徒歩旅

Day2 小月駅-小月-吉田-厚狭市-船木-厚東駅 28km

**地図**
 先週と同じ時刻に自転車で駅に向かう。先週は真っ暗だったのに、今日はもうライトがなくてもよいくらい明るくなっている。日がどんどん長くなってるのだ。しかし、寒い。先週よりも厚着なのに非常につらいほどの寒さなのだ。寒の戻りで冷え込んでおり、隣の駅付近では屋根に雪が積もっていた。
 行きの列車では予定の道をスマホで確認していることが多い。今日もしていたが、いきなりバッテリーが切れた。いつもなら電池メーターの残量が減っていくのに、今日はずっと100%でおかしいと思った矢先のことだった。仕方なく、日帰りではほとんど使うことのないモバイルバッテリーに繋げようとしたら、接続コードを忘れてきている。歩きだす前からトラブルで少し憂鬱だ。実は出かける前にカメラを充電池から外したところ全く充電されておらず、仕方なしに古いカメラを今日は持ってきている。スマホもカメラも同じ場所で充電していたので、異常電流が流れるなどのトラブルがあったのかもしれない。地図は基本的にスマホに頼っている。縮尺の小さな紙地図を一応コピーしてきているが、これでは細かい分岐はわからない。うまく歩けるかどうか心配だが、今日は先週と違って時間に余裕があるので何とかはなるはず。
 9時40分に先週歩き終えた小月駅に到着した。小月で唯一江戸期のものとされるのが、写真の道標で、山陽道はかみがた道、もう一つのとよた道は萩に続く道である。ここの説明には、小月は半宿場で旅籠などがあったと記されている。江戸期の東海道などでは宿場が厳密に規定され、宿泊は宿場に原則限られていた。宿場と宿場の間にある休憩地は立て場と呼ばれ、宿はなかったはず。山陽道にはそのような厳密なルールがなかったということなのだろうか。ちなみに私の持っている本のリストでは小月は普通に宿場となっている。
16/03/12 09:48:28
 小月を抜け木場川に出るとしばらくは平坦な川沿いの道が続く。河川敷の公園の向こうに見えるのが吉田宿。
16/03/12 10:39:48
 吉田宿の案内板には、山陽道の始点赤間が関の次の宿駅とある。先ほどの小月と先週歩いた長府もリストでは宿場だが、厳密には違うのか? ここでは宿場らしい古い建物が散見される。
16/03/12 11:14:32
 慶応元年に奇兵隊が吉田宿に陣を構え、写真の末富家が本営として使われた。高杉晋作の葬儀もここから出ているし、山縣有朋が下宿していたこともある歴史的意義のある建物なのだ。「外装は一部変わったが幕末当時のものである」と記されているが、今の外観は昭和風の家で、これが江戸時代からある建物だとは全くの驚きだ。
16/03/12 11:15:26
 吉田宿を出るとだらだらと登ってゆく田舎道となる。写真の分岐を右が山陽道である。道は細くなり、車は農作業用の物しか通らない道で、この先の分岐は手持ちの地図では分かりにくく不安になる。
16/03/12 11:33:20
 峠付近は完全に荒れており、民家はボロボロ、道路は倒れた竹で塞がれているところもあり、路面はドロドロだった。
16/03/12 11:50:24
 峠を越えると開けて明るくなったが、田畑が放置されているので、そのうちこちらも竹やぶになってしまいそう。
16/03/12 11:55:46
 下り道の分岐でハタと困った。手持ちの紙地図ではどちらかわからない。スマホには地形図も入れており、そこにルートを書き出していたから簡単に分かるはずだったのに・・・。選んだ道は結局間違えていた。少し遠回りになっただけなので、気が付いてからもここは戻らずに進んでしまった。
 福田からの峠道は山陽本線沿い。下り始めてすぐに道はトンネルから出てくる線路の上を横切っている。鉄道写真マニアなら好きそうな場所だ。
16/03/12 12:36:24
 JR厚狭駅周辺には広大な空き地が広がっており、売土地との看板があちこちにあった。道路だけは立派で、道幅も広いが空き地ばかりでさみしい限り。何故こんな場所に新幹線駅を造ったのだろう。新幹線開業を見込んで田を潰し、土地開発に乗り出したものの誰も使ってくれないという構図か?
 厚狭市の宿場は駅を過ぎ、川を渡った対岸にある。もう12日なのにひな祭りをやっており、各所に大きなひな人形が飾ってあった。観光案内図を手にした観光客もここではちらほら。
16/03/12 13:49:10
 西見峠の手前で国道2号線に合流。車が多く、歩道がない場所も多い。大型トラックがたくさん走っており、歩き辛い。
 船木宿に入るところで国道は町を迂回しており、旧道は車の少ない道となってホッとする。写真は大木森住吉宮のクスノキ。どこに海があるのだろうという山間の宿場町だが、神功皇后がこの境内のクスノキを切って軍艦を作ったという伝説がある。船木の地名もここからきているそうだ。
16/03/12 15:24:04
 船木宿には2階建の2階部分が漆喰の古い建物がたくさん残っていた。
16/03/12 15:35:06
 宿場町の出口付近に地蔵が並んでいた。それを過ぎると国道2号に再合流し、厚東駅まで歩きにくい道が続いた。
16/03/12 15:42:16
 厚東駅到着は16時台で終電までまだ時間があるが、次の駅まで12キロもある。次を目指すと18時台の終電に間に合わなくなるので本日はここまで。
本日の距離 28km
山陽道の合計距離 50km