徒歩旅

Day4 田代-轟木-中原-神埼-境原-佐賀 33㎞

**地図**
 長崎街道の4日目、5時前に起床する。5時半にチェックアウトし、歩き始める。まだ夜明け前で、外は真っ暗だ。
 6時過ぎに轟木(とどろき)宿に到着。轟木日子神社で一休み。空は明るくなってきたが、日の出はまだ先だ。
22/03/06 06:06:18
 九州新幹線の高架をくぐり、安良川を渡ると安良の集落。江戸時代には茶店が多かったそう。ここの神社で一休み。本日一度目のマメ水抜きをするが、昨日までよりは良くなっている気がする。
22/03/06 06:58:42
 轟木から2時間半で中原(なかばる)宿に到着する。中原宿の東側入口にあたる東の木戸口があった場所に祇園社がある。
22/03/06 08:41:22
 中原宿の町並みは明治18年の大火で焼失し、残っていない。
 そこからは平地の田舎道で、ひたすら歩く。佐賀成田山は赤が美しい目立つ寺院だ。
22/03/06 10:26:48
 長崎街道沿いに食事処はないが、並行して見え隠れする国道34号沿いには色々ある。昼には少し早かったが、国道と離れる前に昼食をとる。吉野ケ里歴史公園のすぐそばのマクドナルドは、観光ついでに来ている人で賑わっていた。吉野ケ里遺跡は発掘当時から気になっていた遺跡で、吉野ケ里歴史公園として整備された2001年に訪れている。20年経ち、公園は範囲を広げ、復元された建物もかなり増えている。好きな遺跡なので再訪問するつもりだったが、期待以上に整備が進み短時間で見るのは難しそう。再訪問は次の機会を待つことに。
 再び長崎街道へ。よく見ると先ほど離れた場所が追分になっていたようで道標がある。マクドナルドから先に続く道も江戸期に既にあった道で、脊振(せぶり)神社方面に続いていたようだ。
22/03/06 11:25:54
 長崎街道田手宿と記された石柱があり、そんな宿場あったかなと調べてみると中原と神埼の間にある間宿だった。今も古い家屋が点在し、趣ある集落となっている。
22/03/06 12:34:30
 ひのはしら一里塚は、長崎街道で唯一現存する一里塚だ。見通しの平地で遠方からでもわかる塚は何百年もの間旅人の目印になってきたのだろう。
22/03/06 13:23:16
 一里塚の上には小さな石仏があった。佐賀平野と脊振山地が見渡せる気持ち良い場所である。
22/03/06 13:25:08
 神埼宿に入ると、存在感のある伝統家屋が目立ち始める。街道筋が直角に曲がり鍵状になったところにある櫛田宮は予想外に広く見どころがいっぱいだ。4世紀前半、景行天皇が巡幸した折に不幸が続き住人が苦しんでいると聞き、櫛田宮を建て神を祀り鎮めたのが発祥という。その後は災厄もなくなったことからこの地を「神幸(かむさき)」と称し現在の神埼(かんざき)の地名の起こりとなったと伝えられている。入ってすぐに見事な庭園があり、奥に進みたくなる。
22/03/06 13:52:48
 樹齢700年と推定されるクスノキは神々しく神木のようだ。
22/03/06 13:58:40
 17世紀にオランダで作られた大砲が展示してあるのも興味深い。
22/03/06 14:02:32
 洋風の外観を持つ旧古賀銀行神埼支店の建物は、モルタルの外観なのに木造で、日本の伝統技術を使って大正3年に建てられた貴重な建築物だ。
22/03/06 14:08:00
 薬局のショーウインドーには漢方薬の原料や古い調剤具が展示してあるなど、歩いていて楽しい街並みだった。
22/03/06 14:11:50
 わかりやすい案内板がいくつもあるし、休憩できるところも何ヶ所かあり、有難い宿場町だった。
22/03/06 14:20:08
 神埼宿を出てすぐに城原川を渡る。川の水は流れず停滞しているし、よく見ると水面は周辺の住宅地よりも高い。海岸からかなり内陸に入った場所だが、この辺りもすでに昔の干拓地なのだろう。
22/03/06 14:46:30
 川から離れると縦横に水路があり、ここも水が流れていない。そして水門もある。有明海は干満の差が激しいことで知られている。干潮時に排水し、満潮時には海水が逆流しないように堰き止めているのだろうか。
22/03/06 15:50:24
 佐賀と神埼の間にある境原(さかいばる)宿には、当時の佐嘉郡と神埼郡の境を記す郡境石が残っている。佐賀と神埼の境に作った小さな宿場であったのだろう。
22/03/06 16:46:58
 17時50分、ようやく佐賀城下入り口である構口に到着する。この構口橋から先は佐賀城下だ。
22/03/06 17:49:56
 佐賀城下での長崎街道は案内板が豊富だし、道に色分けしてあるところも多くなっている。見どころもたくさんあるのに日没を気にすべき時間になってしまったのは残念だ。
22/03/06 17:51:38
 街道はまっすぐ西に向かっており、西日が眩しい。
22/03/06 17:53:54
 構口から350メートル進んだところに思案橋がある。江戸時代に港となっていた場所だ。
22/03/06 18:00:12
 ここからは歴史的な建物が並んでいる。南里邸は市内最古の町家建造物で18世紀前半の建物だ。
22/03/06 18:02:06
 貴重な歴史的建物のうち7軒が佐賀市歴史民俗館として無料で公開されている。そのうちの一つである旧古賀銀行は、両替商古賀善平が1885(明治18)年に設立した銀行で、現存する建物は1906(明治39)年に新築され、1916(大正5)年に西側へ大きく増築されたもの。残念ながら時間が遅すぎてすでに閉まっている。
22/03/06 18:10:56
 佐賀でも街道はアーケード商店街を通っている。ここも寂れているのは仕方ないのか。
22/03/06 18:23:22
 龍造寺八幡宮の前で街道歩きは終了し、駅前の宿に向かう。
 この時点では明日朝に10キロほど歩いてから帰宅しようと思っていた。しかし、足裏のマメをかばって歩いたために親指の爪が剝がれかけており、ここで長崎街道の徒歩旅前半は終了となる。後半は足を治してもっと元気に歩きたい。
本日の距離 33km
長崎街道の合計距離 140km