Day5 大聖寺-動橋-小松-松任 41㎞
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地図**
6時15分にホテルを出発する。街道に出る前に市役所前を通過する。もともと加賀国は、9世紀に江沼郡と加賀郡が越前国から分離してできており、加賀の名は加賀郡から来ている。しかし、この加賀市は江沼郡に属していた場所であり、何故加賀市と名乗ってしまうのか。越前の国府があった越前市よりもひどい気がする。
大聖寺宿の外れにあるのが、菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)。その期限は6世紀に遡る由緒ある神社で、加賀国二宮である。
暫く進むと加賀温泉駅近くにある大観音加賀寺の巨大観音が見えてきた。
加賀温泉駅の表玄関は逆側なので、こちら側は静かな場所だ。ホテルが一軒あり、場所的にはこちらに泊まりたかったが、GoToトラベルキャンペーンに参加していない。今はキャンペーンに参加していないと流石に泊まる気にはなれない。このホテルも客がいないためか、玄関が閉まっている。
次の動橋(いぶりはし)駅は街道筋から離れており、行く予定ではなかったが、トイレに行くために立ち寄る。小さな駅だと思っていたが、以外にしっかりした駅だ。それもそのはず、昔は特急の停まる主要駅だったのだ。
来た道を街道筋まで戻るつもりだったが、違う道の方が、伝統家屋が並んで面白そうなので、道を変えた。1897年に北陸本線が来た時に出来た駅で、その頃からと思われる伝統家屋がいくつも並んでいたのだ。
動橋川を越えた辺りで、北陸道を歩いた先人達の記録では、道がジグザクになっている。なぜなのかを確認しないまま直進すると、小さな休憩所があり、そこに七曲り街道跡の碑と案内板がある。戦国時代に敵の軍勢の数や装備を読み取るために道をジグザクにしていたのだそう。
七曲りから先は水田地帯が続き、遠方にそびえる白山までよく見えた。
白山が見えるだけあって、この辺りには白山神社が非常に多い。月津の白山神社もその一つだ。
旧街道沿いには屋敷のような大きな家が、点在している。
今江温泉と呼ばれる温泉が、街道沿いにあり、入りたくなるが、先に進む。
小松宿に入ってまず目に付くのが燈明寺。極彩色に塗られた門の装飾が目立っている。門の奥に見える経蔵は江戸中期の建築だという。。
中心部には伝統建築の商店が並んでいる。
街道筋を少し外れ、芦城公園(ろじょうこうえん)へ。、加賀藩三代目藩主前田利常が隠居としていた小松城の三の丸跡地に作られた公園だ。人通りの少なかった宿場の中心部に比べ、人出が非常に多い。ベンチで座って観察していたら、皆さんスマホばかり見ている。ポケモンGOをやっているのだ。こういう人気スポットになっている場所に来たのは初めてだったので、かなり驚く。
公園に入ってすぐ右側には巨大な松がある。江戸の松と呼ばれており、推定樹齢400年と記されている。
少し奥に進むとフジの巨木がある。こちらの推定樹齢は210年。この木も江戸時代から生きているということだ。
小松から3時間ほど進むと手取川に到着する。石川の通称で呼ばれた時代もあり、県名の由来となっている川だ。暴れ川で知られる川で、江戸時代にはここで足止めされることも多かったという。明治21年に橋が架けられるまでは、栗生の渡しとして知られていた場所だ。
松任の手前に道の駅めぐみ白山がある。17時近くになり、もうここで食事できるなら夕食にしようと思ったが、GoToトラベルのクーポンがここでも紙クーポンのみ。昨夜のホテルで貰ったのも電子クーポンなので使えない。道の駅で使えないとは思わなかったので、がっかりだ。昨夜は松任でも使えそうなのは飲み屋しか見つからず。しかし、昨日も当日になって新しい店があり、結局食べたのはまだ地図に載っていない店。出来たばかりの制度で、店のリストも作成中なのだ。道の駅で新たに探すと、街道沿いに使えるスーパーが見つかり、一安心する。
昼間は雲に覆われていた白山が夕暮れ時になって再び姿を表した。
再び七曲りの道。今度は旧道沿いに歩こうと思ったが、何度も交通量の多い国道を横切り、その度に地下道を渡らねばならず、疲れてしまった。最後の写真の場所では面倒になり、国道を斜めに進んだ。
七曲りを終えると松任の街となる。そしてスーパー。業務用スーパーで弁当類がなく、がっかり。惣菜のサラダやカップ麺、つまみ酒などを購入する。スーパーを出るともう真っ暗。最後は暗い道を歩いて、本日のホテルへ。
本日の距離 41km
北陸道の合計距離 188km