬までにこの前半を終えたい。その先も雪が多い場所が続くので、秋のうちにずんずんと進んでおきたいところだ。
中山道も東海道と同じく、日本橋から京を結んでいる。最後の草津から京までの30キロ弱は東海道と同じ道となっており、ここを再び歩く気はなく、目指すゴールは草津宿の中山道と東海道の合流点とする。となると、日本橋から日光街道の分岐である室町三丁目の交差点までもすでに歩いた道程だ。その差はたった400メートルだが、スタートはこの交差点とした。写真は室町三丁目から見た日本橋。正面に見える首都高のガード下が、日本橋の起点。
スタート地点で目立つのが、江戸時代から続く骨董品屋である海老屋の壁にある写楽の市川蝦蔵!
江戸の中心部であるこの辺りは見どころが豊富で、十軒店跡、今川橋跡から始まる看板を一々読んでいると中々前に進まない感じがするほどだ。
神田で山手線をくぐり、昌平橋の手前で中央線、渡ってすぐに総武線をくぐる。写真は中央線のガード下に並ぶ、レストラン。
本郷通りに入るとまず左に湯島聖堂。
右側には神田明神の鳥居がある。神田明神に立ち寄ろうと思ったが、ちょうど朝のラジオ体操の時間で入りづらく、引き返す。
神田明神の鳥居脇に少しだけ旧道が残っているので回ってみたが、ビル街なので、本郷通りを進むのと変わらない気がした。本郷通りは徐々にカーブし、東大が見えてきた。敷地内外の樹木が巨大で、圧倒された。写真の赤門や道沿いの壁が記憶のままなだけに、木々のサイズだけが異様に感じるのだ。この道を歩くのはほぼ30年振りだなと改めて思う。学生時代の記憶が色々よみがえり、東大沿いに歩いている間はただそれだけでウキウキ。
江戸時代の創業の酒屋である高崎屋の角が本郷追分、ここで東大前の本郷通りから離れてしまう。ここが最初の一里塚跡である。本郷通りから外れ、旧白山通りに入ると特に見どころもなくなり、淡々とした都会の道が続く。
巣鴨駅を過ぎると交通量の多かった国道17号から外れ、旧道は巣鴨地蔵通商店街へと続く。この分岐にあるのが真性寺で、ここに江戸六地蔵の一つがある。江戸六地蔵は、旧東海道の初日の品川寺でも見ている。
この巣鴨地蔵通商店街で有名なのは、この江戸六地蔵よりも高岩寺のとげぬき地蔵だ。商店街の中ほどにある高岩寺にお参りしてみたが、地蔵さんの姿は見えない。秘仏で公開されていないのだとか、残念。
JRの板橋を越え、首都高をくぐると、中山道最初の宿場町である板橋宿である。今日は朝食をとっていなかったこともあり、コンビニでカップ麺を食べ、その後公園でここで大休止。写真は板橋の語源であるといわれる板橋。残念ながら今はコンクリの橋だが、雰囲気は木造。
さらに行くと縁切榎がある。男女の縁を切りたいときはこの榎の樹皮を煎じて相手に飲ませるとその願いが成就するという。樹皮が削られないよう幹は竹で保護されているが、その上にはやはり削った跡がある。
板橋宿を出てしばらくすると旧道は再び国道17号と合流する。道幅の広い国道の両側に志村一里塚がある。全国でも珍しい対の一里塚が都内に残っているなんて知らなかった。これは一見の価値あり。
志村の一里塚で出発して12キロ。いつもなら30キロくらいまでは余裕なのに、この辺りで股関節が痛み出し、先行きが不安になる。志村坂上で17号から外れ、急坂を下るのだが、ここで本格的に股関節がおかしくなった。痛みを軽減するために歩幅は明らかに狭くなり、姿勢は前かがみ、歩く速度は極端に落ちた。ゆっくり歩けば大丈夫とはいえ、痛みが消えなければ本日の予定はこなせそうにない。立ち止まってストレッチをしたりするが、あまり効果はなし。志村坂下で再び国道17号と合流。荒川を渡る戸田橋は昔の船渡し場所と少しずれているので、旧道は17号からそれているが、事前に調べたところ特に見るものもなく、足が痛かったこともあり、旧道に入らず17号を直進。戸田橋を渡り、埼玉県へと入った。
戸田を越え、蕨に入ると再び旧道は国道から分岐し、2つ目の宿である蕨宿へと入っていく。20代の頃に5年ほど蕨駅前に住んでいたが、駅の反対側であり、住所も川口市だったので、蕨市の中心部であるこの辺りに来たことは一度しかない。景色に見覚えはなくても蕨の地名は懐かしく、当時のことがやはり思い出され、歩いていてここでもウキウキ。足の痛みもやわらいだ気がする。街道沿いの旧家が蕨市立歴史民俗資料館分館として無料公開されている。江戸時代建築ではないが、100年以上の歴史ある建物や庭が開放されており、のんびり座って休めるのがありがたい。
蕨市立歴史民俗資料館の本館は本陣跡にあり、資料館となっている。その先には古い建物がぽつりぽつり。写真は、昭和初期の出桁造りの町家で鈴木薬局との看板が読める。
さいたま市に入り最初の一里塚が、辻一里塚跡。ここまで20キロ歩いたなと思ったら、再び股関節が強烈に痛み出した。
3宿目の浦和宿に入るが、寺社以外に古いものは見当たらない。宿の入口付近にある調神社(つきじんじゃ)の森は見事で立ち寄ろうかと思ったが、足は道の逆側にあったミニストップへ。ソフトクリームを食べつつ休憩。さらに宿の中心部付近で昼食をとる。
休むと痛みは和らぐが、しばらく歩くとまた痛くなる。4宿目の大宮宿に着いて、氷川神社の参道前で休憩。今日はここで中止しようかと迷い、カレンダーを見て先の日程などを練り直す。
再スタートした時は大宮駅から帰るつもりだったのに、休むと痛みはなくなり、駅前交差点で直進してしまう。次の宮原駅への分岐で、またしばらくまた休む。次の上尾まで行けば本日の5宿目、頑張るか。
歩くのペースは完全に遅くなっており、上尾宿に着いたのは16時半すぎ。浦和、大宮、上尾の3宿は街並みが新しく、歩いていて特に面白いものではない。次の桶川宿には古い建物が多く残っており、今日はそれを楽しみにしていたが、今のペースでは日が暮れる。本日はここまでと一旦は決心。しかし、駅に向かう道で見た夕焼けが異様に赤く、元気が湧いてきた。桶川までは4キロもなく、急げば明るい時間に着けるはず。そう思ってペースを上げて頑張てしまった。しかし、もう少しのところで暗くなってしまった。
桶川宿で一番見たいと思っていたのは江戸時代から続く旅籠、現在の武村旅館である。1泊2日で歩くならここに泊まりたいなと出発前にかなり迷っていた宿でもある。
桶川宿には他にも色々古い建物が残る。写真は明治時代に建てられた矢部家住宅。
東海道を歩いた昨年は今より良いカメラを持っていたが壊れてしまい、今使っているのは10年前のデジカメ。暗いと写りに差が出てしまう。夜歩くのは結構好きなので新しいのを買うべきか。
もうひと駅、北本にある温泉に行こうと計画し、クーポンを買ってある。次回の帰りに使っても良いが、足を痛めた今日の方が気持ち良いはず。最後の気力を振り絞り、北本まで歩く。スーパーで、弁当とビール2缶、カップ焼酎、ツマミなどを購入。スーパーに食べられる場所があったので、弁当を温めてその場で食べ、ビールで喉を潤す。温泉に移動し、ゆったりした後、再びビール。風呂あがりのビールはうまい。帰りの電車で今度は焼酎。今日は飲んだが、足の痛みは温泉と酒で治まるほど軽くはない。戸塚駅から自転車で帰るのがためらわれ、しばし座り込んでいた。
本日の距離 49km
中山道の合計距離 49km
本日の出費 交通2202円 + 飲食1913円 + 温泉460円 = 4575円