徒歩旅

Day10 名和駅-御来屋宿-下市宿-赤崎宿-八橋宿-由良宿-下北条駅 34㎞

**地図**
 山陰道徒歩旅の10日目。日帰りで歩くには遠すぎて時間が足りなくなる場所まで来たので、今回からは泊まり掛けとなる。前回歩き終えた名和駅には10時前に到着し、すぐに歩き始める。御来屋(みくりや)宿の東半分も前回歩いた西半分同様に、趣きのある街並みだ。街道の左手に元弘帝御着船所がある。元弘帝とは元弘の乱で隠岐の島に流された後醍醐(ごだいご)天皇のことで、隠岐島から天皇が脱出した時に船が着いたのがこの辺り。この家の先祖が家を鶏の塒(ねぐら)に偽装して天皇をしばらくかくまった。江戸時代に鳥取藩がその功を賞して家の前に建てたのがこの石碑ということだ。
19/04/07 10:00:04
 家のすぐ裏の海側には、後醍醐天皇御腰掛岩がある。隠岐の島を抜けだし、何とか本土にたどり着いた天皇は船から下りると、この波打ち際の岩に腰を掛けて人心地ついたとされる。現在では岩は港の岸壁から少し陸の奥まったところに置かれているが、これは移動させたのではなく、漁港の護岸改修などで陸に上がったように見えるだけであるとのことだ。
19/04/07 10:01:12
 御来屋宿を過ぎ、しばらく進むとJR御来屋駅に出る。木造の古めかしい建物は山陰地方最古の駅舎で、登録有形文化財となっている。1902年、山陰地方で最初に完成した鉄道は、この御来屋から米子を経由し、境港までだった。その時に開業した駅では、ここだけが建て直されず当時のままとなっている。
19/04/07 10:14:04
 江戸時代の山陰道は鉄道によって分断されて、一部は消失している。しかし、線路の逆側には当時の道標がいくつか残っているので、畑の中を通って線路の南側へ。写真の道標は、伯耆(ほうき)往来と大山(だいせん)道の分岐を示している。
19/04/07 10:25:00
 その先、上坪の辺りは旧山陰道に沿って、昔ながらの情緒あふれる家並みが続いている。
19/04/07 10:33:22
 再び、JR線路と国道9号によってしばらく旧街道がなくなった後、古い道筋が表れる。石仏や道標などで一帯が昔ながらの道であることが確認できるのだ。
19/04/07 11:00:10
 前谷集落から長野集落の間にあるホエゴ坂辺りは道が消えている。本来は大回りすべきだろうが、100メートルほど藪を登ればまた道があるので、写真の斜面に正面から突っ込んだ。
19/04/07 11:12:46
 何年も前に切り倒した竹が道跡に重なっており、道筋はなんとなく分かるが、竹を踏めばバキバキと折れて道が沈むので進むのは一苦労。でも迂回をするよりはずっと早くここを抜けることはできた。
 長野集落を抜けると左手に木ノ根神社がある。男根そっくりの老松の根を御神体として祀っているユニークな神社で、古来より子宝、縁結び、夫婦円満にご利益があるといわれている。町内外から祈願者が絶えないことでも知られているということなので、私も階段を上ってお参りしてきた。
19/04/07 11:27:30
 下市川を渡ると下市宿だが、道幅が拡張されており、宿場町の雰囲気はあまり残っていない。再びJR線の南側に出た辺りに、一里松のお地蔵様がある。ここに一里塚があったのだろう。
19/04/07 11:50:00
 再びJR線を越え、国道9号線を横切って甲(きのえ)川まで旧道が続いているが、旧道の場所には橋がない。橋がないのは分かっていたが、満開の桜に魅かれて来てしまったので、少し休んで引き返し、国道9号の橋で甲川を渡る。
19/04/07 12:06:30
 この辺りからは、国道と何度も交差しながらも旧道が続いており、歩きやすくて助かった。白い梅のような花が咲いた果樹があちこちに広がっている。梅の季節は終わっており、なんだろうと思ったら梨だ。鳥取県は梨の名産地なのを思い出す。
19/04/07 12:57:48
 篦津(のつ)集落に立派な古民家がある。国指定の重要文化財となっている河本家住宅だ。居室部は1688年建築、客間部は1707年の建築だそう。建築年代の明らかな民家としては山陰地方最古だという。
19/04/07 13:17:48
 鳥取県に入ってから何度もフクロウの像を見ている。冬に訪れたミャンマーや東北インドではフクロウは守り神とされている。お土産に小さな木彫りを買ってきたこともあり、日本もフクロウ信仰があるのかなと気になってきた。
19/04/07 13:53:22
 JR赤崎駅前を過ぎ、しばらく進むと赤崎宿となる。ここも趣のある古い建物が多い宿場町だ。
19/04/07 13:58:26
 赤崎宿の先に道の駅ポート赤崎と日韓友好交流公園風の丘がある。この地に漂着した韓国船を2度にわったて救助した史実をふまえ、日韓の友好が永遠に続くことを願い、この公園が作られたということだ。日韓友好資料館と物産館は韓国式の建物で、遠くからでも目立っている。
 さらに進むと次の宿場町八橋(やばせ)だ。八橋は宿場だけでなく城下町でもあった。城下町特有の道を直角に曲げた鍵の手が町の出入り口に設けられており、その名残で今も道が曲がっている。写真は小泉八雲が明治24年に宿泊した旧中井旅館。
19/04/07 14:54:20
 さらに1時間半歩くと本日5宿目となる由良宿に到着する。写真は、由良藩倉役人遠藤家(屋号橋津屋)の建物で、松の木は当時からのものだそう。藩倉は、米の移出を目的とし、近隣から8000石の米が運び込まれたという。
19/04/07 16:37:56
 この由良は名探偵コナンの作者青山剛昌の出身地だそうで、至るところに名探偵コナンに会えるまちとして宣伝されている。会えるって何と思っていたら、青山剛昌ふるさと館というのがあり、そこでコナン関係展示物が色々見れるらしい。
19/04/07 16:43:52
 本日の徒歩旅は下北条駅まで。宿のある倉吉まではもう一駅だが、江戸時代の山陰道は倉吉を通らないので歩きたくはない。18時の列車の次は19時23分なので最後は急いだ。無事18時の列車に間に合って、本日の歩きは終了。