徒歩旅

Day5 早川-小田原宿-箱根湯本-箱根宿-三島宿 36.8km

 小田原まで歩いた日から1日空けただけで、最大の難所といわれる箱根越えの日となった。今回も始発電車を狙ったが、結局2本目となったが、それでも出発は前回より早い。前回は小田原宿の西端まで歩いており、そこへなら早川駅の方が近いので、小田原駅ではなく早川駅から歩き出す。
 板橋見附で国道1号より別れ、旧道となる。小田原では「街かど博物館」と称し、色々な店に小さな展示がある。豆腐屋はやはり朝が早く、7時前なのにすでに忙しそうである。
小田原街かど博物館
 板橋の東寄りにある宗福院地蔵堂は16世紀創建の寺で、その名の通り地蔵で有名であるが、私の目をひいたのは、本堂の右脇にある鎮守福興大黒尊天だ。木造でこんなに大きな大黒様は見たことがなかった。
鎮守福興大黒尊天
 箱根湯本までは時折国道1号に合流するものの、大半が車の少ない旧道で非常に歩きやすい。箱根湯本駅の手前にある三枚橋を渡るとそこからは箱根湯本の温泉街となる。
三枚橋
 箱根湯本にあるコンビニが芦ノ湖畔までにあるコンビニの最後、食料を一切持っていないので何か買っておくべきかと迷ったが、まだ腹は空いていない。食料は基本持たずに歩こうと決めているので、買うのは止めた。いざとなれば途中に何かあるだろう。
 早雲寺は、有名な戦国武将北条早雲の遺命により1521年に創建された小田原北条家の菩提所である。シーンと静まり返った境内は趣きがあり、しばしここで休憩する。
早雲寺鐘楼
 湯元街あたりから坂は徐々にきつくなる。この道は歩道がなく狭いのに交通量が多いのが難点。自転車で登る人も非常に多かった。
 街を抜け、しばらく登ったところにど派手な神社があった。入ろうかと思ったが、入口に英語で「あなたは入れないかも」とあり、日本語では「信者の方々はどうぞお入りください」とだけあった。外から見るとおもしろそうだったが、信者ですかなどと聞かれたら面倒なので入るのはあきらめたが、後でこの神社の公式ウェブサイトを見ると「お参りは午前7時より17時まで、どなたでもお気軽にご参詣になれます。箱根の山の気の中でお参り下さい。」とトップページにあった。うーん、入れば良かった。
箱根大天狗山神社
 そろそろ腹が空いてきたなという頃に野イチゴ発見、非常に美味しく、たくさん食べた。

 須雲川自然探勝歩道が旧東海道だと思っていたのと車の多い道に閉口していたので、よく確認せずに自然探勝歩道に突入、旧道っぽくないなぁと思っていたら、やはり間違っていた。さすがに旧東海道がこんなところを渡らないだろうという場所で須雲川を渡り、失敗したと気がついた。
須雲川自然探勝歩道
 1キロほど須雲川自然探勝歩道を進むと先ほどまで歩いていた車道を横断する。その地点から旧東海道は車道を離れ、須雲川自然探勝歩道が旧東海道となる。大半が石畳の道で歩き難い。江戸期の石畳が残っている場所もちらほら、明治時代に小学生の通学路として石畳を修復した場所や近年の修復の場所もある。
江戸期の石畳道
 小田原宿と箱根宿の間にある間宿として栄えた畑宿に到着したのは9時半頃。ここで食糧調達を目ろんでいたが、寄木細工工房や土産物屋ばかりで、売店は見当たらず、食堂は準備中。一里塚の前で地図をチェックし、しばし考える。本当に空腹になれば、茶屋が何ヶ所かありそうだったので、そのまま再出発を決めた。
畑宿一里塚
 畑宿から先は、車道は九十九折で旧道を何度も突っ切っている。旧道歩きの人が車道を横断しないように須雲川自然探勝歩道はつくられており、旧道と車道沿いの歩道を交互に歩く感じになる。峠付近にある甘酒茶屋は有名で、ここで名物の甘酒と力持ちと思い空腹のまま頑張ってきた。しかし、それまでの山歩きの雰囲気とは違って、そこは車で来た人で賑わう大観光地そのものだった。あまりに賑やかで一人ポツンと食べる気分に成れず、結局素通りしてしまう。
甘酒茶屋
 芦ノ湖畔到着は11時過ぎ。昼前ではあるが、朝食は4時半頃にとっており腹ペコだった。しかし、甘酒茶屋で大観光地なんて感じてしまっていたのに、週末の芦ノ湖畔のレストランに一人で入るなんて気にはなれない。この雰囲気は予想していたので事前にコンビニの場所をチェックしていたのだ。という訳で、コンビニで弁当を買って、湖畔で昼食をとる。
芦ノ湖
 東海道といえば松並木だが、箱根は杉並木となっている。日光街道の杉並木を植えた松平正綱がここにも植えたらしい。これまで歩いてきた平地の松と違い、ここの杉並木は巨木が並ぶ。江戸時代の木がそのまま大きくなったというのだからすごい。
箱根杉並木
 昔来た時はなかった関所跡が復元されていてビックリ。大勢の人々でにぎわっている。昔の資料が残っていたためかなり正確に復元できているそうで、入る気満々で来たが、行列で萎えた。箱根は平日に来なきゃだめだ。
箱根関所跡
 箱根宿まで来て、気分は「登り切った!」であるが、本当の峠はまだ先である。箱根の街を抜けると旧道は車道と分かれ、森の中の遊歩道となる。それをどんどん登って、最後に車道と合流すると間もなく箱根峠である。午前中に箱根に着いて今日も余裕だなと思ったが、峠に着いたのは13時前で、ここでのんびりできるペースにはなっていない。
 峠を越えると相模の国を抜け、伊豆の国に入る。現在の県でいえば静岡県に入ったことになる。旧街道は車道から離れた遊歩道になっており、気分的には歩きやすい。しかし、疲れた足に石畳はきついものがある。時には笹のトンネルになっているような道もあり、今日は久しぶりに山歩きをしている気分である。
笹のトンネル
 途中、兜(かぶと)石という大きな石があった。その前に兜石という看板と休憩所があり、兜石跡という石碑もそこから少し下ったところがあったが、本物が出てきたのは最初の看板からずいぶんと離れた場所にある。これは現国道1号を作る時に兜石が邪魔になり、移転した結果であるという。
兜石
 山道をずっと下り、やっと集落らしき場所に近づいたところにあったのが、この雲助徳利の墓。杯と徳利が浮刻された墓標がユニークで、気に入った。
雲助徳利の墓
 その近くには、北条氏によって築城され、小田原城の支城である山中城跡がある。当初はテントを持ってきてここで野宿をしようという作戦だったので、ここのことは色々調べてあった。見る気満々で入ったが、入口近くの休憩所でうとうと、気がついたら30分以上経っていた。結構大きな城ということもあり、見学はかなり駆け足になってしまった。この城の特徴は障子のような型をした障子堀と呼ばれる堀形式である。富士山がきれいな場所だそうだが霞んでいて見えず。
山中城
 この後も杉並木の間の歩道が長く、里に下りて車道となっても旧道が続き、歩きやすかった。しかし、思ったより長い道のりである。三島宿に着いて、三島大社にお参りしたのが17時。
三島大社
 後は帰るだけなのに、三島大社で長めの休憩をし、駅への道にあったスパーでジュースとおにぎりを買って、公園でまた長い休憩。余裕の箱根越えのつもりだったが、これまでの最長距離な上、山越えだったので疲れが相当たまっていたか。明るい時間に着いた安心感で足が動かなくなってしまっていたようだ。
本日の距離 36.8km
合計の距離 102.2km + 36.8km = 139.0km
本日の出費 交通費1620円+食費555円=2175円

*箱根越えが古い靴で終わったので、靴はこのままになるかも。
*日帰りで行く距離ではそろそろなくなってきたので、次回までに計画を少し考えねばならない。