Day1 周防下郷駅-小郡宿-山口宿-長門峡駅 33㎞
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地図**
江戸時代の山陰道は、現在の国道9号に近いルートを通って、京都から山口を結んでいた。京都から山口へは山陽道がはるかに便利で、瀬戸内の海路もあったため、山陰道には、東海道を補完する中山道のような役割はない。全線を歩いた当時の記録は見当たらないのはもちろんのこと、街道歩きをする人の増えた昨今でも、全線を歩いた記録は非常に少ない。その数少ない記録を読む限り、残っている資料も少ないようで、ルートが分からない部分や分かっても進めない部分がたくさんあるらしい。とはいえ、当時の街道から数百メートルの場所に住んでいるのに、遠くの街道を歩いてここを歩かない手はない。という訳で、今日から山陰道である。
山口線の周防下郷駅からすぐの場所が、山陽道と山陰道の分岐となっている。道標があるくらいで目立つ場所ではないが、昨年山陽道を歩いたばかりだ。その時に次は山陰道と意識したのでよく覚えている場所だ。
小郡宿の北外れに分岐があると理解していたが、山陰道がスタートしてもしばらくは街が続いており、古い建物も散見された。
しばらく国道9号を歩いた後、線路を渡り、田んぼの畔を拡張し、コンクリート舗装したような道に入る。道の中心に立派な古い屋敷があり、その部分だけ道幅が狭かった。母屋の石垣や蔵を削らねばならないので工事を拒否したんだと思われるが、こういう古い建物が残っている方が、徒歩旅をする身には興味深い。
先ほどの建物のすぐ先に初めて山陰道であることを示す看板があった。ただし、この辺りでは山陰道のことを石州街道と呼んでいるようで、石州街道であったことを記すのみ。しかもすぐ先で国道9号に分断されたので廃道となっているとまである。この部分は歩けるのだから廃道ではないのだが・・・。
舗装は途切れているが、直進が石州街道。道幅は同じで普通に進めたが、グーグルマップや地形図はここで道が途切れている。ここは通れても私有地で廃道ということか。
吉敷川を渡ると道は山口市の市街地へと入って行く。街道を少し離れ、2年前に来た時に工事中だった井上公園に立ち寄る。明治の元勲・井上馨の生家跡につくられた公園で、幕末に京都の政変で都落ちしてきた三条実美らの宿舎が再現されている。
この辺りは有名な湯田温泉で、この公園にも足湯がある。
山口宿だった辺りは商店街になっているが、平日の昼間とあって寂れていた。
商店街を抜けた辺りに古い建物がたくさんあったが、特に説明はない。
街道のすぐ北にサビエル公園がある。日本最初のキリスト教教会とされる大道寺の跡地だ。
宮野を過ぎ、国道9号と交差すると川沿いに田畑が広がるようになる。温泉やユースホステルを過ぎると道は山の中へと入って行く。国道は時々見えており、交通量も多いようだが、山陰道はほとんど車が走らない。最後の集落を越えると、舗装はされているが、落ち葉が積もり、四輪駆動でないと走れない道が続く。国道262号と交差した後は、グーグルマップになく、地形図でも点線で記されている道となる。でも車の通れる道幅で歩きやすい。冬至まで数日ということもあり、日の暮れるのは早い。海抜370mの大峠に着いたのは3時台なのに日は低く、影が長い。
ここが山口市のある周防国と日本海側の長門国の境界となっている。
再びJR山口線と出会う篠目の辺りがちょうど日没の時間。その時間に列車があれば歩き終えたかったが、次の列車まで1時間半もある。駅が街道から入り難い場所にあることもあり、もう一駅分頑張る。最後は再び国道9号を歩くことになる。本日のゴール直前で初めて街道のゴールである京都までの距離が出た。国道を通っても560キロ。
本日のゴールは長門峡駅。オープンの待合室しかない寒い無人駅、これだけしか列車が来ないのに、ここからの乗車は私一人で、下車した人はいなかった。
本日の距離 33km
山道の合計距離 33km