Day6 肥前山口-小田-北方-塚崎-武雄神社-嬉野 35㎞
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地図**
佐賀駅から始発列車に乗って肥前山口駅へ。5時50分に長崎街道の6日目をスタートする。先月よりもかなり夜明けが早くなっており、日の出前だがもう明るい。
駅近くの町役場や工場を過ぎると一面に青々とした麦畑が広がっている。既に麦穂は大きくなっている。明らかに夏には水田になっていそうな場所で、2毛作をしているのが良く分かる風景だ。
すぐに小田宿に入るが、宿場町らしいものは残っておらず、公園に道標のレプリカがあったのみ。
この辺りの電信柱にはたくさんカササギの巣が架かっている。カササギは北半球に幅広く生息している鳥だが、日本では大半が佐賀平野を中心とした狭い範囲に生息しており、佐賀の県鳥にもなっている。
小田宿のはずれの馬頭観音には樹齢1200年の大楠樹がある。
スタートからずっと国道から離れた旧道を歩いてきて、コンビニもなかった。ようやく国道が近づいてきた辺りで、大きな24時間営業のスーパーを見つけ、パンを買って朝食とする。
さらに進むと大きな古民家。19世紀前半の建物で国も重要文化財に指定されているが、今も生活の場として使われている。
JR北方駅を過ぎてすぐの右手にお地蔵さんが並んでいる。ここが塚崎宿(武雄)へ行く道と塩田宿へ行く道の分岐であった追分だ。江戸時代初期の長崎街道は塚崎経由でなく塩田経由だった。塩田川の度重なる氾濫によって通行できなくなることが多く、1705年に新しくできた塚崎道が長崎街道の本道となった。塩田道も本道ではなくなったが、通行可能で、江戸時代を通じで塩田宿はにぎやかだったようだ。
北方宿の中心部に大崎八幡社があった。今回の徒歩旅では満開が過ぎたところも多かったが、この辺りはまだまだ満開で桜が美しい。
高橋の辺りには古くて立派な家も多いが、どこにも説明版はない。この辺りは保存に力を入れたいないのだろう。
塚崎宿に到着する。何といってもここの見どころは武雄温泉。温泉の入口に立つ朱塗りの楼門は日本の建物とは思えない姿をしている。東京駅を設計した辰野金吾の設計で、大正4年に建てられている。
せっかく来たので、現在使用されている温泉施設の建物としては、日本最古となる元湯に入ることにした。客が少なく、一人もいなくなるタイミングがあったので湯船の写真をとることもできた。肌がつるつるになる温泉で非常に気持ち良い。
入浴で時間をとってしまったが、武雄で見たいものは他にもある。2本の巨木だ。環境庁が平成元年に行った調査で幹回りが20メートルあり、日本で6番目の巨木とされた武雄の大クスと幹回りが13.9メートル(33位)となる塚崎の大クスだ。ちなみに屋久島の縄文杉で16.1メートル(12位)、紀元杉で13.5メートル(38位)である。
街道から南へ1キロほど離れた武雄神社の裏に武雄の大クスはある。幹回り20メートルの部分は空洞になっており、以前は入れたそうだが、今は保護のために入れなくしている。樹齢は3000年以上で、樹高は30メートルある。見事な木にしばし見惚れる。
武雄神社は夫婦檜(縁結びの御神木)も有名である。2本の檜が根元で結ばれ、樹の中ほどで再び枝が合着している姿から、縁結びの象徴として知られている。
少し離れた山の中にあるのが塚崎の大クス。山道を歩くためかこちらを見に来ている人はいなかった。おかげで柵などはなく、中心のうろに入ることができる。こちらは樹高18メートルで、樹齢は2000年。
武雄から嬉野へ抜ける峠道には大きなダム湖ができており、古い街道は湖底に沈んでいる。おかげで何も考えず湖畔の車道を進んでいく。
ずっと湖畔の車道を行くつもりだったのに山側の未舗装路に長崎街道の看板。予定外の山越えとなるが歩き易い道ではあった。
嬉野市に入ると山の中に茶畑があった。茶畑自体は時々見かけるが、山中の不便な場所でもきれいに手入れされた茶畑で、何とファンを設置した電柱がたくさんある。風通しの為ならすごい金かけてるな~と考えざるを得ない。
予定よりも早く着きそうなので、嬉野の街が眼下に見える公園で大休止する。まだ足は痛いが昨日よりましなのでほっとした。
嬉野温泉は嬉野宿の中心部に広がっている。無料の足湯も何ヶ所かあるが、入っている人はいない。宿が温泉じゃないなら入っていくが、温泉宿なので写真を撮るだけで宿に向かう。
小さい温泉宿は家庭サイズの湯船だが、ここの温泉もつるつるになる温泉で気持ち良し。
本日の距離 35km
長崎街道の合計距離 193km