Day5 徳山駅-徳山-花岡-久保市-呼坂-今市-高森-周防高森駅 28km
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地図**
今回も始発列車に乗っての日帰りである。前回終了の徳山駅から歩き始める。駅前広場から右に伸びているアーケードの商店街が山陽道だった道だ。この商店街は脇道にもアーケードがあり、人口規模から考えると非常に大きい。メインの道以外は寂れてしまっているが、これは郊外型店舗の増えた今は仕方ないのだろう。
商店街を抜け、しばらくまっすぐな道を進むと左側に孝女阿米の碑がある。道路を渡って見に行くが、昭和34年や平成14年の碑であり、古いものではない。やはり徳山近辺は戦災で完全に焼け野原になったのだ。
旧国道2号、現在の県道47号に合流し、さらに500mほど進むと左側に散髪屋がある。その右側の細い私道のような小道が昔の山陽道で、念仏坂と呼ばれるところだ。看板も見当たらず、事前に調べていないと気が付く可能性もないような入り口だ。
念仏坂を下ると遠石(といし)地区となる。この辺りは戦争でやられなかったようで、ようやく古い建物が散見できるようになった。
遠石の名は、この影向岩(えいこういわ)から来ている。遠石八幡宮の縁起によれば、7世紀、推古天皇の時代に豊前国より宇佐八幡大神がこの大石とともに現れたのだという。
古い建物の中でも立派なものは、酒屋や醤油屋が多い。次の立派な建物は福原醤油の建物。
この地区説明版に、遠石地区は遠石八幡宮の門船町として栄え、徳山藩の外港として、また山陽道の宿場として・・・とある。しかし、私の持つ複数の宿場のリストのどれにもその名はない。やはり山陽道は五街道と違って宿場はきちんと定められてなかったのだろう。
さらに進むと遠石の宮水があった。ミネラル豊富な鉱泉水で鉱泉療法に使われてきたという。しかし、10リットル100円の自販機式井戸になっているのには驚いた。車で汲みに来る人のことだけ考えるのではなく、旅人の喉を癒すことも少しは考えていてくれればうれしいが、これでは試せない。
さらに進むと立派な古い建物の一群がある。防長鶴で知られる酒蔵山縣本店だ。
酒蔵の建物に見とれながら歩いたために、道を間違えてしまった。酒蔵の角から斜めに伸びる道に入るべきところを気ずかず直進してしまい、行きどまって、あれ? この辺りは住宅街で地図を見ながら歩かないと看板が一切なく、非常に間違いやすい。末武川で山陽道は左折する。川の手前の道が古い山陽道で、対岸が新しい山陽道である。江戸時代の途中で川渡しの場所が変わったのだ。
花岡宿の手前にセブンイレブンがあり、ここでカップ麺とおにぎりの昼食をとる。
花岡宿も遠石と同様に八幡宮の門前町として栄えた場所だ。参道入り口には金分銅本店という造り酒屋がある。寛政9年(1797)に徳山毛利藩絵師によって描かれた「花岡八幡宮例祭御神幸絵馬」に描かれているという歴史ある店だ。八幡宮自体はかなり高いところに位置しており、参道の石段を見ただけで、お参りはせず。
花岡の辺りは徳山藩領ではなく、萩藩領に属していた。花岡勘場は、萩藩飛び地であったこの地方を治める役所であり、その中にお茶屋と呼ばれる宿泊施設があった。お茶屋は、大名などの宿泊場所で、本陣と同じ役目を果たしていた。この花岡勘場の跡地は小さな庭園となっていた。
花岡宿を抜け、JR生野屋駅の手前で、新幹線や岩徳線、国道2号をくぐる。一気に町から離れ、田舎道となる。ほんの少しだけ国道2号に合流するが、ほぼ交通量の少ない旧道歩きが続くのでありがたい。写真の塩売峠(しおりがたお)を下ると次の宿場町である久保市へと入って行く。
久保市はのんびりとした山間の村であるが、さほど古いものは残っていない。そんな中で目についた古い建物はきれいに修復され、ギャラリーとなっていた。
久保市を過ぎると国道2号に合流し、しばらくは交通量が多く、新しくなってしまった道を歩くことになる。大河内を過ぎてJRの線路をくぐり、すぐの竹藪に突入するとその先の旧山陽道が歩けると調べてあったが、入り口が入るなと言わんばかりの竹藪で明らかに私有地となっている。逆から来れば、旧道が尽きた後に、この竹藪を越えれば良いだけだが、こちらからは入り難い。一応入口は確認したが、突入せずそのまま国道を歩く。数百メートル先で行かなかった旧道は再び国道に合流する。勝間駅の辺りで少しまた旧道となり、ほっとする。国道2号はトラックが多すぎて本当に歩き難いのだ。再び国道2号に合流するも、今度は短くすぐにそれて次の宿場町である呼坂となる。
呼坂本陣跡は、今も普通に住んでいる様子であり、公開はされていないが、江戸時代の資料がいろいろ保存されているということだ。
呼坂宿と今市宿は隣接しており、その間2キロほどしかない。そしてその中間にJR高水駅ができたので、駅周辺も町となり、どこまでが呼坂で、どこからが今市なのかもはっきりとはしなかった。この神社ののぼりに今市本町とあるので、この辺りが宿の中心あたりだろう。現在の地名は今市とは付いていないが、こういうところに伝統的な町名が使われているのだと感心した。
今市を過ぎると道は中山峠へと続く上り坂となる。峠には古い郡界の石柱と新しい市境の看板があった。ここからは岩国市だ。
峠からの下り途中に、以前は通れなくなっていた丸子坂といわれる旧道が今は通れるようになっているという。2012年に竹藪の伐採が完了したそうだ。まだ4年しか経っていないが、写真中央に立つ分岐の道標はもう読めないほど剥げている。地元の人ではなく、徳山在住の個人が古道復活のために頑張って開通させたということだが、このままではまた藪に埋もれるのではないかと少し心配だ。写真中央の柵に沿った道が旧山陽道。道標がなければ農地へ延びる私道に見えるので入り難いところだ。
途中は水路沿いの歩きやすい道で、今年も手が入っているものと思われた。
出口にはイノシシ除けの柵がある。歩いても良いですよとの案内板がないとやはり入るのがためらわれるところだ。
丸子坂を下るとすぐに県道144号に出る。交通量の多い道だが、JR米川駅付近だけは川の堤防沿いとなっていて歩きやすかった。
この時間に着かなかったらそこで終わりと決めていた時間に米川駅への分岐では5分間に合わなかった。終電なので遅れたらまずいが、体調も良く、まだ足が動いていたので5分くらいなら大丈夫だろうと判断し、もう一駅分進むことにする。
高森の町に入るあたりから、県道には歩道がなくなり、堤防上に歩く道がある。無理に下を歩いても古いものは残っていないと記した日記を読んでいたので堤防上を進む。山陽道が堤防から離れる少し前に神社が見えたので、そこには立ち寄ろうと県道に下りたが、交通量が多く、歩道がないので短距離でも歩き辛かった。写真は、立ち寄った高森天満宮。
終電数分前に無事に周防高森駅到着。人々がホームでなく駅舎で待っているのでおかしいなと思っていたら、列車が遅れていた。しかし、先々の接続は悪いので少々の遅れなど問題なし。
日帰りの繰り返しで5日間歩いて145キロ。平均30キロに達していないのは、日帰りには遠すぎるということだ。これ以上の日帰りはさすがに遠すぎて難しいので、次回からどうするかが悩まれる。
本日の距離 28km
山陽道の合計距離 145km