Day2 木之本-余呉-柳ヶ瀬-椿坂-栃ノ木峠-板取-今庄 40㎞
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地図**
北陸道2日目。今までの徒歩旅だと30キロ歩いたくらいで翌日に足の痛みを持ち越すことはなかったのに、起きた瞬間に痛みを感じる。これが半年間の運動不足の結果だ。朝食を6時半にとる。
6時50分出発。足の痛みでペースが上がらないが、早く出発できたので普通に歩けば時間を気にする必要はない。1時間弱歩いたところに、旧一里塚跡。出発してすぐの木之本塾内にもあったので、時速4キロだ。休憩時間込みだといつものペースだが、さして休んでいないのにこのスピードは遅い。
柳ケ瀬集落に「明治天皇柳ケ瀬行在所」の碑がある屋敷がある。明治天皇は各地を巡幸されたので街道歩きをすると、その足跡を記す碑を何度も目にする。1878年(明治11年)10月10日、明治天皇は北陸巡幸の際に、ここで昼食を召し上がったそうだ。
柳ケ瀬は幕末まで関所が設けられていた場所で、「柳ケ瀬関所跡」の碑が残っている。
柳ケ瀬集落の北端に分岐があり、右は北陸道の本道で、栃ノ木峠を超えて今庄から福井へと続く。左は、倉坂峠を超えて敦賀に抜ける道だ。
今日の道中には、商店は愚か自動販売機もないとのことだったのに、なんと食堂発見。ただし週末のみの営業だそうで、人は居たが営業しておらず。熊鍋が気になる~。
椿坂の集落を抜け、さあ峠道だと思ったら、通行止め。工事中でもなく、崩れている様子もない。注意書きは、新しいトンネルを通れと言いたいだけに読める。引き返す羽目になったら嫌だが時間的な余裕はあるので進むことにする。
車の来ない車道を30分ほど歩いて峠の上に到着。新しそうな建物はあるが、無人だ。この峠で昨日買い込んだパンなどで昼食とする。
国道に合流する場所で、再び通行止めのゲート。何事もなく、通行止区間は終了。車でも通れる道だった。
中河内手前の小峠に水場。今日の山越えで唯一の水場だ。ボトルに水を満たし、ゴクゴクと喉を潤す。
中河内の集落でおばあさんが、大量に集めた紫蘇の穂から実をとっている。紫蘇の実なら家にもたくさんあるので何にするのかと尋ねてみたら、紫蘇ではなくエゴマだそう。
集落を抜けるとなだらかな道が真っ直ぐに栃ノ木峠へと続いてる。椿坂に比べるとあまりになだらかで驚くほどだ。
栃ノ木峠の左側にはスキーリゾート、右側には淀川源流がある。
峠で大休止。近江側はなだからだが、越前側は深い谷になっており、下りは大変そう。
ここから越前国となる。しばらくは旧道が失われており、つづら折りの車道を下る。
国道から今庄365スキー場への分岐に入り、さらにすぐ左の脇道に入ると板取宿となる。関所にもなっていた場所で、最初に板取関所跡がある。
関所跡の先には立派な茅葺き古民家が数件並んでいる。最近まで人が暮らしていた形跡はあるが、無人だ。どの家も保存家屋となっているが、廃村になってしまったのなら、荒れないかと心配だ。
古民家が並んでいる上板取の下に、下板取の集落があり、こちらには人が住んでいる。しかし、道路をアナグマがのんびり歩き、追いかけると民家の縁の下に逃げ込んだ。猿が瓦を落としながら遊んでいたし、住むのには大変そうな場所だ。今日の峠越えでは鹿も何度か見かけている。
今庄宿の近くまでやってきた。蕎麦の花の季節で、蕎麦畑が美しい。
今庄宿は近江側の木之本や長浜などよりも古い建物が密集し、街道の宿場であることをより強く感じることができる。また今日中に使わねばならないGoToトラベルのクーポンがあるが、まっすぐ宿に向かうなら使えるのはこの酒屋だけ。美味しそうな酒は並んでいるが、一人でそんな飲む気になれない。
江戸時代の福井藩は財政難に対処するため1661年に幕府から藩札の発行が認められ、藩内では藩札の使用が強制されていた。北陸道を近江から来た時に最初に泊まるのはこの今庄宿なので、両替商である御札場(おふだば)が設けられていたそうで、この建物がその一つだ。
宿場の端まで歩いたところで、国道の方に向かうとこの街唯一のコンビニがある。GoToトラベルのクーポンが使えるので、ここで弁当や明日朝用のカップ麺、缶酎ハイなどを買って宿に向かう。足の痛みで最後はペースが落ちて、宿到着は18時、真っ暗になっていた。
本日の距離 40km
北陸道の合計距離 70km