Day19 高槻駅-山崎-京(羅城門跡) 22㎞ +京散歩 5.5㎞
いよいよ山陽道のゴールである京へ到着する日だ。しかし、長期の道路工事で通れずに後回しとなった区間を残しており、気持ちの盛り上がりに欠けている。
本日も始発に乗って、歩き始めは7時頃。昨日よりも遠いのに時間が変わらないのは平日ダイヤのためだ。いつもなら前回終わった地点まで戻るのだが、工事をしていてワンブロックの迂回が昨日分かったので、その部分はパス。歩きやすい旧道を1時間ほど進むと梶原の一里塚。京まではあと4、5里だ。
島本駅前に島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)がある。今日は歩く距離が短く時間があるので入りたかったが、開館までは1時間以上もあった。
島本駅前は、桜井駅跡という国指定の史跡である。桜井駅は、古代日本の五畿七道の駅路沿いに整備された駅家(えきか/うまや)の一つで、711年に開かれた。駅家は16キロごとに整備したというから、ここが京にいちばん近い駅家だったはず。当時の日本で最も重要だった山陽道にある最初の宿場町であった訳だ。太平記にある「楠公父子訣別之所」としても知られている。そのことにちなんだ陸軍大将乃木希典筆の碑や海軍大将東郷平八郎筆の碑などもあるが、楠木正成が息子の正行に別れを告げている大きな石像が一番印象的。
さらに進むとサントリーの山崎工場がある。ずっと行きたいなと思っている場所だが、まだ訪れたことがない。
山崎は摂津と山城の国境。いよいよ都のある山城の国、今の京都府である。境には関大明神社ある。もともと関所があったのでこの名がついている。
天下分け目の戦いで知られる天王山の合戦場の近くに、馬の池の水という名水の場所がある。そこに馬の像があった。よく見ると中国の寧波市の寄贈で、寧波と長岡京市の姉妹都市30周年を記念したものだ。今住んでいる益田市も寧波市と姉妹都市なのだが、こんなのあるのかな?
今日の道も旧家が多いが、中々その由来を記したものは少ない。ここは「国登録有形文化財 中野住宅」として説明があり、母屋と土蔵が江戸末期の物。
こちらは、はりきゅう整骨院。幼い頃にぜんそくの酷かった私は京都まで何度がお灸をしてもらいに来ている。そこの外構えは覚えていないが、古い旧家だったのをここで急に思い出した。
長岡京市から向日市に入っても旧家が多い。これは、京都府指定文化財須田家住宅。1616年に作成された古文書に記載されており、築400年を越える。敷地内戸口に打ち付けてある祈禱札は、1744年のものだそう。外観はきれいなので何度も修復しているのだろうが、すごい!
向日駅近くでJRを越えるといよいよ京都市に入る。相変わらず旧家が多い。
桂川を渡ると気分的にも京都である。
中央に見えている細い道が旧街道。ここから京都の碁盤目状の道に出た。
ゴールは、羅城門跡。平安京の表玄関だった大門のあった場所である。建物は1000年以上前の980年に倒壊以降再建されることはなかった。江戸期には東寺口あるいは鳥羽口として知られていた京への入り口だ。今は小さな児童公園のようになっている。
羅城門跡でのんびり座り込んで山陽道歩きを振り返ろうかと思っていたが、蚊の襲来で休むこともできず。すぐ近くに見えていた東寺に向かうことにした。
南大門から東寺に入る。さすがにこちらはきれいにしているためか、蚊などいない。立派な入口の隅に腰かけてのんびり。
東寺はJR線より南にある。他の観光ポイントとは少し離れているため、何度も京都に来ている私も入るのは初めて。観光客はいるがそんなに多くなく、のんびりとメインの金堂を眺める。
さて、有名な五重の塔を見るかと移動して気が付いた。観光コースは北側の門からで、五重の塔方面は観光客だらけ。ここは初めてなので有料でも入るつもりで来たのに、無料は良いなぁと思っていたら、メインの場所はやはり有料だ。切符売り場でさえ並んでおり、面倒になって外から見ただけ。
時間があるので、初めての場所を色々見つつ東海道の時に歩いた場所と足跡を繋げようというのが当初の計画だった。しかし、山陽道を歩き終えたと思って長時間休んでしまったので、足が非常に重たい。足が中々前に出ないので、東海道と足跡を繋げることを最優先し、その途中にある西本願寺にだけ立ち寄ることに計画を変更する。西本願寺の南に隣接する興正寺から外国人観光客が大勢出てきたので、中で繋がってるのかなと思い、予定外だが入ってみた。繋がっていなかったが立派な建物で、見応えあり。
そして西本願寺へ。ここも予想外に無料だ。そして建物が大きく、素晴らしい。足が痛かったこともあり、中に入って胡坐をかき、無心で座っていると、山陽道歩きの場面が次々と頭に浮かんできた。すっきりした気持ちになり、一区間残しているにも拘らず、歩き通したんだなという達成感も湧いてきた。
西本願寺から正面に延びる裏道を進むと洋風の建物があった。洋風だと思ったが、説明を見ると和洋折衷でさえなく、日本の伝統建築を進化させたものらしく、しかも本願寺の関連施設、本願寺伝道院だということだ。
歩きの終了は四条河原町。阪急電車の始発のある場所だ。三条大橋で東海道を歩き終えた時は、観光しつつ東山五条まで歩いたのだが、その時にここにも立ち寄っている。これで足跡は東京から下関まで繋がった。もっと言えば、福島県・白河の関から下関までも繋がったことになる。
・・・なんて考えながら歩き終えたが、良く考えてみれば広島県で一区間抜けている。西本願寺で達成した気分になってから、このことをすっかり忘れていた。帰りの電車でそれを思い出し、一人笑ってしまった。早く抜けた区間を歩きに行かねば。
**
地図**
本日の距離 22km + おまけ 5.5km
山陽道の合計距離 581km