徒歩旅

Day12 糸魚川-梶屋敷-能生-名立-有馬川-谷浜-長浜-直江津 42㎞

**地図**
 夜明け前の5時半に歩き始める。梶屋敷宿に入るころには明るくなっていたが、伝統家屋はなく、写真も撮らずに素通りする。早川を渡ったところのコンビニで一休みし、朝食をとる。このコンビニの手前から久比岐自転車道が始まる。ほぼ全線が旧国鉄北陸本線を複線電化した際に廃止された線路の転用であり、旧街道ではない。しかし、もともと山が海に迫っていた場所では旧街道と鉄道が重なる部分もあるし、旧街道が全く消えている部分もあるので、それらの区間はこの歩きやすい久比岐自転車道を歩くことになる。
 能生(のう)川を渡ると能生宿となる。能生宿を抜けると山が海に迫り、旧街道は国道と合流する。すぐ目の前の岩礁は弁天岩で、海底火山の噴火によってできたもの。橋が架かっており、その先の港に車を停めた観光客が何組か渡っていた。
21/11/06 09:18:42
 港の休憩所で一休み。本日は最終日で、ゴールの上越市に宿をとるか新幹線で金沢まで戻って宿をとるかで迷っていたら、思っていた宿がどこも既に埋まっているのに気が付いた。週末ではあるがコロナで宿はガラガラだと思っていたのにびっくりだ。当日まで宿を予約していなかったのは、インターネットカフェでも良いかなと思っていたからというのもある。これでインターネットカフェ決まり、それなら到着は遅くなっても問題ない。ポカポカした日差しを浴びながらベンチで横になって予約サイトを見ていたが、気が抜けたのか、いつの間にか眠っていた。
 十分に休んだのですぐ近くにあった道の駅は素通りしようと思っていたが、ものすごくにぎわっており、立ち寄る。海産物の店が立ち並び、中でも蟹が大人気。まだ10時だというのに皆さん豪快に蟹を食べている。
21/11/06 10:13:46
 まだ空腹ではなかったが、名物ならば蟹を食べておこうと思い、店を見て歩く。どんどん人が増えてにぎやかすぎるので一番奥にある食堂へ。カニ汁を食べている人を見て美味そうだなとカニ汁を注文したはずだったが、出されたものを見て目が点に。器からはみ出しているはずの赤い4本の足がない。冷静になってみると、確かにタラ汁を注文した覚えがある。昨日のタラ汁が頭の片隅に残っており、何故かカニをタラと間違えてしまったのだ。今日のタラ汁も美味しかったが、やはりカニを食べたかったかな。
21/11/06 10:37:18
 気を取り直して歩き始める。道の駅周辺の海は岩礁が多い。写真の岩はトットコ岩と呼ばれ、親しまれているそう。糸魚川地方の方言で「とっとこ」は「にわとり」を意味している。弁天岩からトットコ岩まで2キロもないのに2時間もかけてしまった。これで明るい時間に着くことはなくなっただろう。
21/11/06 11:22:52
 藤崎の集落で国道から離れ、再びのんびりとした旧道歩きとなる。続く筒石集落は平地のほとんどない斜面にある漁村だ。狭い道沿いに3階建ての家が密集しているのが特徴的だ。この通りの南側の家の3階は一本南の道路と同じ高さに面している。
21/11/06 12:51:00
 筒石の海では映画の撮影が行われていた。
21/11/06 13:01:14
 筒石を抜けると再び旧街道は国道8号線と合流するが、ここからの国道には歩道がなく、並行して走る久比岐自転車道を歩くことになる。しばらくそのまま進むといよいよ北陸道のゴールとなる上越市に入る。
21/11/06 13:28:34
 上越市は、城下町であった高田市と港町であった直江津市が合併して成立した市で、現在の役場などは高田と直江津の中間に置かれている。江戸初期の1614年に松平忠輝が高田城を築城して直江津にあった福島城から移って以降は、中山道から分岐し新潟方面に向かう北国街道とここから金沢を通て滋賀で再び中山道と合流する北陸道の分岐は高田にあった。そのため、旧北陸道を歩くなら高田をゴールにするのが一般的だ。しかし、江戸初期までの分岐は直江津にあったし、そのまま北を目指すなら直江津ゴールにした方が都合よい。という訳で、私は直江津をゴールに設定している。
 上越市の最初の集落が、名立宿となる。名立の手前で自転車道と国道は少し間隔がひらく。なるべく旧街道の近くをというのなら国道だが、廃線路上の道もおもしろそうだとここまで眺めており、少しそのまま歩いて古いトンネルなどを楽しむことにする。最初のトンネルの手前にあったのが名立休憩所。今日は先を急ぐ気持ちがなくなっているためか、やたら眠くて、ここでもしばし昼寝をした。
21/11/06 14:23:46
 そしてレンガのきれいな大抜トンネルへ。
21/11/06 14:25:00
 400メートルにも満たないトンネルだが、車が来ないこともあり中はのんびり歩けて楽しい。
21/11/06 14:27:42
 名立宿の入り口近くに無縁塚がある。1751年の高田大地震で名立宿は全村壊滅し、400名以上の犠牲者が出ている。その犠牲者の供養のために建てられたのが、この無縁塚だ。
21/11/06 14:58:16
 名立から先、鳥ヶ首岬辺りの海岸線を現在の国道や自転車道は通過しているが、昔の街道は崖の上を通っている。かなりの部分は道が消えているようだが、何年か前に歩いている人もいるので、当初は旧道にトライするつもりだった。しかし、今日は何度も大休止し、遅くなっている。ここを上ってしまうと、次の谷浜で旧道に上るのが日没以降になりそう。次は道が切れている部分はなさそうなので、この区間は自転車道を進むことにした。
 本来は見る予定でなかった不動滝。旧道はこの滝より上流を通っている。
21/11/06 15:34:26
 この乳母嶽山トンネル越えて少し進んだところが、旧街道との合流点。
21/11/06 15:51:50
 現在は小さな漁村である有間川宿を越えると再び旧北陸道は山道に入る。下の写真中央、民家の駐車スペースのように見えるセメントの坂が旧北陸道である。
21/11/06 16:34:38
 道はすぐに未舗装となるがたにはま公園に入る道でもあるので、草刈はされており歩きやすい。たにはま公園の一番上部の広場が「海の見える丘」で夕陽の撮影ポイントとなっている。旧街道は「海の見える丘」の手前で左に入るが、完全に未整備で、ドロドロの道となっていた。とりあえず進まずに上まで行って夕焼けを眺める。
21/11/06 16:45:18
 一部区間をカットすることになるが、頂上から旧北陸道に東から合流し進む道は案内板にもあるので、整備しているだろうとそちらに進む。
21/11/06 17:00:54
 しかし、整備してあったのは最初だけ。結局ドロドロで草刈もしていない道を懐中電灯の明かり頼りに進むことになる。たにはま公園の出口にお地蔵さんと石碑があった。1751年の高田大地震まで北陸街道は海岸線を通っていたが、地震以降通れなくなり、この山道に道が変わったようだ。
21/11/06 17:19:22
 18時前に谷浜駅到着。無人駅で30分ほど休憩する。もう夜になってしまったので、休み休みのんびり進むだけだ。
 直江津の海水浴場を通り過ぎて、直江津の街に入ってくる。五智国分寺のところで高田に向かう旧北陸道と別れ、直江津駅方面を目指す。国分寺があることからもわかるように元は直江津が越後の国の中心だったのだ。
21/11/06 19:53:24
 国分寺のすぐ近くに絶好の休憩ポイントを見つけた。親鸞聖人が念仏の弾圧によって流罪刑となり、越後の国府=直江津にやってきたのが1207年、以降7年間この地で過ごしたという。流罪が解かれこの地を離れる前にこの池で自身の姿を映して木像を掘ったことから、鏡ヶ池と呼ばれている。ここの休み小屋でしばらく寝っ転がって休む。寝ても良いと思ったが、この時間だと寒くて眠くはならず。
21/11/06 19:55:42
 最後に夕食をとって閉店時間までのんびりしたので、直江津駅ゴールは22時。今回の歩きでは一番長距離となったが、休み休みでゆっくり進んだので、元気にゴールインである。
本日の距離 42km
北陸道の合計距離 402km