Day12 芦田川-神辺-高屋-七日市(井原)-今市-矢掛-三谷 34km
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地図**
本日も明け方の出発。芦田川の道は堤防下の歩道となっており、景色の良い堤防上は車道で歩けない。昔の道は新しい堤防で埋められており、ここを歩いても古いものが残っているはずもなく、どうせなら上を歩きたいと思いながら黙々と歩く。
大渡橋を渡って川の東側に出るが、こちらも道は堤防下で視界は悪く、しかも歩道ではなく車が来る。荒神社で川筋を離れ、やっと旧道歩きらしくなる。鶴ケ橋を渡って神辺(かんなべ)町へと入ってゆく。平成の大合併で福山市に編入され、今は福山市神辺町となっている。現在の福山市中心部はもともと海で、江戸時代になって福山城が出来る以前には、この辺りの中心であったのはここ神辺だ。福山城が出来た後も山陽道の宿場町として栄えており、古い建物がたくさん残っている。特になまこ壁が美しい。
神辺宿本陣。休日の昼なら見学ができるようだが、平日の朝なので閉まっていた。
本陣の近くで道は直角に曲がる。なまこ壁の屋敷がここでも並んでいた。
廉(れん)塾・菅茶山旧宅跡。廉塾は18世紀に京都で朱子学を学んだ管茶山が開いた塾。ここも時間が合えば見学できる。
平野の一里塚跡。
備後国国分寺入口。奈良時代に建立された国分寺の一つだが、17世紀に川の氾濫ですべてが流失し、現在の物は江戸期に再建されたもの。
広島県から岡山県に入る。ようやく3県目だ。ここは備後国と備中国の分岐でもある。国で言えば、長門、周防、安芸、備後ときて、備中で5国目である。
備中に入るとすぐに高屋(たかや)宿となる。「中国地方の子守歌」(作詞作曲不詳・山田耕筰編曲)の生まれた場所で、子守唄の里として観光客誘致を試みている。鉄道駅は「子守唄の里高屋駅」が正式名称だ。ただ街道沿いに歩いても看板しかなく、これで子守唄の里?って思ってしまった。ずっとテーマ曲を流している町をいくつか見たことがあるが、その方がその音が耳について良いのにと思う。古い建物が多く残り、街道歩きで来る宿場町としては良いところだが、子守唄の里がどうもひっかかってしまった。
今の井原市の中心部が、江戸期の宿場町七日市だ。ここにも美しいなまこ壁の建物が残っている。
七日市と矢掛の間にあった間の宿が、今市駅。ここでもなまこ壁。この辺りは、庭や菜園をきれいにしている民家が特に多く感じた。
宿場町風景の観光地として知られる山陽道の宿で、矢掛(やかげ)はもっとも有名な宿の一つだ。今日はここまで見ごたえある宿が続いたので、同じようなものかと思っていたが、やはり有名になるだけのことはある。足を踏み入れた瞬間に宿場町の雰囲気を醸し出しているのだ。かといって、中山道の奈良井や妻籠のように伝統家屋の統一はなく、新し建物も多い。観光地っぽさは少なく、自然に残った感じがしている。
矢掛本陣。
矢掛屋温浴別館。古民家を改装した宿である矢掛屋の別館で、立ち寄り湯がある。今日はもう少し進みたかたので、我慢して進む。
矢掛脇本陣。
矢掛宿を抜け、川を渡った先にある矢掛神社入り口。
井原鉄道で矢掛の次の駅である三谷まで進んだところで日が暮れて本日の歩き旅終了。少しだけだが昨日よりも距離が歩けた。少し調子が戻って来たかな。しかし、今日中に帰るはずが、遅くまで歩いて帰れなくなった。せっかくなので、戻って矢掛屋の温泉へ。良い湯でした。
本日の距離 34km
山陽道の合計距離 325km