Day11 入善-泊-境関所-市振-外波-歌-青梅-糸魚川 41㎞
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地図**
朝5時半に宿を出発・・・したのだが、数百メートル進んだところで忘れ物に気付いた。戻ったので、実際の出発は5時45分となる。それでも今日は暗い時間の出発だ。
7時過ぎに泊宿到着。三日市宿で分岐した北陸道はここで再び合流する。合流の交差点にまめなけ市場という地場産品販売及び買物支援施設がある。開店前だが、休憩用のテーブルとイスがあり、少し惹かれたが、そのまま進む。寺が多い宿場町だが、最後に大きな神社があった。
泊の中心部には伝統家屋が見当たらなかったが、その先の横尾地区には何軒か並んでいる。
横尾地区の熊野神社には親鸞聖人が腰かけて休んだという腰掛石があり、その隣には樹齢数百年と歌に詠まれているケヤキの大木がある。
越中宮崎の海岸は、ヒスイ海岸と呼ばれ、「日本の渚百選」にも選ばれている。この海岸と糸魚川のヒスイ海岸はヒスイが拾えることで知られており、観光客らしき人々が朝から海岸で石拾いに興じていた。
宮崎はタラ汁が名物らしく、あちらこちらに看板があるが、朝から開いている食堂は見つからず。町から外れた宝温泉の近くでやっと営業している食堂を発見。朝食がまだだったこともあり、名物のタラ汁を注文する。注文を受けてからタラ一尾使って調理するので、注文してから20分以上かかる。頭から内臓まで入ったみそ味の汁で、鍋ごと出てきた。名物料理と自慢するだけあって美味い。基本的に魚汁が大好きなこともあり、大満足だ。
この先が、越中と越後の国境である。手前の越中側に加賀藩が設けた関所が境の関所だ。当時の遺構は残っていないが、御関所大門が再現されている。
関所近くにひときわ目立つ伝統家屋は林酒造場。創業者は加賀藩の関所に与力として勤め、傍らに酒を造ったそうだ。
国境の川の手前に境一里塚がある。
そして、越中と越後の国境。今でいう富山県と新潟県の県境となる。
新潟県に入ってすぐに道の駅があり、トイレ休憩。タラ汁を食べすぎたせいか、トイレを済ませてもお腹が痛く、長く休んでしまった。さらに進むと市振宿。こちら側には幕府が設けた関所があったそうだ。
市振宿を過ぎると古来難所といわれた親不知である。急峻な山が海岸にまで迫り、通行の困難を極めた場所として知られている。現在はトンネルが何本も掘られて普通に通行できるが、たまたまトンネル内の補修工事が行われており、車両は片側交互通行となり、大渋滞していた。
最初のトンネル部分は外側にある工事用通路を歩いて良いというので普通に歩く。
しかし、2つ目のトンネル以降は工事の人に先導してもらい2キロ以上トンネルを歩いた。トンネルの外に旧道が遊歩道として残されている場所に出て、ようやく一人歩きの再開だ。
海まで崖が続いており、景色は非常に良い。
遊歩道の最後の方に屋根とベンチ、テーブルのある休憩所があった。ここに各時代の道がどうなっていたかの説明文があり、学生時代にここまで来たことを思い出した。海岸までここから下りることができて、各時代の道の痕跡が見れるらしいが、疲れており降りるのは断念する。昔来た時は自転車で来ていたが、やはり疲れていて迷った挙句に下りなかったはず。うーん。進行方向には海の上に道路が見えている。すごい道だなぁと思った。後から確認したところ、前回来たのは1983年、北陸自動車道のこの区間が開通したのが1988年だった。
ここからは若干道が下っていくので歩きやすい。トンネル区間もまだあるが、工事しておらず、ひとりで自由に歩けた。ふと後ろを振り返ると先ほど休憩していたあたりが見えている。海までの傾斜はやはりすごい。
海岸部までようやく降りてきた。高速道路はトンネルから出てすぐに海の上を走っている。山が迫って平らな陸地がほとんどないからだが、本当にすごい技術だと思う。
親知らずを超えて最初の小さな集落が外波宿である。ただし国道から入る場所に柵があり、入り難かったので外から眺めつつ通り過ぎただけ。
さらに進んで、親不知駅を過ぎたところにある集落が歌宿。その先約3キロは再びトンネル続きで、ここも昔の道は残っていない。このトンネルの連続を抜けてようやく難所が終了だ。
すぐに青海宿となる。伝統家屋はなく、明治天皇聖蹟碑が宿場であったことを偲ばせるくらいだ。
青海の道では、積雪期に使う融雪の為の消雪パイプからずっと水が大量に流れており、歩くのが大変だった。たまたま冬に向けてのチェックをしている日に当たっただけだが、雪もないのに歩くのが困難になるほど出しっぱなしにしないで欲しいと思った。
姫川を渡るといよいよ糸魚川である。
なんとか糸魚川に明るい時間帯に到着。宿はもう少し先だが、まずは夕食を取りにファミレスへ。ここで明日の作戦を考えたりして、のんびり。
当然出た時にはもう真っ暗だ。糸魚川宿の中心部は、積雪下においても通行機能を確保するために町家の庇などを長く張り出して下を通路とした雁木造(がんぎづくり)の商店街が続く。本陣だったという古い酒造会社の建物を過去に北陸道を歩いた人の記録で見ていたが、それらしき建物が見当たらない。2016年に糸魚川大火と呼ばれる大規模火災があり、古い建物の多くは全焼して、建て替えられていたのだった。
宿は糸魚川の中心部ではなく、列車の次の駅であるえちご押上ひすい海岸駅の近くだ。糸魚川宿を抜けてもうしばらく進む。ネット予約も出来ず、電話で予約した民宿なので、宿代も現金しか使えない。ほとんど現金を持たずに旅行しているので、最後にコンビニに立ち寄ってキャッシング。宿に着いたのは19時だった。
本日の距離 41km
北陸道の合計距離 361km