Day16 関宿-坂下宿-鈴鹿峠-土山宿-水口宿-三雲 34.1km
関宿の石垣屋を夜明け前に出発。宿のオーナーは旅人を見送ることに決めているとかで早起きし、見送ってくれた。東西に長い宿場を西に進む。振り返ると朝焼け、本日も天気は良さそうだ。
宿場を抜けると旧道は今の国道1号線と合流する。交通量の少ないこの時間は高速道路を避けた長距離トラックが飛ばしているので歩道でも歩いていて恐ろしい。市ノ瀬の集落部分は旧道が残っており、ほっとする。古い建物も残っており歩きやすいが、すぐにまた国道1号と合流。鈴鹿峠へ向け、道は徐々に登っている。この日最初の一里塚を越えた辺りでやっと国道1号から完全に分かれる。人家もない小さな峠道の前方にしゃがんでいる人が見える。近づくにつれ人型のオブジェだと分かったが、夜道の峠で道端にこんなのあったらめちゃくちゃ怖いんじゃなかろうか。
鈴鹿峠自然の家付近の街道沿いに東海道53次の宿場名を記した木の柱が並んでいた。1宿づつ見ていくと歩いた時の情景が思い出される。残りはもう少し、随分歩いたものだ。
すぐに古い学校跡、旧坂下尋常高等小学校である。これが現在の鈴鹿峠自然の家で宿泊研修施設となっているのだ。
さらに少し歩くと坂下宿となる。鈴鹿峠手前の宿とあって往時は賑わった宿だそうだが、現在は古い建物はそう多くなく、静かな田舎町だ。とはいっても写真の様な古い土蔵はあるし、この辺りは紅葉もきれいであった。
さらに進んで急坂の森の中を歩くと石垣がたくさん現れる。この辺りが古町と呼ばれる旧坂下宿である。室町時代より宿場のとして栄えた旧坂下宿は、1650年に洪水で壊滅し、現在の場所に移転したという。
古町を越えるといよいよ難所の鈴鹿峠、道の傾斜は一気にきつくなるが、あっという間に峠に着いた。伊勢国側は急傾斜の山道だが、近江国側はなだらかな茶畑が続く、景色の対照的な峠となっている。
近江に入って土山宿までの大半は幅広い国道1号を歩くことになる。下り道で足取りは軽いが、退屈な区間でもあった。土山宿入口近くにある田村川橋は、広重の版画「土山・春之雨」に描かれた名橋で2005年に再建されたもの。
橋を渡ったところにある田村神社を見学し、道の駅あいの土山で大休止。その先に続く土山宿は古い建物が多く残り、歩いていて楽しい宿だ。写真は扇屋と呼ばれた江戸期からの商家で、扇屋伝承文化館として見学できるようになっている。
土山宿から水口宿にかけては、橋がないため国道1号へ迂回する部分を除けば、古い建物が点々と残る旧道となっており、歩きやすい。茅葺の民家が街道沿いに点在するのはいつ以来だろう。
水口宿へ入る手前くらいから足の親指先が痛みだした。見ると少しうっ血してきている。これを我慢して歩いてから爪が剥がれだし、ついには歩き旅を中断する羽目になっていた。これはまずいと思い、座る場所がある度に靴を脱いで指先をもむ。当然歩くペースは一気に遅くなった。本日は日暮れまで歩いてその次の駅で電車に乗る予定だが、最低でも三雲駅、目標は石部駅である。土山で休んでいる時には石部も越えて草津まで行けるかもと思ったほど快調だったが、それどころではない。最悪水口で止めないとまた爪が駄目になる可能性も残るのだ。
街道が並行する三筋に分かれる水口宿の入口に到着、これなら三雲までは行けるかもとほっとした。
宿の中でも2度休憩し、足先のマッサージ。古い建物の残る趣ある宿だが、気分的にはゆっくりと見学できない。水口城址に立ち寄って、進むか止めるか、しばし悩む。
水口は近江鉄道の駅であり、本日泊る予定の大津に出るのも戻ってくるのも不便なのに対し、あと数キロ歩いて三雲まで行けばJR草津線の駅なのではるかに便利になる。日没までには十分な時間があり、ゆっくり行けば指先にも負担はかからないと判断し、再出発。ここからはもう悩む必要もなくなったので、酒屋や役場前のモニュメントなどを見学しつつ進む余裕も出た。
対岸にJR草津線の見える横田の渡し跡まで着いて一安心。ここの常夜燈は高さが10.5メートルもあり、東海道に残る最大のものだと思われるが、看板には"最大級のもの"とある。しかし、ここまで歩いた記憶ではこれに対抗できるものはない。
ほぼ日没の時間に三雲駅到着。JRで石山駅まで行き、友人に会って飲み屋に。夜は大津の中心部にある彼の家に泊めてもらった。
本日の距離 34.1km
徒歩旅の合計距離 573.4km + 34.1km = 607.5km
東海道の合計距離 488.7km + 34.1km = 522.8km
本日の出費 交通600円 + 飲食4118円 = 4718円
*徒歩旅の合計距離はお伊勢参りを含めた積算距離
*朝から昼まで食べていたのは前日買ったパンで、食費は夕方のカップ麺以外の大半は夜の居酒屋。