徒歩旅

Day18 芦屋駅-西宮-昆陽-瀬川-郡山-芥川-高槻駅 38㎞

 朝7時に前回終了した芦屋駅近くの交差点をスタートする。この交差点から、旧街道は国道から離れて裏道となる。歩きやすいが、新しい家並みの続く道で、面白味には欠ける。道が国道43号に合流してすぐ左手に西宮戎がある。本来の道は戎さんの外を回っているが、境内を通り、表門から出た。この表門は秀吉の再建と伝えられており、建立は慶長期(1596-1615)とされている。
17/06/04 07:06:40
 戎神社の表門から東に延びる道が旧街道となっている。方向を北に変え少し行ったところが、大阪方面と京方面の分岐となる。ここから京までの道は、山崎街道とも呼ばれ、山陽道(西国街道)とは別の道とされることもある。
 JR線を越える手前で一本道を間違え、青果市場に出た。子供の頃に来たことがある場所だ。平日ならばこの時間でも賑やかだったと思われるが、日曜は休みのようだ。
17/06/04 07:27:52
 西宮中央運動公園内を通り、門戸厄神駅前を通り過ぎる。この辺りは道標がいくつもあって、旧街道らしさが残る。
17/06/04 08:12:12
 渇水期なら昔の渡し場の近くで川を渡れるという情報もあった武庫川だが、水量が多く渡れそうにはない。橋が架かっている場所は離れており、大回りを余儀なくされた。
17/06/04 08:41:02
 山崎街道の宿場町は、昆陽、瀬川、郡山、芥川、山崎の5宿である。このうち現在の市町村名になっているのは山崎のみで、他の4つは近くで生まれ育った私でも聞きなれない地名である。昆陽宿(こや)は、現在の伊丹市にあたる。昆陽宿の辺りから大きな旧家が点在している。この辺りはかなり金持ちが多いのかと思ったが、ここから先はずっと京近くまで大きな旧家が点在しているのであった。
17/06/04 10:04:06
 昆陽の少し先に昔の絵地図が看板になっていた。伊丹の地名は当時からあり、村の規模も昆陽などより大きかったようで、現在の市名が伊丹なのを納得する。
17/06/04 10:26:04
 猪名川を渡る辺りで、伊丹空港が見えた。
17/06/04 10:50:08
 さすがにこれは民家じゃないだろうと思うようなこの建物も民家である。
17/06/04 10:57:18
 伊丹市から池田市に入ると大阪府となるが、旧国名でいえば摂津の国のままである。
 瀬川宿は、現在の箕面市にあたる。看板には、瀬川・半町立会駅所とあり、??? 瀬川村と半町(はんじょ)村は隣接しており、半町側にも本陣が建てられていたということだ。看板には建物が現存しているとあるが、どう見てもそこにあるのは駐車場とコンクリの建物で、これも???
17/06/04 11:47:12
 昼食後、萱野三平旧邸を通りがかる。無料で中を見学できるようになっていたが、ゆっくり休んだ後だったので素通り。萱野三平は赤穂浪士の一人で、この敷地内には江戸時代建築の長屋門と土塀の一部が現存する。
17/06/04 13:09:28
 郡山宿は、現在の茨木市の宿場だ。本陣は築約300年、1721年に建てられたものだ。
17/06/04 14:55:38
 本陣入口にあった江戸、明治期の消防ポンプ。
17/06/04 14:56:06
 太田茶臼山古墳は、継体天皇陵とされるが、考古学調査で築造時期が5世紀の中頃と考えられている。したがって、実際には6世紀の天皇である継体天皇陵ではないと考えられている。
17/06/04 16:10:18
 太田茶臼山古墳から少し進むと、さらに大きな古墳がある。今城塚古墳で、現在は古墳公園となっている。埴輪群が発掘され、6世紀前半の築造と考えられることから、こちらを真の継体天皇陵とするのが定説になっている。
17/06/04 16:39:58
 芥川宿は、現在の高槻にあたる。この辺りも古い建物が多い。
17/06/04 17:27:34
 芥川一里塚跡。ここからJR高槻駅まではすぐ。本日は高槻で終了。終点の京はもうすぐだ。
17/06/04 17:30:34
**地図**
本日の距離 38km
山陽道の合計距離 559km