徒歩旅

Day3 小瀬-扇原関所-益田宿-鎌手峠-浜田市西の谷 31㎞

**地図**
 徒歩旅3日目、本日は前回歩き終えた津和野町小瀬から益田市を縦断し、自宅まで歩く予定である。7時半に小瀬を出発。すぐに国道9号線にでる。ここからしばらくは国道を歩く。本来の道は高津川の対岸となるが、鉄道施設の際に道は失われている。この高津川は清流で有名で、益田市に引っ越してきてすぐに清流日本一と何人かの人に自慢されている。市のパンフレットにもそうあるので何らかの基準で選ばれたのだろうが、そこまできれいには見えないとずっと思っていた。これを書くにあたって調べたところ、根拠は「国土交通省が公表している全国一級河川の水質現況」だった。毎年ランキングが公表されており、ここで1位となったので清流日本一をうたっているのだが、このランキングでは毎年一位が数多くある。しかも、この水質基準がBODのみで、報告下限値0.5mg/ℓとして集計している。その結果、1位となるのはBODの平均値が0.5mg/ℓの河川となる。最新の2016年のデーターでは1割以上の河川が同率一位となっている。それなのに過去同率一位の常連だった高津川はこの3年は外れている。うーん、残念。ま、きれいには見えるがやはり日本一の清流は盛りすぎでしょう。
18/04/18 08:28:30
 津和野町から益田市に入り、横田のあたりで国道から離れる。横田は古い建物が並ぶ趣きある街並みだ。横田を抜けると道は登り坂となる。ずっと車道を歩いたが、時々右側に古い道らしきものが見えており、後から考えるにそこが旧道だと思えたが、峠まで繋がってはいないので、その道をたどれば最後は藪をかき分け上らねばならないところだった。
 峠を越え、下りに入ってしばらく行くとJRを超えるところがある。いったんそのまま進みかけたが、線路脇にJRを越える前に道が見える。見た感じはそちらが旧道に見える。参考をしている記録にはここの記述はなく、そのまま車道を進んでいるが、地形図を見ると後で合流している。どちらが旧道がわからないが、車道に飽きていたこともあり、線路沿いの道跡をたどる。
18/04/18 09:41:08
 この道は車道に合流する寸前まで民家はない。最後に一軒だけ家があったが、ここを通る人がいないため、道も庭のように使われている。逆側から来たらこの道は進み難かったことだろう。その辺りからが梅月の集落で、さらに進むと東上の集落へと続く。その先の道は途中で消えているとあったので地元の人に尋ねてみたところ、お年寄りが昔歩いた道は今はないが・・・といいつつ道を教えてくれた。旧道を進んでいくと左に養鶏所があり、入らないように看板がある。その近辺で元の旧道が分岐していたが今は消えているので車道で大回りしかないと教えられたが、地形図で道の見当を付け、竹林に分け入ってみる。
18/04/18 10:29:24
 竹林内に石組みの痕跡が見え隠れし、そこが古い道であることは間違いなさそう。そのまま進んでいくと放棄された畑地に出た。
18/04/18 10:31:48
 航空写真でこの畑地の左から山越えだと見当を付けていたが、右に道らしきものが見えそちらに進んでしまう。途中からは破棄された果樹園となる。果樹園の先で山道に出た。東に来すぎているはずなので西北に進む。何度が分岐があるがもうどの道が正しいか分からないので地形図上の位置を確認しながら進むのみ。本来の道がどこにあったのかが分からないので、逆側の旧道と分かっている場所の方にただ進むだけである。途中で最近歩いた跡がある場所に出たので、方向が少しずれるとは思いつつもそちらに進んだところ、送電線の鉄塔に出た。鉄塔に至る道だったようだ。
18/04/18 10:45:44
 戻った方が正しい道に出る確率は高かったが、谷の向こうに車道が見えており、もうまともな道に出たくなったので谷を強引に下る。何とか谷底に降りたが、小川が流れており、逆側が崖で進路をふさいでいる。仕方なく川沿いにしばらく進んでから場所を見つけがけを登って山道に出る。すぐ先が調べてあった旧道だと思われたので、その方向に進んでみると先ほどの小川に橋が架かっていた。これが旧山陰道だ。
18/04/18 10:57:08
 橋は渡らず、そこから続く山陰道を益田方面に進むと大きな岩に出た。地元の人に案内されて歩いた人がこの岩を「ようじ岩」と書いており、その説明もしてあったが、ここには看板もなく、ほかの資料を探しても説明は見つからなかった。
18/04/18 10:58:38
 ようじ岩の斜面をよじ登って車道に出たと書いてあったのでその通りにしたが、車道から見るともう少し先まで旧道の痕跡はあり、その先からの方が車道に出やすかったと思われる。
 この先に「扇原関所跡」があり、地元の人に案内された人は道がなくなっているからと大回りさせられている。もう一人の記録では強引に林を抜けて進んでおり、写真も載せている。その写真の場所を探しつつ進むと真新しい看板があり、旧道が歩けるように新しく整備されている。というわけで苦労なく、「扇原関所跡」に到達した。ここは江戸時代に津和野藩と浜田藩の境だった場所だ。
18/04/18 11:05:50
 石見の国の国府は浜田にあって古くは浜田が石見の中心だった。12世紀末に石見の豪族が浜田から拠点を益田に変えて、益田氏と名乗り石見の中心地は益田となっていた。しかし、関ヶ原の合戦時に毛利側についた益田氏は東軍に敗れ、毛利氏に従って長州に移ってしまい、主のいなくなった益田地域は津和野藩と浜田藩に2分されてしまったのだ。そのためにこんな町の中心に近い場所に関所があったのだ。
 関所から下って開けた場所に出たところが多田温泉である。ここから先はいつも来ている益田市街なので、ここで一休みする。
18/04/18 11:18:36
 街の中を歩いている時に、益田方言の番付表を発見。一番よく耳にする方言が「やれん」なのに、見当たらないので見入って探す。東十両に「やれんけー」として載っているのを見つけた。みんな何かにつけて「やれん」とか「やれんねー」というのだが方言という意識はあまりないのだろうか。
18/04/18 11:44:54
 江戸時代の益田の中心は旧益田と呼ばれる地区だが、今の中心部とは少しずれている。そのため、山陰道歩きだけをしていると益田市は寂れ果てた田舎町みたいに思うほど商店さえほとんど見当たらない。事前にチェックをして分かってはいたが、食事する場所さえないまま街が終わってしまう。
 新興住宅街を抜けると峠山(たおやま)道になる。ここは地元の老人会が道を常々整備しているということで歩きやすい古道になっている。しかし、先週嵐があり、まだその後片付けが出来ておらず、倒れた竹が行く手を阻む場所も多い。
18/04/18 12:44:06
 山深い場所のような雰囲気があるが、街の中心部に近いので、峠を越えたら再び住宅密集地となる。そして国道9号線と合流。横田の手前で国道と離れてから久しぶりに交通量の多い道となる。やっとここでスーパーがあり、遅い昼食をとる。国道を歩くのは1.5キロほどだけで、またすぐに旧道となる。住宅街の峠道は看板もなく、道があっているのかどうかもよく分からないので、表示があるとホッとする。
18/04/18 13:46:14
 しかし、今度はほっとしたらすぐに道が分からなくなった。人がいたので尋ねると道だとは思えなかった場所が道でそのまま林の中に続いていた。
18/04/18 13:48:04
 再び住宅地に出るところには通行止めの看板がある。逆側からは看板を出さなくても通行する人がいないということなのか。もともと車の走れる道ではなく、通行止めにする意味はよく分からずだ。
 津田の駅でJRをくぐる。ここから先は一昨年歩いたことがある道だが、この区間は旧道が分からず、車道を進んでしまった場所となる。正しい道は路地を抜け、橋を渡ると細い山道となり、民家の庭のような場所を抜けると高台の山道に出る。海の眺めがよい道だ。
18/04/18 14:14:00
 もう一度JRを越えて、国道を渡ると一昨年歩いた記憶のある入り口で看板まであるが、草ぼうぼうで道が分からなくなっており、入り口では苦労した。
18/04/18 14:32:48
 あとは記憶にある山道で昔の学校跡などを過ぎてゆく。一昨年は全く始まってもなかった高速道路建設が急ピッチに進んでいる。
18/04/18 14:54:34
 森の中は石畳も残る古道なのに工事の音がするのは困ったものだ。
18/04/18 15:10:36
 鎌手峠には瓦礫が多い。実は昭和58年に大水害があり、瓦礫をここに運んで棄てているのだ。
18/04/18 15:25:26
 峠近くには保存会の人がトイレを設置してくれている。
18/04/18 15:28:06
 この区間は完全な山道がしばらく続くのだが、なんと役場跡がある。明治22年に付近の四村が合併して鎌手村が出来たが、四村はいづれも街道沿いにはなく、離れた場所にある。そのため、役場や学校をどこからも便利なように街道沿いに建てたものと思われる。
18/04/18 15:33:50
 自宅に近い馬橋(まばし)に旧山陰道の石畳が残っている。高速道路建設のための手続きとしてそこを発掘したので、その説明会の時に参加して石畳を歩いたのだが、今は高速道路の工事で入れなくなっている。
18/04/18 16:00:52
 この橋が馬橋。昭和58年の水害以前は土の橋だったそうだが、その時に橋は流されて、コンクリの橋に建て替えられている。ここで益田市は終了。橋を渡ると浜田市である。
18/04/18 16:01:22
 明治の初めに国道ができるまでは馬橋の先にまっすぐ山陰道がのびていたが、今は道がないので大回りしないと進めないことになっている。一番近い所に住んでいる人がそう言っていたので進めないだろうとは思ったが、藪の中を進んでみると道らしきあとが少し続いている。古い石積みもあった。
18/04/18 16:03:06
 最後は国道工事のための土盛りで道が消えていたのでよじ登って国道に出た。旧道歩きにこだわる人のために国道側からの入り口の写真を載せておく。このガードレールの隙間から降りて西に進めば抜けられる。(当然今は私有地だし、道の消えている場所を強引に進むことになるのでお勧めはしません。)
18/04/18 16:05:24
 国道に出てしばらく進んだバス停で、本日は終了。
本日の距離 31km
山道の合計距離 109km