徒歩旅

Day1 関門トンネル-門司港レトロ-大里-小倉-黒崎 29㎞

**地図**
 長崎街道は、北九州市小倉にある常盤橋と長崎を結んでいる道で、江戸時代の九州におけるもっとも重要だった街道だ。本日より長崎街道を歩くことにする。どうせなら今まで歩いてきた足跡をつなぐため、関門トンネルと門司往還も歩くこととし、スタート地点は関門トンネルの下関側入り口に決めた。
 まだ暗い時間に始発列車で出発する。今までは山口線から山陽本線に出て下関方面に向かっていたが、今日は気分転換に山陰本線経由で向かう。意外に島が多い海岸線で、景色の良い路線だ。
22/03/03 06:35:04
 下関に着いてすぐバスに乗り換え、関門トンネル入り口には10時過ぎの到着。山陽道の初日に歩いた場所がスタート地点となる。自動車道の関門トンネル入り口はもっと内陸部にあるが、人道入り口は関門橋のすぐ下の建物となっている。
22/03/03 10:07:12
 建物に入りエレベーターで地下に下りると小さなホールになっており、そこから地下道が続いている。
22/03/03 10:10:12
 トンネルは緩やかな下り道で、県境が一番深くなっている。その場所で海抜下58メートル。
22/03/03 10:14:44
 九州側のゴールも本州側同様に小さなホールとなっており、エレベーターに乗って地上に出る。外に出ると関門橋が上に見え、対岸は本州である。関門海峡で最も狭い場所に位置するこの辺りは和布刈(めかり)と呼ばれ、古代から交通の要所となってきた。ここから小倉までが門司往還と呼ばれる道だが、往時のを偲ばせるものはスタート地点の和布刈神社と山の上の門司城址くらいである。なのでここからは海沿いに新しくできた遊歩道「めかり街道」を進むことにする。
22/03/03 10:21:54
 海沿いの散歩道は関門海峡の景色も相まって楽しい道で、散歩している地元の人も多かった。門司港レトロ地区が近づいてくるとさらに歩いている人が増え、観光客の比率が一気に高まってくる。
 明治初期に開港した門司港には、明治時代から昭和の初期にかけての建物がいくつも残っている。その場所が再開発によって観光地化され、門司港レトロという名称で人気の場所となっているのだ。門司港レトロ地区の入り口近い駐車場に、昔懐かしい路面電車が保存されていた。昭和15年建造の車両で昭和60年に廃車となったものである。この地区の再開発はもっと新しいのにと不思議に思ったが、廃車後は交通博物館に保存されており、この場所に移設されたのは平成22年だったようだ。
22/03/03 10:50:14
 門司港レトロ地区の中心部にはレンガ造りの建物が集まっている。
22/03/03 10:51:30
 橋に向かって歩いていたら、渡るなら急いでくださいと急かされた。なんだろうと思ったら、跳ね橋で今から橋を開けるのだとか。急いで渡り終えると、橋はすぐに開きだす。待ち構えていた船が橋の開ききる前に突っ込んでくる。最後で待ってもらった私のせいで橋が開くのが遅れたのかと思ったが、開閉のスケジュール表を見るとまだ開く定刻まで2分ほどある。船は観光船なので、橋をくぐるときの迫力のために突っ込んできただけだろう。
22/03/03 10:54:44
 少し進むと下関側や巌流島行き渡船乗り場があった。観光客専用の巌流島行きはコロナのために欠航中だが、下関行は出ているようだ。
22/03/03 10:58:02
 旧大連航路上屋や関門海峡ミュージアムを過ぎると道は国道199号に合流し、そこからは観光客の姿も途絶える。しばらくはさして面白くない道が続くが、所々で古いレンガ造りの建物がある。海側にあるひときわ大きなレンガ造りの倉庫群はニッカウヰスキーの門司工場。元は明治43年から44年にかけて建てられた製粉所の建物だ。
22/03/03 12:08:40
 さらに数百メートル進み、国道を逸れて一本陸側の道に入る。ここからは大里宿だ。江戸時代に九州から本州に渡る船着き場はここがメインとなったので、長崎街道などを通って小倉まで来た人々の多くは、この大里まで来て船に乗っていたので、ここは宿場町としても栄えた場所なのだ。
22/03/03 12:15:24
 大里宿の西端には古いレンガ造りの建物の並ぶ一角がある。旧サッポロビール九州工場の施設を保存活用した建物群で門司赤煉瓦プレイスと呼ばれている。資料館などを見学できるはずだが、ここもコロナで閉まっていた。
22/03/03 12:26:34
 旧街道をしばらく進むと道はJRの敷地に阻まれ、途切れてしまう。仕方なく、しばらくは国道199号に戻り、西に進む。再び旧道に戻り、西に進んでいくと再びJR線で途切れる。ここではJR線をくぐり、線路の南から再び旧道が続くが、もうこの辺りは完全に小倉の市街地だ。ショッピングモールに突き当たるが、そのまま直進し、モールを横断。そしてその先は小倉中央商店街というアーケード街となっている。
22/03/03 14:04:12
 商店街を抜けると木製の橋がある。これが常盤橋だ。長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つはすべてこの常盤橋が起点となっていた。江戸の日本橋のような存在だろう。ここからがいよいよ本当の長崎街道である。
22/03/03 14:10:08
 常盤橋を渡るとすぐに江戸時代の地図が看板になっていた。今は埋め立てで海は遠いが、昔はここからもう海だったのだ。北九州市に南していえば、この後も地図が随所に見られ、長崎街道を歩くのには非常にありがたかった。この先は何度も同様の案内に助けられた。
22/03/03 14:12:02
 街道筋という雰囲気がなくなり、地図を確認しながらでないとどこが旧街道なのか分かり難い道が住宅街の中を続く。板櫃川を渡り、河岸の新しく整備された緑地内に荒生田(あろうだ)の一里塚跡があった。
22/03/03 16:29:24
 旧街道の道を記す看板が各所にあり、街道筋をたどることは難しくないが、見どころとなるべきものは残っていない。工事で旧街道を進めない場所が何度かあり、案内板通りに進むのが気分的に面倒になってくる。そう思って歩いていると高速道路の下に長崎街道の看板が見えるが、何車線もある国道の反対側で渡る場所が近くにはない。夕方になり、疲れていたこともあり、旧街道にできるだけ従うというルールは放棄することにしてしまい、ここはそのまま直進する。
22/03/03 17:02:50
 前田の一里塚跡までの荒生田一里塚跡から70分かかっている。両足に豆もでき、かなりペースが落ちてしまっている。
22/03/03 17:41:36
 黒崎宿に着く前に夕食を済ませたので、黒崎到着は日没後、暗くなってから。小倉同様にアーケード街の中に街道は続くが、がらんとして人通りはなく、店はほとんど閉まっている。19時前でこの寂れ方はどういうことなのだろう。
22/03/03 18:56:22
 乱橋で街道筋から逸れて、ホテルに向かう。ホテル到着は19時過ぎで、長崎街道徒歩旅の初日が終了した。今日は距離が短かったのに、両足に豆が出来てしまったために予想外に時間がかかっている。この先が不安になるが仕方なし。
本日の距離 29km
長崎街道の合計距離 29km