徒歩旅

Day18 大津宿-京・三条大橋(-五条坂) 11.5km + 3.8km

 東海道の徒歩旅も本日が最終日。残るは10キロ強で、3時間もあれば着く距離である。今日は妻が初めて一緒に歩いてくれるというので、気軽に歩ける距離だけを最後に残したのだ。
 この3日間は連日夜明け前から行動し、夜は遅くまで酒を飲んでいたので疲れは相当たまっている。妻も昨夜の夜行バスで京都入りし、夜明け前から日没後まで京都観光をびっしりしたそうで疲れている様子。目覚めた時に雨が降っていたこともあり、朝はのんびりと琵琶湖の見えるホテルで過ごし、出発は10時を過ぎてしまった。写真は泊まった部屋からの琵琶湖、雨は上がりました。
琵琶湖
 大津宿内で旧東海道は直角に左折する。左折したところからは国道で道幅が広く、古い建物はあまり残っていない。本陣もここにあったが、本陣跡碑が立っているだけ。ここは京阪電車が路面電車となって国道を走っている。写真は専用線から路面電車に切り替わる場所に入ってきた京阪電車。この線は途中から京都地下鉄に乗り入れており、そのまま本日の目的地である三条大橋まで続いている。
京阪電車
 JR線を越え、再び京阪線と平行になった辺りに関蝉丸神社がある。神社への石段を登ると踏切があり、その向うが鳥居となっている。
蝉丸神社鳥居
 百人一首で私が最初に覚えた歌がこの神社に祭られる蝉丸の詠んだ「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」である。狭いながらも趣のある神社だ。
蝉丸神社下社
 神社を過ぎると道は急坂になる。蝉丸の歌にもある逢坂の関のあった辺りへの峠道だ。道路拡張のためにどんどん山が削られたこともあり、関の正確な位置は分かっていない。逢坂の関は、山城の国と近江の国の国境とされていたので上りきったらいよいよ京かと思いきや、そのような看板はなし。逢坂の関の碑があっただけ。
逢坂の関
 峠を越え、下り道となり、府県境の看板を見逃したかなと思ったが、建物の住所はまだ大津市だ。さらに歩いてついに府県境、いよいよ山城の国! と思ったが、ここで道は分岐。旧東海道はまだ大津市を進むのであった。
府県境
 ようやく京都市の看板! この記念写真を撮っている兄ちゃんたちも私と同じように飛び飛びで江戸・日本橋から歩いてきたらしい。中心にいる江戸時代の旅姿の人は足も素足にわらじで結構辛そうだった。服もわらじもきれいなのでゴールに合わせて用意したものと思われる。
京都市
 山科の中心に近づくにつれ、古い建物も増えてくる。写真は山科地蔵徳林庵の六地蔵。
山科地蔵徳林庵の六地蔵
 大津と京を結ぶ東海道は物資の流通が盛んで、江戸中期の1778年で年間1万5千台以上の牛車が行き来したという。しかし、この区間には逢坂峠と日ノ岡峠という難所が2ヶ所もあり、牛車の行き来も大変だった。そこで1805年にこの間12キロに花崗岩を敷き詰め、牛車の通行に役立てたという。この石が各所に残っており、色々再利用されていた。写真は日ノ岡峠にあった公園で、車輪の下にある轍の残る石が当時からの車石。
車石
 日ノ岡峠を越えるともう京の都である。一気に歩いて東海道の終着点三条大橋に到着した。写真は、橋を渡ったところに弥次喜多像。
三条大橋、弥次喜多像

 さっそく乾杯をしたかったが、午後2時台では飲み屋は開いていない。暖かければ川原で缶ビールでも良かったが曇り空で寒い。先斗町などを歩いて飲み屋を探すも、結局観光客でにぎわう食事どころでビール。終わったー♪
 妻は次はどこを歩くのなどと聞いてくるが、しばらくは休みたいかな。考えるのはそれから。

 まだまだこの日は元気で時間もあったので、先斗町や祇園を歩き、八坂神社から二年坂、産寧坂(三年坂)、五条坂まで歩いてバスに乗った。
 先斗町
先斗町
 鴨川
鴨川
 祇園
祇園
 八坂神社
八坂神社
 人力車
人力車
 二年坂
二年坂
本日の距離 11.5km+3.8km=15.3km
徒歩旅の合計距離 640.2km + 15.3km = 655.5km
東海道の合計距離 555.5km + 15.3km = 570.8km
本日の出費 交通6120円 + 飲食2100円 = 8220円

*徒歩旅の合計距離はお伊勢参りを含めた積算距離
*3.8kmは東海道が終わってから歩いた京の街