徒歩旅

Day10 滑川-魚津-三日市-入善 28㎞

**地図**
 5時半にホテルを出て、余裕で5時55分の列車に乗る予定が、予想外にいろんな会社の線路が混在している富山駅構内で現在位置を見失ってしまった。その結果、目の前で列車を逃す羽目に。次の列車まで30分待つことになってしまった。失敗!
 滑川駅から歩きだしたのは結局6時40分、何のために暗い時間にチェックアウトしたのやら。歩き出して10分ほどで坪川一里塚に着く。石塔群が並ぶこれまでにあまり見たことのない型の一里塚だ。
21/11/04 06:49:16
 早月川を渡ると魚津市だ。旧街道は車の少ない住宅地で歩きやすい。角川を渡ると魚津宿となる。魚津城の周りをコの字状に迂回する。一番海に近づいたあたりに、大正3年建築の旧十二銀行米倉がある。ここが、大正7年から全国をゆるがせた米騒動の発祥の場である。
21/11/04 08:38:08
 やっと今日はアルプスの山々がクリアに見えている。片貝川を渡る時には視界も広がり、久しぶりの雪山に見とれる。
21/11/04 10:47:28
 現在の黒部市の中心部が三日市宿である。昼前なのでどこかで食事をと思っていたが、街道沿いには営業している食事処が見当たらず、弁当屋くらいしか開いていない。
 辻徳法寺に柿の古木があった。13世紀に親鸞聖人が植えた三粒の種から育った三本の柿のうちの一本を移植したものだそう。
21/11/04 11:52:46
 三日市宿の中ほどで、旧北陸道は2手に分岐している。直進する道は黒部川の上流部に向かい、加賀藩5代藩主・前田綱紀が架橋を命じた愛本橋で黒部川を渡る上街道。左折する道は下街道と呼ばれ、黒部川の水量が多い時期には通行困難となるが、距離的には短い道だ。今は水量が少ない季節で、昔の人も距離の短い下街道を通ったはず。山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋とともに日本三奇橋の1つといわれていた愛本橋が残っていたなら、上街道のほうが面白いだろうが、当時のはね橋はなく、今かかっているのは普通の橋である。当然、私は距離の短い下街道を進む。
 実際、黒部川の水量は少なく、広い河原の大半は乾いていた。
21/11/04 13:10:50
 昼食をとらないまま黒部川まで来てしまい、時刻は13時を過ぎている。橋を渡った先にコンビニが見えているが、旧北陸道は端からずれている。旧道にこだわるなら一本西の道を進んで、コンビニの場所で戻るべきだが、見えているコンビニにまっすぐ行きたくなり、ここではこだわりを捨てた。
 コンビニで昼食をとった後は旧道に合流し、のんびり歩く。途中、根元から6本に枝分かれした松のある公園があった。安土桃山時代、石山本願寺教如上人が豊臣秀吉により隠退されたことに対して当地の信蔵らが反対、秀吉が見せしめのために処刑した。その首を埋め、松の木を目印に植えたたところ、命日が6日なので6本になったといわれている。長く住民に親しまれた6本松が枯死したために植えられたのがこの2代目だということだが、見事に根元から6本に分岐しているのは驚きだ。三日市宿の三本柿も三つの太い枝に分かれていたが、どうやっているのだろう?
21/11/04 15:05:12
 もともとは最低でも鉄道駅一駅分、できれば二、三駅分進んで列車で戻るつもりで入善駅前の宿を予約した。しかし、今朝の乗り遅れで予定よりも進みが遅いし、列車の時間を朝から気にするのにも疲れてしまった。今日はここまで。明日の予定が長くなって苦しくなるのは仕方なし。
 駅近くの唯一のコンビニで夕食を買って旅館に入る。駅弁で有名な富山名物の鱒寿司がコンビニで個別舗装されていたので一つ購入。美味い。
21/11/04 16:59:02
 歩く距離を短くしたので明るい時間に着けたし、マメも悪化せず。久しぶりに余裕をもって宿で休むことができた。
本日の距離 28km
北陸道の合計距離 320km