徒歩旅

Day20 松子山浄水場-田万里市-本郷 26㎞

 通行止めで歩けなかった区間に再挑戦の日。これで山陽道完歩の予定だ。今回は妻が車で来てくれたので、スタート地点のすぐ近くで車中泊。おかげでまだ薄暗い5時50分にスタートすることが出来た。1年以上通行止めにして改修した道だから良い道が続くが、一部は細い車道のまま。まだまだ工事は続くようである。
17/09/22 06:02:36
 新しい車道を歩くのは1キロほどだけ、そこから江戸時代の山陽道は分岐し、車の入れない道となる。車で先回りしてもらった妻とこの分岐で落ち合って、昨夜買った弁当の朝食をとる。さっと食べ終えて、いよいよ山陽道歩きの最大の難関ともいわれる松子山峠へと突入する。
17/09/22 06:20:40
 歩き出してすぐに倒木が横たわっているなどし、道はかなり荒れている。車道が通行止めになっていた1年間は人が入らなかった道だ。開通して3ヶ月目に入っているといっても何人この道を通っていることか・・・。
17/09/22 06:21:56
 草刈りは当然なされておらず、藪漕ぎ状態で、ズボンはびしょ濡れとなる。
17/09/22 06:28:54
 溜池のそばを通ってほっと一息つく。
17/09/22 06:31:18
 道の大半は林の中で、薄暗い。看板のない分岐に遭遇。東側からなら迷いそうな道はないが、西側からだと迷いそうな道がいくつかあったという以前歩いた人のブログを思い出す。スマホを取出し、ネット接続を試みるも電波入らず。ダウンロード済みの地形図を見るが場所は分からない。そもそも歩いている道が地形図でも途切れている。しかし、この辺りはまだ途切れていない場所であり、もしここか地形図にある分岐なら正しいのは右だ。という訳で、ここは右へ。
17/09/22 06:35:46
 かなり進んだところで古い石垣があった。江戸時代の街道沿いならこういった山の中にも茶屋などが出来ており、石垣が残っていたりする場所がこれまで何度かあったので、道はあっているだろうと安心するも、この後、道が無数に分岐。地形図を見てしばし悩む。正しい道なら2つ目の溜池を過ぎていて当然の距離を歩いたが、溜池らしきものはなかったことから、引き返すことに決める。
17/09/22 06:50:12
 元の分岐に戻るまでに往復で40分かかった。時間のない日ならかなり痛いロスである。戻って少し進むと、松子山峠到着。地形図でも峠の場所が判然としないような峠だが、ちゃんと碑が建っていた。
17/09/22 07:16:34
 峠のすぐ先、次の溜池で近くにまた分岐。確認はできないが、溜池近くの分岐は溜池に近い道を進むと先のブログに書いてあったような気がし、右に。正確な場所が分かったので、この先は地形図で確認しながら、慎重に進むことにする。森のようになって日があまり入らない場所は下草が少なく、道は分かるが、日が差すような場所になると完全に藪となっていて、道が非常に分かり難い。そんな場所で草の間から、鹿が急に頭をもたげ、走り去りった。昨夜も見ているし、気配は何度も感じていたので近くにいると思っていた。しかし、あまりに急な出来事で非常にびっくりした。
17/09/22 07:35:16
 何とか歩を進め、藪をかき分けて車道に出ると、目に前に一里塚がある。
17/09/22 07:51:12
 一里塚へ進む階段によく見るときのこがいっぱい。これは美味しいきのこだが、歩きの邪魔になるので採集できず。
17/09/22 07:51:24
 この一里塚は東広島呉自動車道の脇にある。階段手前の道を左に進み、自動車道をくぐるトンネルを迂回する。その先は車道となってはいるが、ほとんど車の通っていない道が続く。国道2号線の近くまで来てやっと本日初めて見る民家・集落だ。
17/09/22 08:08:06
 この区間の国道2号線は自動車専用のバイパスとなっており、ここでも山陽道はぶった切られている。真面目に迂回するなら1キロ以上は大回りをしなければ進めない。歩き旅の記録をいくつか見たが、皆さん道なき道を横断していることもあり、私も突き進むことにする。車道の横断は車が途切れるのを待てば良いが、崖になった竹藪を隔てて下に見える反対車線に出る道がない。車道沿いに行ったり来たりした後、諦めて竹藪に突っ込む。
17/09/22 08:20:58
 下にあった反対車線側にはパーキングがあり、ここで一旦妻と合流。藪漕ぎで濡れた靴下を新しい物に交換し、再出発。
 バイパスから下にある街道に出る道は地形図に残っているが、ここも道がなくなっているのは情報の通り。下に見えている民家の敷地めがけて、道なき道を突き進む。
17/09/22 08:50:46
 明らかに民家の庭先に出てしまうかと思いきや、草刈りをしてある道に出た。すぐその下が今は車道となっている山陽道である。東から来る場合は写真右の道が旧山陽道だが、民家手前で道は右に曲がり、そのすぐ先で消えている。迂回しないなら林の中の道なき道をよじ登って上の道に出るしかないが、これほど大変だとは思わなかった。事前に知っていれば迂回したかな。
17/09/22 08:52:46
 ここからしばらくは明治時代に国道として整備された道を歩く。車は基本的にバイパスとなった今の国道2号を走るので、こちらは非常に歩きやすい道だ。山陽道にしては珍しく案内板が数多く立っており、街道歩きが楽しい場所となっている。
17/09/22 08:59:26
 間の宿だった田万里は、本陣や旅籠が軒を並べたというから、普通の宿場町として機能していたようだ。写真左の家は郵便制度が出来た明治時代、最初の郵便取扱所となった建物で、当時の写真が表に掲示してある。
17/09/22 09:47:12
 ぽつぽつと降ったり止んだりだった雨が、10時頃に本降りとなる。しばらく民家の軒先で雨宿り。
 ずっと国道と並行している旧道は湯坂温泉の手前で、国道と交差する。湯坂温泉は国道の逆側となり、遠くから望む形となる。芭蕉が大きく育ち、バナナのような実まで付けている。芭蕉とバナナは見た目は似ているが、一般的に日本の気候で育つのは芭蕉で、バナナはかなり暖かなところでないと育たない。芭蕉の葉の裏は表と同じような緑でサラサラだが、バナナは白い粉が付いているように見えるのが、見分け方。ここのも葉の裏は緑だ。花の色も紫のバナナと黄色い芭蕉で違うと聞いていたが、この黄色い芭蕉の花を見たのは初めてだ。
17/09/22 10:32:22
 竹原の港へと続く川が右に方向を変えると旧道は国道とも遠くなり、再び山越えで瓦坂峠を目指す。集落がある間は歩きやすい道が続いたが、集落が終わると今度も山道が始まった。
17/09/22 11:58:00
 迷うような場所はなかったが、藪が朝の松子山峠よりもさらに伸びており、腰のあたりまである。雨は上がっていたが、先ほど降った雨のせいで草はびしょびしょ。すぐに下半身は大雨の中を歩いているような状態となり、パンツまでびしょ濡れだ。防水靴の中に水が入るのと水が抜けずに非常に歩き難い。高度差はさほどなく、草刈りさえしてあれば簡単な道だったように思うが、この区間は本当に疲れた。
17/09/22 12:17:18
 峠を越えて集落に出たところで休みたかったが、中々乾いていて座れる場所がなく、苦労した。ここからは地図で見ると川沿いの道が続き、田万里市前後と同じ歩きやすい旧道だと思っていたら未舗装で、水たまりが多い。靴の中まで濡れているので、歩き難いことこの上ない。きのこが色々生えていて、それを見ながら歩くのは楽しかった。古墳がたくさん街道沿いに残っており、寄り道する古墳は事前に2ヶ所決めていたが、休みたくなり、最初に大きな案内の出ていた6世紀に造られた貞丸古墳に立ち寄った。石室と石棺が残っており、その石が兵庫県の高砂から運ばれてきたものだということに驚いた。こんな重い石をどうやってそんな遠方から運んだのか。
17/09/22 13:44:52
 古墳の少し先で、明治時代建築の木造建物が目立っていた。江戸時代には街道筋の休憩場所があった場所にあるこの建物は、明治22年に南方(みなみがた)村が発足し、昭和29年に本郷町に合併されるまで村役場となっていた。
17/09/22 13:57:04
 間もなくゴールだが、コンビニで妻と待ち合わせ、遅くなったが弁当の昼食。もう乾いている靴下はないし、靴が中までびしょ濡れとなっている。足がふやけて豆が出来そうだったので、最後の区間はサンダルで歩く。
 沼田川を渡るとゴールである本郷宿だ。今は昭和を感じる商店街となっているが、明治時代建築の商家澤田家住宅なども残っている。
17/09/22 15:54:38
 見覚えのある魚屋さん前で、昨年歩いた道とつながった。これでついに山陽道完歩!!!
**地図**
本日の距離 26km
山陽道の合計距離 607km